高山明「演劇を拡張する #1——いま、高山明が語る演劇原論」(2014.05.07 五反田ゲンロンカフェ)
ブルックはリサーチ/ワークショップが演劇の場だと言っている。彼は小説を読むよりも実際の患者のリサーチをして、ワークショップを開いている。 http://t.co/BwVM72oBxZ #nicoch2580193 #genroncafe
2014-05-07 19:27:57「妻を帽子と間違えた男」を制作する際に4人の役者が精神病院でワークショップを行って研究をしている。 #genroncafe
2014-05-07 19:28:05もうひとつはドキュメンタリーをしていること。ドキュメンタリー演劇。最近ではリミニプロトコルなど。素人を舞台に立たせて彼らの人生や仕事を説明させている。しかしブルックはプレゼンテーションをリプリゼンテーションをしていて、そのほうがシンパシーを感じる。 #genroncafe
2014-05-07 19:31:43もうひとつは観客との関係性を演劇にしている。またそこから派生するが、観客論を軸にした演劇でもある。舞台と観客の関係の中で成り立つものこそ演劇であるということ。 http://t.co/woySjjoyU9 #nicoch2580193 #genroncafe
2014-05-07 19:34:45アフリカツアーに行って「演劇」を見たことのない村に行って、じゅうたん1枚で舞台を作って村人にみせる。何が起こっているのかわからない村人は飽きると去ってしまう。どう飽きないようにするかをひたすら研究した。 #genroncafe
2014-05-07 19:36:42グロトフスキーというポーランドの演出家は修道院にこもり、演者と観客を一体化したような演劇実験をしていた。 http://t.co/8vV0ZWaNat #nicoch2580193 #genroncafe
2014-05-07 19:38:46パリでは妄想(求心的、自己が世界の中心で、自分がすべてを呑み込んでしまう感覚)の体験と、覚醒(拡散的、即物的、統合していたものが分離していき帰っていく感覚)の体験をした。 #genroncafe
2014-05-07 19:52:08ベンヤミンの『ベルリンの幼年時代』に印象的な言葉がある。都市の中で迷うには修練を要する。いかにして意識的に迷子になるかという技法。アヴィニョン演劇祭の市街地で迷子になった。劇場では、コップやワインボトルの大きさが分からなくなり、知覚が迷子になった。 #genroncafe
2014-05-07 19:59:54『ベルリンの幼年時代』(ベンヤミン)との出会い。都市で迷うということ→迷子の技法が必要。劇場での知覚の迷子(仕掛け)。迷子→世界と出会いなおし、世界を問い直すこと。不確定な距離感のずらしがひたすら行われること。演劇は世界と出会い直す仕掛け。#genroncafe
2014-05-07 20:02:00高山さんが今おっしゃっていた「迷子」の話は、坂口恭平がむか〜しどこかで言っていた、レイヤーの話とか解像度の話に近いものがある気がする #genroncafe
2014-05-07 20:02:02迷子の感覚とは、自分の中に整理されている都市や物事の感覚が、それぞれの世界に帰っていき、その中を回遊するような感覚。それこそがベンヤミンが行っていた迷子の技法ではないか。世界と出会い直し、知覚を問いなおす契機になった。これこそが演劇ということではないか。 #genroncafe
2014-05-07 20:02:15高山明「演劇を拡張する #1——いま、高山明が語る演劇原論」 @akirat16 #nicoch2580193 #genroncafe http://t.co/FK63i93xJq
2014-05-07 20:08:47世界と「出会いなおす」ための 「黒い森にある修道院の話」 「定例会」というゲームみたいなものがあり、二つのチームに分かれてそれぞれで問題を出す。Aチームには都市名をたくさん答え、Bチームには川の名前をたくさん答える。多く答えたチームの勝ち。 #genroncafe
2014-05-07 20:10:52世界に物が帰っていくこと、このことが演劇をするもっともプリミティブな意味だと考えている。もうひとつは言葉にすること。 #genroncafe
2014-05-07 20:14:25劇場の観客席の部分はテアトロンと呼ばれていた。それが今でも演劇の語源になっている。また日本語の芝居という言葉はかなり演劇の本質を突いている。芝に居ること、つまり客席にいること、観客であること。 #genroncafe
2014-05-07 20:16:01客席が演劇の本質であるとすれば、近代演劇の創始者であるワーグナーの舞台は、一点監視空間を劇場化し、没入と同化の装置を作った。他方で現代演劇の創始者であるブレヒトは、タバコの吸える客席=リラックスした観客とメタ的な作劇により、批評と異化の装置を作った。 #genroncafe
2014-05-07 20:22:37ナチスの演劇はワーグナーの没入的な演出方法を自分達の党大会などの演出の模範とした。対してブレヒトは対ナチス、つまりファシズムへの対抗をかなり意識しており、批評と異化によりファシズムに対抗しようとした。 #genroncafe
2014-05-07 20:26:09近代演劇の創始者であるワーグナーは、客席を暗くし、オーケストラピットを隠し、奥行きのある舞台にすることによって没入と同化を促した。役者にも役との一体化が求められた。 #genroncafe
2014-05-07 20:26:42現代演劇の創始者であるブレヒトは、「リラックスした観客」を目指した。上演前にあらすじを言ってしまい、一歩引いた姿勢で演劇観ることになる。それによって批評と異化を促した。 #genroncafe
2014-05-07 20:29:16では批評と異化は面白いのか。アルトーの残酷演劇とブルックはリンクしていた。ブレヒトの演劇の残酷さ、面白さは、覚醒の演劇の祝祭性ではないかと僕個人は解釈している。一般的な没入の祭り、熱中して解除される体験ではなく、ふっと我に返って物を見てしまう覚めた祝祭性。 #genroncafe
2014-05-07 20:30:29高山明:僕のやりたいのは、前者のワーグナー的な没入の祝祭性ではなく、後者のブレヒト的な覚めた祝祭性。物が世界に帰っていく祝祭性。それを考えて20年ぐらい演劇をやっている。 #genroncafe
2014-05-07 20:32:21