- IWJ_matome
- 1883
- 0
- 0
- 0
連投75 RT @IWJ_ch1: 75.赤尾「1918年にウクライナ中央ラーダが独立宣言。これはナショナリストにとって現在まで象徴的な出来事ですが、この中央ラーダ軍がウクライナ国家を成立させようと画策。その間キエフでは数ヶ月で19回も政権が交代する」
2014-04-08 21:45:27連投76 RT @IWJ_ch1: 76.赤尾「交代するとユダヤ人はスパイ扱いされて殺される。ポグロムがこの内戦の21年ぐらいの3、4年で1300件以上。5万人から10万人が虐殺。孤児が20万人発生しています」
2014-04-08 21:45:50連投77 RT @IWJ_ch1: 77.「第一次世界大戦では、それぞれの参戦国でユダヤ人の志願兵がおり、ユダヤの同胞同士が数万規模で殺戮しあった。またロシア軍はスパイ容疑でユダヤ人を追放。とにかく受難に次ぐ受難です」
2014-04-08 21:46:28連投78 RT @IWJ_ch1: 78.赤尾「そして20年代、ソ連領になったウクライナ。ソ連は獲得した地域で、コレニサーツァ(土着化)と呼ばれる定住する民族の文化や言語の保護政策に出る。つまりウクライナ言語で行政をやったり、ウクライナ人を登用したりする」
2014-04-08 21:47:26連投79 RT @IWJ_ch1: 79.赤尾「ここで言う文化というのは、反宗教社会主義です。ですから宗教は徹底的に弾圧。これはユダヤ教でも同じで、キリスト教の教会も、ユダヤ教のシナゴーグも壊し、スポーツクラブにするなど、世俗の社会主義文化の中心地に替えていった」
2014-04-08 21:50:28連投81 RT @IWJ_ch1: 81.赤尾「ラヴィウを見世物裁判にしたり、神に裁判で死刑宣告を出したりして民衆を教化する。ユダヤ教の影響からユダヤ人を切り離し、世俗のソビエト的な体制に馴致させます。ここで完全に宗教とイディッシュの文化が分かたれる」
2014-04-08 21:50:57連投82 RT @IWJ_ch1: 82.赤尾「ですから20年代、30年代のソ連ではイディッシュの学校や劇場、文学は奨励されます。それは世界的にも稀なことだったので、西側にいたイディッシュ作家たちも一部戻ってくる。でも、最後にはスターリンにやられますが」
2014-04-08 21:51:20連投83 RT @IWJ_ch1: 83.赤尾「1928年、スターリンが独裁体制を敷こうと農業集団化の徹底化に乗り出す。そこで1932年から33年まで凶作があり、ほとんど人為的な形で大飢饉がウクライナとカザフに発生し、餓死者が400万人近く出た」
2014-04-08 21:51:46連投84 RT @IWJ_ch1: 84.赤尾「犠牲者の多くがウクライナ人。その後のウクライナ・ナショナリズムのなかで、この穀物地帯での大飢饉がいわば、ユダヤ人にとってのホロコーストのような、民族の悲劇として記憶されます」
2014-04-08 21:52:10連投85 RT @IWJ_ch1 85.赤尾「それで30年代前から始まる大粛清。これでまた物凄い数のウクライナ人が殺されます。この37年の大粛清は、特定の民族をパージしたわけではないですが、スターリンは30年代を通じて、20年代のウクライナ化をした人たちをほぼ全員皆殺しにした」
2014-04-08 21:52:48連投86 RT @IWJ_ch1: 86.岩上「このウクライナ化の中止。当初のソ連は西側より先進的であることが売りで、各民族の自治や言語など、多様な文化と民族を認めたことにした。実際には中央集権ですが。宗教だけは阿片だとマルクスが言った通り認めなかったですが」
2014-04-08 21:53:13連投87 RT 87.岩上「ところが30年代からのスターリン時代には各民族化を中止していく」。赤尾「ロシア中心化していく」。岩上「だからウクライナが反ボルシェビキ、反共産主義、反ソ連、反ロシアになるのは分かりますが、一方、同時に反ユダヤも併せ持つのはなぜでしょう?」
2014-04-08 21:53:43連投88 RT @IWJ_ch1: 88.赤尾「それはユダヤ・ボルシェビズムの神話。内戦期に広まったのと、後にナチスが広めるものがありますが、ロシア革命がウクライナ人にとって意味したことと、ユダヤ人にとって意味したことが相当違うわけですね」
2014-04-08 21:54:24連投89 RT @IWJ_ch1: 89.赤尾「帝政時代にはウクライナ人もユダヤ人も等しく抑圧されましたが、ロシア革命により、30年代全般を通じて、少なくとも独ソ戦まで、ユダヤ人は色々な場に進出していけたし、ユダヤ人だからといじめられることはなくなりました」
2014-04-08 21:54:37連投90 RT @IWJ_ch1: 90.赤尾「トロツキーの鉄の鉄則が30年代は受け継がれ、モスクワで反ユダヤ主義的なことを叫んだり落書きしてバレたら……」。岩上「シベリア送り」。赤尾「したがって反ユダヤ主義は沈静化する。他方、ウクライナ人の一部に鬱屈したものも出てくる」
2014-04-08 21:55:40連投91 RT 91.赤尾「このユダヤ・ボルシェビズム論は戦前日本の軍部の間でも広まりましたが、それが今になってネットを通じてぶりかえしている。『シオン議定書』をそのまま載せたり、それに絡んでアンネの日記の捏造論が持ち出されたり。完全にナチのプロパガンダと同じです」
2014-04-08 21:56:29連投92 RT @IWJ_ch1: 92.赤尾「革命運動でのユダヤ人の役割となると、ボルシェビキの中にいるにはいた。幹部ですね。でも、たとえば二月革命のとき、ボルシェビキは2万人以上いて、ユダヤ人は360人ぐらい。そんなに多くないですね」
2014-04-08 21:56:57連投93 RT @IWJ_ch1: 93.赤尾「確かにボルシェビキ指導部の中にユダヤ人はいたことは確かで、レーニンも祖母がユダヤ系。統計では23年から30年のソ連政府の官僚の23人中の5人がユダヤ人。多いですが、ボルシェビキをユダヤ人が支配していたとまでは言えない」
2014-04-08 21:57:41連投94 RT @IWJ_ch1: 94.赤尾「あとは、スターリンの側近で非常に悪名高いユダヤ人が二人います。ヤゴーダという人物は、スターリンの1937年の大粛清の一歩前、1934年から36年にかけての粛清を取り仕切っていた」
2014-04-08 21:57:48連投95 RT 95.赤尾「それからカガノーヴィチという人物はウクライナ出身で、ウクライナのナショナリストを弾圧した張本人の一人。また大飢饉の責任はそれなりにある。しかし複数のうちの一人です。全てのユダヤ人がウクライナ人を嫌って皆殺しにしたのかは、確認しようがない」
2014-04-08 21:58:18連投96 RT 96.赤尾「ソ連のユダヤ人がそれなりに恵まれ、相対的に反ユダヤ主義から守られていたとは言えると思います。また、教育の門戸が開かれ、ソ連初期にはユダヤ人が都市に大量流入し、大学に入学する。キエフ大学では20年代末ぐらいに学生の35%がユダヤ人でした」
2014-04-08 21:58:57連投97 RT @IWJ_ch1: 97.赤尾「医学部などにはかなりユダヤ人がいた。ロシア帝政時代は自分より下にいたユダヤ人が、今では羽振りがいいので、ウクライナ人には嫉妬心が生まれ、憎悪に転じる」
2014-04-08 21:59:23連投98 RT @IWJ_ch1: 98.赤尾「異民族同士の結婚という観点からみると、ロシアでユダヤ人とロシア人とが結婚する割合が40%ぐらい。ロシアとユダヤの近さのようなものがあった一方、ウクライナの場合は1936年で15%ですから少なかった」
2014-04-08 21:59:53連投99 RT 99.赤尾「もう一つは言語の同化。言語的には元々ウクライナのユダヤ人はイディッシュ語でしたけども、1926年で25%がロシア語を母語にしていて、1939年の独ソ戦直前は50%を超えます。ウクライナ語は分かるけど、母語にするユダヤ人はほとんどいなかった」
2014-04-08 22:00:22連投100 RT @IWJ_ch1: 100.岩上「もともと自分たちウクライナ人の足下にいたというイメージのユダヤ人。革命を経たロシアに自分たちが組み伏せられる一方、ユダヤ人の一部が豊かになり、学問をやれるようになり、ロシアびいきになっていく姿を横目で見ている」
2014-04-08 22:00:46