「秘密の湖」展
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1)詰まるところ「美」なのではないか。言葉としては手垢に塗れ、すっかり陳腐化されてしまった感があるが、それでもなお美としか呼べないものをこそ我々は追い求めているのではないのか。
2013-05-21 06:40:222)もちろん美はありきたりである。周りを見回せばいくらでも転がっている。感度を研ぎ澄ませば汚物の中にだって美は見出すことができる。それでもなお、美は我々にとって、あらゆる局面において依然大きな価値基準であり続けている。
2013-05-21 06:41:253)しかし人間にとって美は必ずしも善きものであるばかりとは限らない。多くの人命と共に崩れ落ちる高層ビルや迫りくる巨大な津波の映像にも人は美を感じてしまう。つまり美は人間の倫理や論理を超えている。
2013-05-21 06:42:374)言ってみれば人間にとって美を感受することは、神の存在に触れるのに近い。完璧な美を目前にしたとき、人は神の作った方程式を見付けたような心持になることだろう。どんな小さな美にも、そこには世界の成り立ちの秘密を解くための鍵が隠されている。
2013-05-21 06:43:145)美をめぐる最大の問題は、美が実体を持たないことにある。万人が納得する「美しさ」の象徴を表すのは不可能である。なぜならば「美そのもの」はこの世に存在しないからだ。
2013-05-21 06:44:096)美は「美」である以前に、常にナニカである。それは花であったり光であったり鉱物であったり気象現象であったり恒星であったり人間であったりする。自然の創造したもので美であることのみを存在の理由とするものはひとつもない。
2013-05-21 06:44:568)美が意味を先行した瞬間、この世界を成り立たせているルールは瓦解する。例えば紙魚が古書の頁に空けた穴が「美しく」見えるとき、人はそこに世界の不思議を見るだろう。その場合に世界を構成する意志の主は、紙魚ではなく神的な存在である。
2013-05-21 06:46:209)しかしもし紙魚が食欲を満たした結果としての偶然ではなく、自らの意志で「美」を志向し、美の創造のためだけにそれらの穴を空けていたのだとしたらどうなるか。神は失墜し、この世界を成り立たせていた原理は崩壊するのではないか。
2013-05-21 06:46:5810)では、人の作る美はどうか。人が創造する美も、美のみを理由には存立しにくい。例えば美の価値の比重が比較的大きい芸術である工芸がなぜ「用の美」なのかを考えればよくわかる。そこでは用という土台(言い訳)こそが美を顕在化させるための条件となっているのだ。
2013-05-21 06:47:4111)用途のない工芸作品も「用途がない」と感じさせている時点で、それは既に美を顕在化させるための土台(工芸)たりえている。たとえ実用性がなくとも、それは決して「美だけを目的としたなんでもないもの」ではないのだ。
2013-05-21 06:48:1712)では純粋美術、すなわちファイン・アートの場合はどうか。これもまた「美術」やら「絵画」やら「彫刻」やらの概念が、美を実現させるための土台(または歯止め)となっている。歴史や制度(ルール)がどうしようもなく必要とされるのも、美が意味に先行することの危険に耐えられないからだろう。
2013-05-21 06:49:1313)つまり「美術」の枠内で作られた美は、基本的には世界の存立を脅かさない。それは世界を構成する一要素として「意味」に回収されうるからだ。意味とは即ち究極的には「神の意志」に類するものへと連なるもののことである。
2013-05-21 06:49:5014)対して世界にとって危険なのは、既存のコードに依らず、無前提にただ美だけを目的に「美しいもの」を創り続けるような存在である。それは神の意志をも書き換えるものだ。
2013-05-21 06:50:2015)その存在はあらゆる意味を無効化するだろう。この世界における役割、すなわち存在の意味を剥ぎ取り、その第一義を「美」へと書き換える。
2013-05-21 06:51:0216)それらの成果を目にしたとき、我々はまずその行為の純粋性に驚くだろう。そこには「美」以外の何の意味も含まれていない。その無意味性は脅威である。それは世界の存在の秘密をも書き換える行為だからだ。
2013-05-21 06:52:0617)あるいはそれは、我々の気付かずにいた世界の隠された姿を暴く行為なのかもしれない。しかしそこで新たに姿を現した世界は、我々がもといた世界とはもはや別物なのではないだろうか。
2013-05-21 06:52:2818)そして我々は知ることになる。この世界の危うさを。一匹の紙魚が食欲ではなく「美」を目的に紙片を喰らいはじめただけで、世界を構成していた論理はいとも簡単に崩れ去ってしまうのだ。
2013-05-21 06:52:5419)つまり結論としては、以下の仮説に辿り着く。曰く、福田尚代は「美」を生み出すことを目的に世界を穿つ紙魚である。 (以上、ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション「秘密の湖~浜口陽三・池内晶子・福田尚代・三宅砂織~」を見ての感想)
2013-05-21 06:53:49@drawinghell さんが、「秘密の湖」展にからめて連続にツイートしてくださっていた。水野亮さん、どうもありがとうございます。
2013-05-21 22:14:00そもそも、消せば消すほど、その存在が浮かび上がるところが、言葉にはあるように思うのですが、作品を人前に差し出したら、(消したはずの言葉が)、どこかで、誰かの上に、別の組み合わせになってふいにあらわれる、という現象を、現実のこととして味わわせて頂きました。作品をめぐる言葉について。
2013-05-21 22:26:41それは、今日は私には水野さんの言葉だったけれど、私の知らないところで作品と誰かほかの人とのあいだにも起きていたことかもしれない。私のこの言葉も、誰かが消した言葉が私のからだを通りすぎていった果ての姿かもしれない。
2013-05-21 22:36:57アカウントの頁に、偶然にも、ピアノを弾く矢野顕子さんと、文字を書く女性の姿の、二枚の静止画が並んでいる。見るたびにふたつの行為がとても似ていることを思わせられる。
2013-05-22 17:04:24