渡邊芳之先生ynabe39の「美味しんぼにしたってみんな昔は熱中して読んでたから怒ってるんで、俺は昔から大嫌いだったから今さら頭にも来ない。」

公的には「あると言えないものはない」という立場で仕事しているが、個人的には「ないと言えないものはあるかもしれない」と思って行動している。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

まあ「鼻血が出てるのは事実」なんだよね。

2014-04-30 08:44:40
渡邊芳之 @ynabe39

俺は自室に一人でいると鼻血が出る。

2014-04-30 08:48:56
舞雪 @mayuki_kiryu

@ynabe39 私は鼻くそほじり過ぎて普通に鼻血出ます。←おい(゚Д゚;)幼少時代も結構、鼻血出してました。鼻の粘膜が弱いと出るかもしくは鼻炎か何かで出るんだなと考えてます。

2014-04-30 08:54:13
ポロリ・マンチン・ムッキーamaotom @amaotom

@ynabe39 私は風呂場か洗顔中に出ることが多いです

2014-04-30 08:54:31
hinata yoshikazu @hinata_yo

@ynabe39 避難からの疲労やストレスの蓄積、環境や意識が変わったこと、ビタミン不足、転職や収入減で無理してる、更にはまだ3年程度しかたってない、これから数十年は原発事故と付き合うなどのストレスや血圧などを、美味しんぼはおいしい料理で解決すればいいのに。フィクションですから。

2014-04-30 09:00:34
shure @shure_geru

@ynabe39 当たり前だけど、独立事象の間に、相関が有るとも無いとも統計的には言えない事柄について、有るとか無いとかバカバカしくて、で、もうちょっというと有ると言い切るのはキチガイとか言ってるのも悲しい事象だなと、、

2014-04-30 09:01:30
渡邊芳之 @ynabe39

あれこれ言う前にまずは戦没者の遺骨収集もっとちゃんとやれと。

2014-04-30 09:06:15
渡邊芳之 @ynabe39

「都合のいい時だけ利用される」というのは「英霊」だって同じだ。

2014-04-30 09:09:29
Ratata aka ラッタッタ @ratata_ratata

ストレスで鼻をほじり過ぎちゃうんだろうな。 RT @ynabe39: まあ「鼻血が出てるのは事実」なんだよね。

2014-04-30 10:52:15
渡邊芳之 @ynabe39

鼻血はもしかしたらいつもより余計に出ているのかもしれないが原因は不明,というのが誠実な立場。

2014-04-30 11:33:12
渡邊芳之 @ynabe39

「被爆が原因だと言うな」というのはよくわかるしそのとおりだと思うが「被爆が原因ではないと言え」というのは別の話。

2014-04-30 11:39:52
渡邊芳之 @ynabe39

「悪が目の前にあるのにそれへの批判に加わらないのはそれ自体が悪だ」的なことにはどんなに攻撃されようが絶対に参加しない。

2014-04-30 11:43:17
蒼き夜に @aokiyoruni

「いつもより余計に出ている」の根拠は無いですね RT @kikumaco: それに「ただし、被曝が原因ではない」とつけ加えなければ誠実とはいえない “@ynabe39: 鼻血はもしかしたらいつもより余計に出ているのかもしれないが原因は不明,というのが誠実な立場。”

2014-04-30 12:08:49
渡邊芳之 @ynabe39

これはこの前も書きましたが,われわれ人文社会系でデータを扱う研究者は「○○が増えている」と言われたらまず「じっさいには増えていないが認知や報告が増えているのでは」と考えることがデフォルトです(続く)。 “@aokiyoruni: 「いつもより余計に出ている」の根拠は無いですね

2014-04-30 12:10:34
渡邊芳之 @ynabe39

(従前)しかし現実には「認知や報告の増加を統制してもじっさいに増えている」ということがあって,それを「デフォルト」の先入観のせいで見逃す,ということがあります。発達障害の問題ではそういう現実がありうかもしれないという報告が上がりつつある。

2014-04-30 12:12:20
渡邊芳之 @ynabe39

先入観というのはどちらの方向にもあり得るということです。ここでも現実は「わからない」ということです。私は「わからない」ということにこだわりたいです。

2014-04-30 12:15:00
渡邊芳之 @ynabe39

もともと「鼻血は被曝が原因」と言いたいのも「わからない」といえない,原因がわからないままにできないからだと思います。

2014-04-30 12:17:10
渡邊芳之 @ynabe39

言いかえれば自分は第一種の過誤だけでなく第二種の過誤についてもこれからも恐れ続けたいと思っている,ということです。以前この問題について菊池先生と話した時に菊池先生は(すごく乱暴にまとめれば)科学の時代なのだからそうでない時代に人間が進化の過程で形成してきた(続く)

2014-04-30 12:37:24
渡邊芳之 @ynabe39

第二種の過誤への過敏さはだんだん修正されていくだろうしそうであるべきだ,ということをいわれた。これはもちろんひとつの説得力のある矛盾のない考え方だし,それに共感する人も多いだろうと思います。

2014-04-30 12:39:26
渡邊芳之 @ynabe39

ただ私はやはりそこで「そうかなあ」と思ってしまう。「あるという証拠はないけどあるかもしれない,もしあったらどうする」ということへの過敏さは(昨日か一昨日も書いたように)「個人の人生」ではいまも過去と同様に適応的なのではないかと思うわけです。

2014-04-30 12:41:26
渡邊芳之 @ynabe39

「敵にもならないが味方にもならない」やつのほうが敵より余計に頭に来るというのは正常だと思う。

2014-04-30 12:46:18
渡邊芳之 @ynabe39

私の場合はまず例外なく「悪への批判をやめる」方向に進みます。それが「ひねくれている」ということです。 “@tkyk_insensatez: そうした「攻撃」にさらされる状況と、自分の意志としてもその悪を批判しなければならないと思う状況が、両立したときが悩ましい。

2014-04-30 12:48:44
渡邊芳之 @ynabe39

これも「他の人が言うならいいけどフォロワーの多いあなたの場合は配慮が必要です」的なことの仲間なんだろうとは思う。

2014-04-30 13:03:17
渡邊芳之 @ynabe39

旗幟鮮明なのと旗幟鮮明でないのでどっちが生き残るかと言ったら旗幟鮮明なほうだというのは歴史を見ればわかることだ。

2014-04-30 13:05:51