中島智「3.11直後に「アートに何ができるか?」という問いが濫立した。」

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田中功起 koki tanaka @kktnk

というわけでヴェネツィア・ビエンナーレの日本館で参加することになりました。プレス向け、キュレイター・ステイトメントとアーティスト・ステイトメント、および審査員講評などありますが、たぶん(?)交流基金のサイトで公開になるはず。いずれにしても前回同様、ぼくのサイトで記録は残します。

2012-05-15 12:16:10
田中功起 koki tanaka @kktnk

ヴェネツィアの件、ひとまず国際交流基金のプレスに蔵屋さんとぼくのステイトメントが載っています。 ARTiTにはそれ以外のコメントがあります。http://t.co/8o5C2MFK http://t.co/OF8P27pB

2012-05-15 12:43:24
版一欠 @edtion1

“日本館キュレーターは、東京国立近代美術館美術課長の蔵屋美香さん。震災を体験した日本が世界にどのようなメッセージを発するかが問われるとして、「経験の共有」を取り上げた” http://t.co/lL8cINL3

2012-05-15 13:50:48
中島 智 @nakashima001

「東日本大震災を踏まえて「他者の経験を自分のものとして引き受けることはいかにして可能か」がテーマになる。」…その不可能性を証明してきたのが人類学だったが、まだ本人の弁も戦略も知らない。震災直後、「3.11は共通体験ではない」とシンポジウム出演をお断りしたことをふと思い出した。

2012-05-15 14:29:15
中島 智 @nakashima001

田中さん本人のステートメントを読んだ。経験(痛み)は共有できない、とある。そして共感の非対称性(一方向性)とは異なる方法を模索すべきだと。その方法とは、つまるところコンテクストの共有とのこと。ならば何故、「経験の共有」なのか? http://t.co/n7zx04pi

2012-05-15 15:22:08
中島 智 @nakashima001

今週から中沢新一さんの「無縁の研究会」がはじまる。無主・無縁であることは、共有不可能性の共有ではあっても、分有ですらない。そしてそこではコンテクストの共有からも解き放たれる。すなわち他者が(理解不能な)他者であることが、暫定的かつ自在な「契約」を実現させるための条件となる。

2012-05-15 15:49:19
中島 智 @nakashima001

ただし、無縁は地縁共同体に依拠する人々からみると無法地帯のようなもの。しかしながら、そこは伝統的に技芸(アルス)を育んできた空間だった。

2012-05-15 15:54:19
田中功起 koki tanaka @kktnk

「他者の経験を自分のものとして引き受けることはいかにして可能か」というのは蔵屋さんがステイトメントにまとめた言い回しだけど、それは「経験の共有」ということではないと思う。出来事の経験は、それぞれのひとにとってそれぞれに引き受けられている。

2012-05-15 16:16:34
田中功起 koki tanaka @kktnk

ぼくはその「揺れ」を経験していないけど、ぼくは震災直後、ツイッターを介して偶然避難所の情報を送ることになって、あるいはあるひとの徒歩帰宅を見守ることでこの出来事を固有の仕方で経験した。もちろん「おまえは震災を経験していないだろう」と言われれば、

2012-05-15 16:19:32
田中功起 koki tanaka @kktnk

一方で経験していないとも言えるし、その意味では固有には経験しているとも言える。ぼくは後者の、間接的な、距離を持った出来事の経験を、抽象化して取り出したいと思う。そのひとつは今年の初めに作ったピアノの作品であり、そのような仕方でなにかできないかなと思っている。

2012-05-15 16:25:06
田中功起 koki tanaka @kktnk

@nakashima001 こちらありがとうございます。そうですね、「経験」は「共有」できないとぼくは思っているので、このあたり、二人のステイトメントで少し齟齬があるかもしれません。重要な点なので、今後プランを詰めていく段階ですりあわせをしていきます!

2012-05-15 16:29:32
田中功起 koki tanaka @kktnk

いや、でもばっちり「経験を共有するための可能性」と書いてありますね。

2012-05-15 16:33:23
中島 智 @nakashima001

有難うございます。これは海外だと特にツッコミがあるかなと考え、先手を打ちました(笑)。愉しみにしてます。 RT @kktnk: そうですね、「経験」は「共有」できないとぼくは思っているので、このあたり、二人のステイトメントで少し齟齬があるかもしれません。…

2012-05-15 16:42:34
@drawinghell

「あの日」からの日々のなかでもっとも痛切に感じているのは「ぼくら」という認識の不可能性である。それと同時にその不可能性を共有する「ぼくら」の存在もどこかで感じる。「あの日」を基点に物事を考えるならば、その不可能性をめぐる認識なくしては再び「ぼくら」を使うことはできないだろう。

2012-05-15 20:26:55
@drawinghell

今日発表されたヴェネチア・ビエンナーレ日本館の展示案に対する最大の違和感は、それが「彼」ではなく「日本」からの発信とされていることだ。そのことがステートメントの中のあまりにシンプルな「震災」観とあまりにイノセントな「ぼくら」や「日本」への違和感にも繋がっているのだと思われる。

2012-05-15 20:28:27
@drawinghell

そもそもそこで使われている「ぼくら」や、あるいは「日本」という言葉こそが、あの日以降、暗黙のうちにこの国において同じ認識を「共有」できなくなってしまった最たるものではないだろうか。「日本」からこのテーマを発するのならば、問うべきはまずはそこからだろう。

2012-05-15 20:29:30
@drawinghell

前回の作家選出の経緯と合わせてみれば、とどのつまり国際美術展とは「日本」をこそ提示する場で、それが前回は束芋の「日本」で今回はこの「日本」かといった短絡すらも邪推できてしまう。実際の展示においては、そんな杞憂を吹き飛ばすこの作家らしい展示にして欲しいと思う。

2012-05-15 20:30:24
椹木 野衣 Noi Sawaragi @noieu

来年のヴェネチア・ビエンナーレ美術展、日本館代表は田中功起(アーティスト)/蔵屋美香(キュレーター)の両氏に決まったとのこと。震災を扱うということで、同じく震災を追いかけてきた身として関心を持ち、早速、ステートメントに目を通してみた。が、率直に言って、ひどく虚ろな印象。

2012-05-16 02:41:17
椹木 野衣 Noi Sawaragi @noieu

それは、端的に言って「練習問題」という言葉にも表われている。事前の学習を超えるからこそ、事後の経験の共有が要請される。もしくは、震災体験の共有のむずかしさが露呈する。むろん、作家が練習問題を裏切ることもありうる。が、それでもなお、練習ではなく実践問題を解かなければ意味がなかろう。

2012-05-16 02:42:57
椹木 野衣 Noi Sawaragi @noieu

たとえば、大友良英氏が加わった「プロジェクト FUKUSHIMA!」は、未知の科学者の力を得て開催地の線量を公表し、風呂敷で地面を覆うなどして、解くのが極めて難しい実践問題に当たった。当事者の逡巡や、音楽やアート外の世界からの批判も多い。しかし、震災を扱う以上、それは当然だろう。

2012-05-16 02:43:32
椹木 野衣 Noi Sawaragi @noieu

あの震災以後、田中/蔵屋両氏がどの程度、被災地に足を運んだかは知らない。むろん、運べばよいというものでもなかろう。が、このステートメントからは、経験を共有するにせよ、その他者性を扱うにせよ、およそ当事者性というものが感じられない。

2012-05-16 02:43:59
椹木 野衣 Noi Sawaragi @noieu

この「練習問題」では、高層ビルの階段を徒歩で昇ることや、電気に関わる案も出ているようだ。ならば、いっそ日本館のエアコンを停めてはどうか。同館は長く空調がなく、室温は40度を超えた。それでも涼をとれて、初めて練習は実践になる。しっかり冷えた館内で映像が流れるだけでは洒落になるまい。

2012-05-16 02:45:51
椹木 野衣 Noi Sawaragi @noieu

まあ、ステートメントはあくまでステートメントなので、いまは思いつくまま呟きましたが、実際にどんなものが出てくるか、おおいに期待するとしましょう。

2012-05-16 02:49:34
中島 智 @nakashima001

しかしこの言説にも違和感。 RT @noieu: あの震災以後、田中/蔵屋両氏がどの程度、被災地に足を運んだかは知らない。むろん、運べばよいというものでもなかろう。が、このステートメントからは、経験を共有するにせよ、その他者性を扱うにせよ、およそ当事者性というものが感じられない。

2012-05-16 03:17:10
中島 智 @nakashima001

ここで述べられる「当事者性」には、ある出来事を単一なるコンテクストに収斂してしまう向きが感じられる。そうした向きから「3.11以降のアート」(これは断ったシンポジウムのタイトル)などといったフレーズが生まれる。田中氏に期待しているのは、むしろ当日異邦にいた「当事者性」からの発想。

2012-05-16 03:26:53