ニネヴェの大図書館

アッシリア氏による連投解説まとめ書庫(兼管理人の備忘録的なもの) 03/23 「図書館」について 8/3 『叙事詩』と翻訳 ※つづくかどうかはわからない
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03/23 「図書館」について。

ななせん @dn7_bot

先日の予告の通り、これから「図書館」について少しばかり長くお話ししようと思う。 紀元前三千年紀に、シュメル人の手で「楔形文字」が発達されてから、数々の商業記録、経済関係記録、裁判記録、それから文学作品といったものがオリエントではわんさか書かれることとなった[アッシリア]

2014-03-23 21:38:57
ななせん @dn7_bot

そうした文書を保管しておく場所が必要となる訳だ。これが図書館だな。我々は文字を書く……割り箸のようなもので刻むというと想像しやすいかもしれん、まァそんな感じなんだが、兎に角それを粘土で拵えた板に書きつけていた。図書館には木材の棚があって、そこに粘土板を立てかけていた[アッシリア]

2014-03-23 21:45:13
ななせん @dn7_bot

図書館といっても、そっちのそれのように一般公開はされなかったから「お国の書庫」のような感じだったと思ってくれていい。エジプトのパピルスとは違い、粘土板は焼くと硬くなって地中でも形を留めるから、大抵のオリエントの遺跡では、図書館のあった場所から大量の粘土板が発見される[アッシリア]

2014-03-23 21:47:55
ななせん @dn7_bot

そうした図書館の中でも最大の規模を誇るのが、アッシリア帝国の首都の一つだったニネヴェ市の王宮書庫と図書館だな。帝国第113代目のアッシュル=バニパル時代のものだ。(見積もりによるとだが、)文学作品が約5,000点、書簡や記録文書が約6,000点ほど納められている[アッシリア]

2014-03-23 21:49:32
ななせん @dn7_bot

バニパルは博識な王であり、識字率の低かったオリエントにおいて、国際語のアッカド語のみならず、死語だったシュメル語まで解した。図書館に関しても「余は書記の神ナブーの叡智を書き留め、吟味し、書物を比較対象してここに所蔵した。余が見たり読んだりする為である」と記名している[アッシリア]

2014-03-23 21:55:07
ななせん @dn7_bot

バニパル王はいっそ偏執的なまでに書物をかき集めた。全国に全権委任者を派遣し、「この王宮書庫にないものは、内容を問わず必ず写しを持ってくるべし。何者も汝らに粘土板を隠してはならぬ」という指示も出している。神殿に持ち込まれた記録から、ちょっとした個人間の手紙まで全て、だ[アッシリア]

2014-03-23 21:52:14
ななせん @dn7_bot

ではこうした図書館を作るために彼を突き動かした「執念」とは何だったのか? それは、偉大なるバビロニアの文明を受け継ぐ末裔で、それを新たに開花させるすべき者だという「自覚」であり、先進文明であった南方のバビロニアに対する、アッシリア人としての「文化的劣等感」だったのだ[アッシリア]

2014-03-23 21:58:32

8/3 『叙事詩』と翻訳

ななせん @dn7_bot

久方ぶりだな。長話の時間だ。今日は『ギルガメシュ叙事詩』について少しつづけて話していく。今回はこの大傑作の内容にはあまり触れないので、そういうものを期待した方々にはすまないな。では何についてかというと、『叙事詩』とその“翻訳”についての話をしようと思う[アッシリア]

2014-08-03 12:53:26
ななせん @dn7_bot

『叙事詩』はオリエントの諸地域・諸時代で翻訳がなされたところからも、いかにこの話譚が人々にうけたかよく解るのではなかろうか。そのなかで最多に発掘されたものを、通称“標準版”という。“ニネヴェ版”の別称のとおり、アッシリア帝国の首都ニネヴェ市の大図書館から発掘された[アッシリア]

2014-08-03 13:06:18
ななせん @dn7_bot

ニネヴェの大図書館がアッシュル=バニパル王によって建てられたことは先のまとめにても述べた。彼の治世は紀元前にして7世紀、具体的には前668年〜前627年だ。ところでこの『叙事詩』標準版はというと、前1200年頃に成立したとされる。……はて。このズレは何なのだろう?[アッシリア]

2014-08-03 13:28:36
ななせん @dn7_bot

前1200年頃のアッシリアで何があったか、振り返ってみねばならん。 丁度この頃にアッシリア帝国を統べていた王は、トゥクルティ=ニヌルタ1世という。彼はアッシリアでもかなり残虐な報復事業を書き残した……まァあえて言ってしまえば“アッシリアらしい”王として知られている[アッシリア]

2014-08-03 14:33:46
ななせん @dn7_bot

当時、南方のバビロニアにはカッシート朝が長く君臨していた。此処との間で国境紛争が起き、結果アッシリアが勝利して、バビロニアを撃破した。これはアッシリア史初の快挙で、宗主(俺は特に根拠も無いのに麾下扱いされていてな……)であり師匠であったものを屈服させたことになる訳だ[アッシリア]

2014-08-03 14:38:35
ななせん @dn7_bot

このときに莫大な戦利品として持ち帰られたものの一つが『叙事詩』だったという訳だ。ちなみにトゥクルティ=ニヌルタは、この前人未到の偉業を英雄叙事詩として語り継がせたのだが、これもまたバビロニアの詩の型式を踏まえている。バビロニアから引き連れてきた書記が携わったのだろう[アッシリア]

2014-08-03 14:51:01
ななせん @dn7_bot

前回述べたように、我々アッシリア人はバビロニアの文化の恩恵を有難く享受することで文明的な生活を営めていることを、最初から最期まで忘れやできなかった。このときも、確かに俺がバビロニアを征服したのだが、文化面では寧ろ“バビロニア側の勝利”ということもできよう[アッシリア]

2014-08-03 15:01:27
ななせん @dn7_bot

こうして当時アッシリア帝国の神官であったシン=レキ=ウンニンニという者が、トゥクルティ=ニヌルタの征服で齎されたバビロニア版を紐解きながら編纂しなおしたものが、これ以降アッシリアで脈々と書き残され、今日(こんにち)標準版として日の目を見るようになった。……という訳だ[アッシリア]

2014-08-03 15:11:07
ななせん @dn7_bot

他にも、冒頭で述べたとおり、フリ語版ヒッタイト語版など、『ギルガメシュ叙事詩』は様々な言語で訳されている。そして各々の言語によって、内容に多少の差異があったりもする。そのことに関しては、また次回お話ししよう[アッシリア]

2014-08-03 15:28:46