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『CLANNAD』発売10周年おめでとうございます! (原作至上主義者です) http://t.co/93FocWhymC
2014-04-28 20:52:53『CLANNAD』については、諸々と言いたいことがある。私にとって、これは「畏怖すべき失敗作」というものなのだけど...。まあ、今日のところは祝!だけにして、明日にでもツラツラと書くことがあるかもしれないです。
2014-04-28 20:56:03長い髪の色は、亜麻色。 白い手足を折りたたんで、春のこもれびの下、安息している。 すぐにでも終わってしまうかもしれない、ひとときの眠りとともに、私たちに姿をあらわす少女。 #CLANNAD
2014-04-28 21:02:45#Nowplaying riya「小さなてのひら」(from CLANNAD) https://t.co/7HTa9I9LUV はぁ、ひさしぶりに聴きたい。あと、熟れたぶどうが食べたい。
2014-04-28 21:33:46愛娘の名づけの元ネタなんだし、三島由紀夫賞作品の下敷きでもあるんだから、東浩紀にはCLANNAD十周年になにか言及してほしいですよな
2014-04-28 21:43:39たいへん複雑な構造をもち、謎の多い、「問題作」としてのクラナドについて。 不気味で、いびつな、「畏怖すべき失敗作」としてのクラナドについて。 しばし、考えながら書き、書きながら考えてゆきます。 #CLANNAD私論 #CLANNAD十周年
2014-04-29 21:10:25すでに不朽の「感動作品」として殿堂入りしている感のあるクラナド。アニメ化のヒットによってその評価は、より強化されたし、より固定化された。 しかしそれ以前に、クラナドは、ちょっと正気の沙汰とは思えない「問題作」ではなかっただろうか?
2014-04-29 21:12:06「問題作としてのクラナド」を再発見するためには、あえて京アニ版を批判してみることが補助線になる。 敢えて、あれは本来のクラナドとは別の作品になってしまっているじゃないか!と断じてみる暴言が意味をもつ。
2014-04-29 21:13:43京アニ版クラナドは、原作の核心部分をすっかり殺して、別物にすりかえてみせた、見事な失敗作だとしか思えない。 しかも記念すべき第1話の時点で、その大失敗が運命づけられているのだから惨憺たるものだった。こんな作品他に無いよ!と衝撃的だったことをよく覚えている。
2014-04-29 21:15:50京アニ版では、作品全体の冒頭に位置づけられるはずのトゥルーヒロイン「幻想の少女」が、第1話の中程に挿入され、他キャラたちに埋もれている。しかも、常に「可視化」されてしまっている。これは完全にアウトだ。これでは罪も憐れみも、それらを巡る緊張感も立ち消えてしまう。
2014-04-29 21:17:26「幻想の少女」の視覚化。この惨憺たる大失態は、アニメという映像メディアがもつ過剰視覚化という性なのか、あるいは京アニの「ヒューマニスト的」な傾向から来た誤りなのか。 いずれにせよ「過視的」なこの時代による、「不可視的」な領域への冒涜のようにすら感じられた。
2014-04-29 21:19:25京都アニメーションの黒歴史。初の自社TVCM(参考資料として) https://t.co/vxocMumDbg …放映直後から「どこの宗教団体だよwww」と大不興。即撤退。宗教臭とヒューマニズム臭が両立することってあると思うんだけど、その好例となってしまったか。
2014-04-29 21:20:51クラナドは、全てのキャラに愛(シナリオ)を与えようと企んだ。このことは、よくよく考えると正気の沙汰とは思えない試みだ。万人救済的かつヒューマニスティックでもある、異様なまでの執念。 京アニはこれらを描くことに関して突出している。単純にキャラ系TVアニメとしては最高の演出力を誇る。
2014-04-29 21:22:42どんなキャラにも救済的なエピソードを与えようとする麻枝准の狂気は、膨大なテキスト量のパラレル世界をつくりあげた。ただし、この万人救済的な方向性は、ある条件と接続することによってのみ成立する。光の玉。すなわち「幻想の少女」の妊娠、胎動、出産にかかわることとは切り離せない。
2014-04-29 21:24:14妊娠~出産への強い関心は、アフターストーリーにおける朋也・渚・汐のドラマの次元でも語られはじめる。NHKの朝ドラなみのボリュームで描かれる日常生活の流れ。その中で「つわりの仕組みは、現代の医学でもよくわからないらしい」などと、妊娠への神秘主義的な関心もつづられる。
2014-04-29 21:26:30クラナドは、パラレル構造の性格がつよい無印を前半に、ループ構造を基本にしたアフターストーリーを後半に置く。 膨大なテキスト量どうしの合体。巨大な隕石どうしを衝突させたような、いびつな全体構造。 狂ってる。こんな作品が単なる感動的なヒューマンドラマで終わるはずがない。
2014-04-29 21:28:32光の玉。星座を形づくる一つひとつの星々。 各キャラ個別のエピソードは、無印においてもアフターにおいても、常に一粒の光を産むことと共にある。そして光が次々と置かれるべきは、新緑の木漏れ日の下。つまりタイトル画面であることを私たちは知っている。
2014-04-29 21:30:23プレイヤーである私たち(だけ)は、光が一つ増える度、またはキャラたちの生活世界の合間に「幻想の少女」のターンが挿入される度に、兆候、予兆、期待と不安にさらされるようになる。ループ的ゲーム体験が、待ち望む姿勢へと私たちを巻き込む。 ・・・いつ産まれるか? 今か、今か?という兆候へ。
2014-04-29 21:32:51全キャラが救われ、すべての星々がタイトル画面に配置されたとき、光が共振して、もう待ちきれないとばかりに明滅をはじめる。胎動。たしかな出産への予感。 しかし重要なのは、この爆発寸前の段階に至るまで、「幻想の少女」はただの一度も姿を見せないことだ。声だけで「存在」する者として。
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