「ミステリとは何か」思索過程の備忘ツイート(その2)

同人誌(「飾画」)100号記念の1500字コラム用に現時点のミステリ感についてアウトプットしてみました。 ※5/19の朝日新聞「文化の扉」欄「はじめての名探偵」所感からの派生ツイートを追加。 ※@Colorless_Ideasさんの「「本格(Honkaku)」という言葉が米国『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』のブログで紹介される」に刺激されてのつぶやきを追加。 ※スイカ騒動→転売の是非→悪の定義づけからの思索を追加。 ※2018.8.11、初心者でも書ける推理小説講座に関連して
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じねん @jinensai

承)honkakuとshakaihaの関係性も対立的とは思えない。当時の日本が一時的に「夢」より「現実」の方に魅力があったことや「虚」と「実」の重なりあった列島全域「遊園地」状態にあったことが、適応度に違いを生じさせた要因ではないか。舞台として「現実」の方に需要があったのだ。(続

2014-10-13 14:02:02
じねん @jinensai

承)「現実」が行き詰まり、閉塞感やしらけた感じが蔓延することで「夢」の需要が復活し、逆転する。読者によるhonkakuの再発見は、ディスカバージャパンの機運とも合致していた。その象徴が角川の仕掛けが中った「横溝ブーム」であろう。横溝の評価軸の方に大きな変質があったのだと思う。

2014-10-13 14:11:30
じねん @jinensai

皮肉なことに探偵(警察機構)の誕生以降という「哲学」を導入しなかった日本は「本格」という「言霊」を遵守し、「偵」字が使用できず苦肉の案で木々が捻り出した「推理」という「言霊」の影響から「論理」を重視する姿勢を植え付けられることとなる。これはもはやhonkakuと訳さざるを得ない。

2014-10-13 14:22:43
じねん @jinensai

(RT言及)「死」の取り扱いについて探偵(警察機構)の誕生と結び付け、それが司祭(宗教)から探偵(科学)へシフトしたという言説を新聞で読んだことがある。戦争による大量死と結び付け死の尊厳を守る現代の司祭=探偵という論旨だったが、大量死がもたらしたのは「死」の「共有」だと思う。(続

2014-10-13 15:13:15
じねん @jinensai

承)凡そありとあらゆる階層の人々が例外無く大量死により身近な家族や友を失った。「死」は人々にとって身近で「共有」できる概念となる。それが結果的に宗教や哲学・倫理からの「跳躍」を可能にしたのではないか。「死」から「死体」への変質によって、囲い込んでいたタブーは打ち破られる。(続

2014-10-13 15:30:10
じねん @jinensai

承)「死体」をモノとして取り扱い、あまつさえエンタテインメントにすら昇華できることに作者も読者も気付いたのだ。それが行き過ぎた社会派が「人間ドラマ」へ先祖がえりすることで「死」をモノとして取り扱う「席」に空隙が生じた。その「席」を埋めたのが「新本格」だったように思う。

2014-10-13 15:31:17
じねん @jinensai

.@Colorless_Ideas さんの「「本格(Honkaku)」という言葉が米国『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』のブログで紹介される」をお気に入りにしました。 | マジ考えるのには良い機会だと思う。 togetter.com/li/731215

2014-10-14 21:46:20
じねん @jinensai

.@Colorless_Ideas さんの「【続報】日本の「Honkaku」ミステリ事情がアメリカの雑誌『パブリッシャーズ・ウィークリー』の増刊号で紹介される」をお気に入りにしました。 | 欧米の場合、定義づけに難が.. togetter.com/li/731940

2014-10-14 21:52:51
じねん @jinensai

「悪」の定義づけから派生して「本格」について少し考え込んでいた。(続

2014-12-23 14:29:26
じねん @jinensai

承)忌避されながらも「定義づけ」が必要とされるのは事象と行為とモラルと法のカオス状態を整理するためだ。「本格ミステリとは~」という話が常にこじれて、それでも「定義づけ」に回帰するのはそのためだろう。問題は「ミステリとは~」という前段が曖昧なことで、これでは液状化は免れない。(続

2014-12-23 14:30:26
じねん @jinensai

承)そして冠として戴かれる「本格」の持つ「言霊」の呪力を一旦無力化しなくては一歩も先へは進まない(むしろ後退する)。そこに込められる「良いもの」「優れたもの」「ヒエラルキー上位のもの」、etc...は表出した属性であって実は本体について何も語っていないのと同義だと思う。(続

2014-12-23 14:31:15
じねん @jinensai

承)順番として「ミステリ」とはどういうもの(あるいは状態)で、「本格」とはその前段の上で何が特徴的なもの(あるいは状態)なのかという整理が必要に思う。一足飛びに「本格ミステリとは~」とやらかしてばかりでは事象の共有すら覚束ない。そこに展開されるのは主観的な各々の「本格観」だ。(続

2014-12-23 14:31:50
じねん @jinensai

承)私はむしろ主観の徒なので、その「違う」状態を共有することがまずスタートだと考えている。客観的で絶対的な「よすが」にされがちな「十戒」「二十則」のたぐいやクイーンの諸作なども本来ノックスやヴァン・ダイン各々の「個別」なものであることは留意しておきたい。(続

2014-12-23 14:32:20
じねん @jinensai

承)表出した「特徴」を導き出された「結果」と捉え直して始めてその「原因」は何かという疑問と、どういう補助線を引けばそこへたどり着けるのかという道筋が見えてくる。「特徴」だけで「定義こと足れり」という現状からは、それを導き出す本質へのアプローチが出てくること自体難しいのだ。(続

2014-12-23 14:32:51
じねん @jinensai

承)「結果」と「原因」の互換自体ミステリ的な逆転現象と言えなくもないのだが、「これらの特徴があるから「本格」」→「「本格」だからこれらの特徴が表出」へ舵を切らねばと思う昨今。概念的には「ナポリタン」みたいに日本独特と捉える方が正解かも知れない。つまり「Honkaku」である。

2014-12-23 14:33:12
じねん @jinensai

問題は「ミステリとは何か」という中身が語られず「書き方」という外側に終始している現実。 .@gaig_gaig さんの「「ミステリで大事なのは人間ドラマでトリックは付属物」初心者でも書ける推理小説講座がミステリ界隈で炎上」togetter.com/li/1254408 をお気に入りにしました。

2018-08-09 06:29:28
じねん @jinensai

人は何に驚くのかといえば、自分で「こうだ」と確信した認識が崩れ去ることだ。つまり読み手に解釈Aを与えつつマルチプル・ミーニングから作り手が解釈Bを、解釈Aより腑に落ちる形で提示できるかの問題。そのためにあらゆる技法の使用がリミッターなしで許可される。

2018-08-09 07:09:45
じねん @jinensai

何をどう書いても構わないと、かつて発言して顰蹙をかったこともあるが、読者に想像・確信させ、読者自身に自分をどう騙させるかのために書き手は全知全能を尽くすのが、ある意味理想的と言える。

2018-08-09 07:37:46
じねん @jinensai

「読者に想像・確信させ、読者自身に自分をどう騙させるか」にピンと来ない読者もおられるだろう。他力本願に「作者の騙す技倆の巧拙」に自動的に置換してしまう読者にはほとんど意味不明に違いない。私が事あるごとに再読を勧めるのも、読者に自分はどこでミス・リードしたのか確認して欲しいからだ。

2018-08-11 10:27:04
じねん @jinensai

ミステリを読む場合、ミス・リードしている主体は読者自身であることは強調しても強調し過ぎるということは無いだろう。普段それは全く自覚さえされていないのだから。しかしそれはミステリを定義づける決定的なものの見方なのだと私は思っている。

2018-08-11 10:34:25
じねん @jinensai

読者がそのミステリのどの伏線に気づき、どの伏線をスルーしてしまったかだけでも「作品」の様相や印象は随分変わるだろう。読者自身の経験やコンディションにも左右される筈だ。自分自身に限っても再読の度に万華鏡を回したように一期一会に見える画は違っている。他人に於いておやである。

2018-08-11 10:44:22
じねん @jinensai

ミステリの評価が紛糾する原因は読者各々の見た画がそれぞれ違っているからに他ならない。解釈Aに固執した読者と解釈Bに固執した読者では「作品」自体別作品と言っても良いくらいだ。つまり「作品」の成立には読者が読む行為が必要不可欠。シュレジンガーの猫という訳だ。

2018-08-11 10:49:45
じねん @jinensai

従ってかつての愚行である一方が他方を数の力や好悪の傾向によって選別するような分断のリピートは生ずるべくして生じたのだが、議論の手法的に「違って当たり前」を前提にお互いの気づきをリスペクトし意見交換していくのが穏当だろう。「そんな読み方があったとは」という新鮮な驚きの方が好ましい。

2018-08-11 10:59:26
じねん @jinensai

「書き方」重視の問題に戻れば、従来「十戒」やら「二十則」やらタブーや規則といったリミッターがあるから逆に書き易いという作り手側の事情が不用意に読み手側にも適用されてきたように思う。読者に万華鏡のようなワンダーランドを楽しんでもらうにはむしろリミッターは外した方が良いだろう。

2018-08-11 11:07:43
じねん @jinensai

「何をどう書いても構わない」の真意は「読者に想像・確信させ、読書自身に自分をどう騙させるか」を実践する上で、タブーや規則の線引きが作品を小さくまとめてしまうことへの危惧だ。ミス・リード、書き手側からは「誘導法」は無制限に工夫され続けていかなければなるまい。

2018-08-11 11:15:35