子日botまとめ「大和は片道燃料だったのか?」
- nenohi_bot
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お昼の小話だよ。 1945年4月5日は、大和さん達が沖縄目指して最後の出撃に向かう、その前日だよ。 この日には特別な意味はあまりないけど、まさに出撃の最終準備中だったことにちなんで「大和さんに積まれてた燃料の話」をするんだよ。
2014-04-05 12:00:15このとき、沖縄に向けて出撃する大和さんに積み込まれた燃料は「片道分だけだった」っていう伝説が広く知られてるけど… 実は当時の記録や証言を追うと、これは間違いみたいなんだよ。
2014-04-05 12:05:04まず最初に、片道分、って話が広まっちゃった理由としては、正式な命令としては確かに「片道分(2000t)だけ積載せよ」だったこと(記録あり)。 そして、超有名な手記小説「戦艦大和ノ最期」に「燃料は片道分だった」って書かれてたこと、なんかが大きいみたいだよ。 でも…
2014-04-05 12:10:03実は、まず「戦艦大和ノ最期」の作者さんは、大和さんの乗員であっても燃料とは無関係の部署の人で… さらに公式の命令の方も、結果として無視されたらしい証言、加えて大和さんの戦闘詳報(作戦行動時の現場の報告書類)に「4000t積載」の記録があるんだよ。これは沖縄への往復分相当だよ
2014-04-05 12:15:04そしてこの話で最大のポイントは「命令を結果として無視」の部分だよ。 実は、この時点で大和さんには片道分(2000t)以上の燃料が積まれていて、だから命令としては「片道分を残して抜き取れ」っていう指示が来ていたんだよ。 けど、それと同時に来ていたもう一つの指示があったんだって。
2014-04-05 12:20:03それが「出撃タイミングは現地司令官裁量」っていう指示、だよ。 情勢の変化に対応するための指示だったんだけど、これを逆手にとった司令官が、出撃時刻を大幅に前倒し。 結果として燃料を抜き取る時間がなくなった大和さんは、片道分以上の燃料を積んで沖縄に向かうことになった、みたいだよ
2014-04-05 12:25:01それで子日的にはこれって良い話だなって思ったんだけど…。 提督に聞いたら 「作戦自体が正気の沙汰じゃないのを別にすれば、片道の作戦に片道の燃料は当然のリアリズム。それを命じた司令部の指示は、ことさら非情の処置とは言えないよ」 だって。 つまり…
2014-04-05 12:30:10要するに、大和さん達はもう帰ってこないことが決まってるけど、残った人達はその後も本土を守らなきゃいけない。そのための貴重な燃料を無駄にするなんて!って怒った人もいたんだって。 ロマンで本土が守れるか!だってさ。 うーん、難しいんだよ。子日的にはやっぱりお腹は一杯の方がいいよ。
2014-04-05 12:35:06