正教会における「神(しん)」と「霊(れい、たましい)」 - 「正教は三分割論」は誤解です。
- suzutuki1980
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"The unity of the human person: The body-soul relationship in Orthodox Theology? by Bishop Kallistos of Diokleia
A human being is neither the body or the soul on its own, but only that which is formed from the combination of the two.
人間は體自体でもなく靈自体でもなく、この二つの結合から成るものであるのみです。
(カリストス・ウェア府主教)
THE ORTHODOX CHRISTIAN CONCEPT OF MAN by Fr. Stephen Fraser
Man has one nature —human. He is a unity of body and soul, the latter being called “spirit” in its higher aspect.
人には一つの本質「人」があります。人は體と靈が合わさったものであり、後者は高次元の部分において「神゜(しん)」と呼ばれます。
(ステファン・フレイザー神父)
碩学:イオアン長屋房夫神父様による東方キリスト教学会「エイコーン」第41号に掲載された「東方正教会の霊性について」に則って以下、申し上げます。正教会では「体」「靈(たましい)」「神(しん)」の三分割論が信じられていると誤解される事がありますが、事はそう単純ではありません。続
2014-04-14 00:49:27承前)伝道会参加者の皆様には何度も申し上げている事ですが、亜使徒聖ニコライ・中井訳聖書、および正教会の祈祷書における「靈(プシヒー)」と「神(プネヴマ)」(転写はいずれも現代ギリシア語)の綺麗な訳し分けは知られている事です。(続
2014-04-14 00:51:26承前)だからと言ってこれは正教が三分割論に則って居るという事を必ずしも意味しません。伝道会では「訳し分けが綺麗になされていますが、安易に分割して考えたり、あるいは『三分割論』を正教会が採って居るとは考えないで下さい。そう単純ではありません。」と申しております。(続
2014-04-14 00:52:24承前)そもそも「靈」のルビが「たましい」となっている場合と、「れい」となっている場合とがあり、前者は生命・心・からだ・肉体と精神を強調し、後者は心・精神と同義であると、イオアン長屋神父は指摘しておいでです。(続
2014-04-14 00:56:54承前)これに則って考えますと、成程、正教会では「人卽生ける靈(たましい)と爲れり」(三歌斎経内:正教会訳創世記)と創世記2章7節が訳されているのについても、「肉体と精神を強調しているので、ルビが『たましい』になっている」と説明することも可能です。(続
2014-04-14 01:00:23承前)イオアン長屋神父様は「正教会において頻繁に語られる『靈(たましい)の救い』とは、決して霊(れい)だけの救いを意味するのではなく、霊と体の救いを表明している。」と述べて居ます。…この時点で「正教会では三分割論」は単純に過ぎるのは明らかと思いますが(続
2014-04-14 01:03:22承前)基本的に正教会は靈(ψυχή)と体(σώμα)の二分割論です。三分割論(神πνεύμα、靈ψυχή、体σώμα)は、より詳細に人間存在を理解しようとする時に使われなくもありませんが、アポリナリオス異端に使われた過去もあり、警戒される面があります。(続
2014-04-14 01:09:53承前)聖師父においても二分割論が優位であり、三分割論が論じられていても、ニッサの聖グリゴリオスにおいては、靈(ψυχή)の至高の能力としての神(しん、πνεύμα)を意味するとされています。 ここまでの主要参考文献の言及→ https://t.co/5cnroiQCLn (了
2014-04-14 01:17:11承前)補足しておきますと、聖書ではかなり綺麗に「霊」「神(しん)」の訳し分けがされているのですが、また祈祷書でも基本的にはそうなのですが、後者(祈祷書)では必ずしもそうではない所も少なく無い事を付言します。
2014-04-14 01:21:27http://t.co/b2lhJFxD14 ちなみに、シリアの聖エフレムの祝文で出て来る「情(読み:こころ)」は、ギリシャ語原文では πνεύμα です。訳語が「神(しん)」ではない代表的な事例の一つですね。続
2014-04-15 00:35:56承前)「神」を漢和辞典で調べると「こころのはたらき」という意味があり、これを聖ニコライはπνεύμαの基本的な訳語に当てられたのですね。「そんな意味、現代日本語に無いよ笑」と思われたかもしれませんがちゃんと今でも使われている語義です。「精神」「神経」「失神」「神髄」「心神」等々…
2014-04-15 00:40:25