ゲームデザイン討論会 第四回
#game_dsgn @miyayou それはよく分かります。近頃はアナログゲームのゲーム会が隆盛で、毎週末どこかでやっています。こうしたゲーム会の魅力は、もちろんその意味の「語り」にあると考えられます。
2014-04-23 23:34:25#game_dsgn また少し同じテーマで角度を変えたいのですが、プレイヤー同士の手はもちろんロジカルに決められたものですが、プレイヤーが自分の考えを表現できるようになっていることが、アナログゲームの面白いさの一つだと自分は考えています。
2014-04-23 23:36:02#game_dsgn @miyayou 特に「人狼」系のゲームは、「語り」の部分に特化したゲームであるとも言えますね。それが大変、隆盛です。
2014-04-23 23:37:17#game_dsgn 一番柔軟な形では言葉で言ってしまえばいいのですが、出すカードや、場に捨てたカードや、取引きの条件だったり、ゲーム上で考えるいろんなことを、その場で表現できる、ということはアナログゲームはうまいなあ、と感じています。この点について、どう思われますでしょうか?
2014-04-23 23:37:34#game_dsgn 実際に声を出す、ゲーム内で声を出す、ということは、ゲームプレイヤーのゲーム体験をかなり肉感的なものにしていると感じます。デジタルゲームで実況が流行るのも、そこにプレイヤーの肉声が入ることで、見ている人が、より実体験的なトレースを可能にしていると思います。
2014-04-23 23:39:50#game_dsgn 最近はそうではありませんが、2000年少しぐらいは、デジタルゲームはユーザーから声を奪っていた気がします。ひたすらもくもくとプレイするぐらい没頭していました。
2014-04-23 23:42:54#game_dsgn @kusabazyun はい。出すカードはやはり相手がどう思うかまで考えて出している、と思うのですが、それはとても「語り」と似ていると思います。言葉がそうであるように。もちろん、それがロジカルに考えた上であったとしても、やはり出す瞬間にはそうだと思うのです。
2014-04-23 23:44:23#game_dsgn たとえば数年経っても覚えているような良いゲームでは、完全なロジカルだけを思い出すというよりは、やはり相手プレイヤーが「一手」に込めた意図や考えが思い出されると思うのです。そういうとき、自分はその人とゲームというルールの上で対話していたと思えるのではと思います
2014-04-23 23:48:16#game_dsgn @miyayou なるほど。出すカード、進められる駒、打たれる石もまた、「語り」であるということですね。いや、むしろ私にそういう発想はありませんでした。ゲーム中の会話、おしゃべりの意味なら考えてみたことはありましたが。
2014-04-23 23:48:17#game_dsgn @kusabazyun ありがとうございます。相手の「意図」が反映されないゲームはやはり退屈なのでは、と自分は考えてしまいます。受け取った手、相手が打った一手に「意図」が込められる、込められているのがわかるゲーム、盤上で語り合えるゲームが面白いのではと。
2014-04-23 23:51:51#game_dsgn @miyayou はい、意味のない手は覚えられません。複雑でも昔の事でも、意味のはっきりした手は、記憶に残ります。そこに相手の意志はもちろん、人格を感じることすらあります。それを「語り」と捉えるのは、確かに面白い見方と思います。
2014-04-23 23:52:19#game_dsgn @kusabazyun やはり長く遊ばれるゲームは、ゲーム上とは言え、プレイヤーのいろいろな意図を引き出しているのでは、と。例えば、「あーおまえは~をするつもりだな!」という会話はボードゲーム会で自分はよく聴きます。
2014-04-23 23:54:09#game_dsgn @kusabazyun カタンでは「あーロンゲストロードを狙っている, ふりをして、ここに街を作るつもりだろ!」とか、そういう会話が出て来るゲームはやはり面白いかな、と。ゲームデザインとしても、そういうものを狙っているのかなあ、と思ったわけであります。
2014-04-23 23:54:58#game_dsgn @miyayou もちろんランダムに動かす相手とプレーしても詰まりません。ゲームは意図と意図とのぶつかり合いとも言えます。なるほど、そこを会話、語り合い、と捉えるのですね?
2014-04-23 23:55:29#game_dsgn @miyayou カタンの例はよく分かります。で、私にまだ分からないのは、そうした「手の応酬」が「語り」なのか、そのとき交わされる会話が「語り」なのか、ということです。両方かな?
2014-04-23 23:57:57#game_dsgn @kusabazyun 「語り」は手で十分かと思いますが、時に「言葉」にもなる、というものだと思います。たとえば、囲碁でプロ棋士同士は言葉で話しませんが、碁会所では。話しながら打ちます。
2014-04-24 00:00:12#game_dsgn @kusabazyun ゲームにおける語りはゲームデザイン自身の中で定義されているはずで、自然言語は必要ないはずだと思いますが、日常言語で表現できる部分もあるから話したくなるのでは、と。
2014-04-24 00:01:36#game_dsgn @kusabazyun その意味で、ゲームデザインそのものが、コミュニケーション・プロトコル(意図の交換の方法)を定義しているのだと考えています。
2014-04-24 00:01:45#game_dsgn @kusabazyun ありがとうございます。今日も時間が来てしまいました。今回は自分からテーマを押し付けてしまいましたが、丁寧に聴いて頂いたおかげで、私自身詰めきれていなかったところに気付かされました。
2014-04-24 00:04:00#game_dsgn @kusabazyun 次回からは、もう一人ほど論客を招いて3人で議論を広めたて行ければと思っています(見つかれば)。
2014-04-24 00:05:42#game_dsgn @miyayou いえ、「語り」ということをそのように捉えるというのは、私にはない発想でした。ありがとうございました。
2014-04-24 00:07:08#game_dsgn @kusabazyun はい。意図の交換という明快なやりとりは日常言語の複雑性を還元した所にあって、そのエレガンスさが、アブストラクトゲームの魅力の一つかなあ、と考えています。快心の手を打たれた時の面白さというか、悔しさというのも、相手の意図にしびれます。
2014-04-24 00:08:00