中島智「3.11直後に「アートに何ができるか?」という問いが濫立した。」

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中島 智 @nakashima001

「モザイクは“被写体のプライバシーや人権を守る”という大義名分の下に使用されている。しかし、それが本当に守るのは、作り手の側なのだと思う。モザイクで“あちら側の世界”に隔離してしまえば、彼らとの関係を絶つことができるからである。」想田和弘(映画作家)

2014-05-15 15:44:21
中島 智 @nakashima001

3.11直後に「アートに何ができるか?」という問いが濫立した。その問い立てそのものが、想田氏の云うところの「モザイク」効果、すなわち、そこに個別状況ではなくシンプルな物語をみいだそうとすることの隔離効果でしかないことに、夥しい方々が気づかないのであった。

2014-05-15 15:48:40
中島 智 @nakashima001

個別に「自分」に何ができるか、ではなく、一般的他者に紛れて「アート」に何ができるかと設問すること、または「アート」を通して社会、他者などに関わろうとする試み一般に、この免責心理は認められる。いわば、それは「立場主義」にほかならない。

2014-05-15 15:58:30
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@nakashima001 大変興味深いです。すると、そういった免責心理とは無縁の、311以降、「アートに何ができるのか」という問いは、どういった問いになり、どういった表現になるとお考えでしょうか?

2014-05-15 16:30:29
中島 智 @nakashima001

@curatorshinya まず、それを一般経験や共通経験といったフィクションに落とし込まず、私/或人物による個別経験として捉えることです。そしてその個別事象の束が形成してくる何かを注意深く見つめていくことだろうと思います。あくまでもその束もまた一つのバイアス状況としてです。

2014-05-15 16:41:01
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@nakashima001 中島さんのおっしゃっている事が分かってきました。そうであれば私も同感です。御丁寧に返信して下さり、ありがとうございました。

2014-05-15 16:42:51
中島 智 @nakashima001

@curatorshinya 御同意いただき感謝です。最初に抱いた違和感は、被災は個別であるということです。そしてもし仮に、彼らは御子息が重病を患った時でも「アートに何ができるか」と悩むのだろうかということ。その問いは具体的な他者から目を背ける方便になっていないか?ということ。

2014-05-15 16:52:16
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@nakashima001 少しあまのじゃく的な返信をしますと、私はロバート・アルトマンの『ショート・カッツ』のラストシーンでロサンゼルス大地震が起こり、全ての個々の物語が一つになるシーンが好きです。今まで関連の無かった登場人物全員が、一つの時間軸の中に強制的に置き換えられる。

2014-05-15 16:57:42
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@nakashima001 また私は、危篤となった家族に出会った時、アーティストである私に何ができるのか?という問いを立て、ある行為を通じて死を看取ることを決めた、素晴らしいアーティストと、その行為を知っています。

2014-05-15 16:59:17
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@nakashima001 私は芸術は、具体的な他者と直接的に関わることだとは、必ずしも考えていません。しかし、これは当事者性が孕む諸問題とも無関係ではなく、ややもすると具体的な他者から目を背ける方便として捉えられかねないので、慎重になることが必要だと考えています。

2014-05-15 17:02:00
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@nakashima001 「一般経験や共通経験といったフィクションに落とし込まず、私/或人物による個別経験」に関してですが、そもそも「私」という主語を用いて、その個人の行為を「私」の時系列に落とし込むこと自体、近代のフィクションかもしれない、とも思います。

2014-05-15 17:04:34
中島 智 @nakashima001

@curatorshinya 「ショートカッツ」は僕も大好きな映画です。あの設定と同様、ドリフターズのコントで長屋住人それぞれが見える舞台設定も(笑)。そこには同時多発性という、この上ないリアルが表れているからです。「ショートカッツ」ラストも本当は同時多発性を炙り出す仕掛けです。

2014-05-15 17:08:14
中島 智 @nakashima001

@curatorshinya また、危篤となった家族にたいして「アートで何ができるか」と問うた某作家についてですが、そこには「何ができるか」よりも「何もしてやれない」悔しさが巨大な基盤としてあるはずで、だからこそ人は祈る。その祈りが渡辺さんを打ったのではなかろうかと推察します。

2014-05-15 17:12:45
中島 智 @nakashima001

@curatorshinya おっしゃる通りです。芸術は具体的な他者とかかわることが絶対条件ではありません。ですが具体的な他者とかかわることで(結果的に)生まれる芸術はあります。ここに当事者性の問題があります。具体的な他者は「私」を当事者にするのです。芸術は当事者性の所産ですから

2014-05-15 17:20:12
中島 智 @nakashima001

@curatorshinya その意味で、「私/他者の個別的経験」というのは、近代的な「私=作者」概念ではないように思います。そこでは「私/他者」とは「当事者性」と言い換えて差し支えないものでしょうね。

2014-05-15 17:24:05
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@nakashima001 ドリフの長屋のメタファーは全くその通りですね。するとここで問題になるのは、「一般経験や共通経験といったフィクション」と「同時多発生」とは別物だということですね。つまり前者はある種の共同幻想、後者は固有の経験の集積が同時に起こっている、という認識かと。

2014-05-15 17:33:13
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@nakashima001 そうかもしれません。すると、「何もしてやれない」悔しさから始まった311以降のアートも、私にはあった様に思えるのです。

2014-05-15 17:34:18
中島 智 @nakashima001

@curatorshinya そういうことです。>「一般経験や共通経験といったフィクション」と「同時多発生」とは別物だということですね。つまり前者はある種の共同幻想、後者は固有の経験の集積が同時に起こっている、という認識かと。

2014-05-15 17:38:05
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@nakashima001 ユーゴスラビアの研究をしていた際、異なる民族の立場の当事者性に絡めとられて失敗した外国人芸術家のケースを目にしました。仮に芸術を魂の問題として捉えた場合、それが果たして当事者性のものなのかどうか、私には判断しかねます。

2014-05-15 17:38:22
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@nakashima001 「私/他者」とは「当事者性」の件ですが、正直私にはよく分からないのです。他者を前提としていること自体が、レヴィナス的プラトニズムの終着点だと思うのですが、私はこれは違うんじゃないか、と考えており、そこに芸術の可能性がある様に思えるのです。

2014-05-15 17:40:13
中島 智 @nakashima001

@curatorshinya ありますね、「何かする」ことで帳消しにも免責にもならないことに耐えたアーティストが、例えば中原浩大です。 > そうかもしれません。すると、「何もしてやれない」悔しさから始まった311以降のアートも、私にはあった様に思えるのです。

2014-05-15 17:44:13
中島 智 @nakashima001

@curatorshinya 当事者性については、先日中原さんとも話したのですが、例えば九州地方で被災映像を見ていた方々のなかにも当事者性は生まれる。ビエンナーレ前に田中功起氏とやりとりした際にも「アメリカにいた当事者を期待する」との旨書きました。

2014-05-15 17:54:06
中島 智 @nakashima001

@curatorshinya 誤解をおそれず簡単に言ってしまいますと、当事者性は、一般化された他者・事象・物語などに取り込まれない限り、生まれるのです。

2014-05-15 17:58:10
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@nakashima001 つまり中島さんのおっしゃる当事者性とは、一般化されない限り生まれる固有のもの、ということかと思います。ぜひいつかご一緒する機会がございましたら、ぜひ続きをお話しましょう。御丁寧に返信して下さり、ありがとうございました。

2014-05-15 18:25:52

2012年5月のツイート