牧二郎ノート・唯物論と科学論

牧二郎の 2つの 論考から。 (続きます ... )
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seki_yo @seki_yo

牧二郎「現代物理学と唯物論」(雑誌 唯物論研究 15号 1963年) 素粒子論 研究者からの、哲学者 寺沢恒信による 物理学解釈に 対する 批判。

2014-05-16 19:33:47
seki_yo @seki_yo

寺沢恒信 : 現代物理学では、かつては まだしも 感覚に 近づけることのできた 諸概念が、ますます 感覚から 遠ざかっていったばかりでなく、さしあたり まだ いかなる 感覚像とも 結びつくことの できないような 新しい 概念が つぎつぎと 生まれている。

2014-05-16 19:37:20
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : そうであろうか。 古典物理学の 対象たる 音波について、われわれが "見て" いるものは、音源体の 振動であったり、音波を 受けて 物体の おこなう 振動 (または それを 変換した 電気振動) であって、音波 そのものの 形ではない。

2014-05-16 19:40:18
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : また 氏の 理解とは 反対に、電子の 波動概念においては、振動数 (または 波長) の 他に、振幅や 位相も 物理的な 意味を もち、したがって「波形」が 問題に なり得る (そうでなければ 電子線の 回析のような 波の 干渉効果を 説明できない)。

2014-05-16 19:44:25
seki_yo @seki_yo

寺沢恒信 : 古典物理学における 抽象概念は、擬人論的性格を 次第に 克服したとはいえ、なお 別の 意味で 感覚への 近さを もち得た。

2014-05-16 19:47:06
seki_yo @seki_yo

寺沢恒信 : 寒暖計が 普及することによって、人びとは、寒暖についての 皮膚感覚とは 別に、寒暖計を 見ることによって 容易に 得られる、他の 感性的認識を 日常的に もつことができる。

2014-05-16 20:14:28
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : 氏の 所論において、物理学の 諸概念と「感覚」との「距離が 近い」という 場合に、意味されていることは、上に 述べた"目盛りを 読む" 段階が「技術的応用や 学習を 通じて」いかに "日常化され 常識化され" ているかということに 他ならない。

2014-05-16 20:18:04
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : そして、氏の いわれる "感覚との 接近" の 内容が このような ものだとすれば -- そして 実際 このように 理解する以外に ないのであるが --「古典物理学」の 諸概念の うちでも、ある種の 概念は「現代物理学」の ある種の 概念よりも

2014-05-16 20:22:14
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : 感覚から「遠ざかって」いるものが 事実 存在するのであり (注)、したがって 現代物理学の "特徴" を「感覚から ますます 遠ざかる」ことに 求めるのは あまりにも 粗雑である。

2014-05-16 20:24:51
seki_yo @seki_yo

(注) たとえば 熱力学における「エントロピー」と 原子物理学における「放射性物質の 寿命」という 2つの 概念を 比べてみよ。

2014-05-16 20:26:11
seki_yo @seki_yo

寺沢恒信 : 通常の 感覚にとっては、物質は 連続的な 物体として 空間の ある 位置を 占めており 熱や 電気の 流れも 連続的な もので あるように 思われる。

2014-05-16 23:37:54
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : ウソだ。 通常の 感覚において 与えられる 物質は、ある 物 (または 運動) は 連続的に 見え、他の ある 物は 非連続的な ものとして われわれの 目に 映ずるのである。

2014-05-16 23:40:19
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : 古典物理学において、いわゆる "連続的物質観" が 成立したのは、一定の 理論的抽象の 結果であって、通常の 感覚からは けっして 自明な ことでは ない。

2014-05-16 23:43:04
seki_yo @seki_yo

寺沢恒信 : 巨視的物理学は、このように (熱力学の 場合) 連続的な ものと みなされている 対象の 状態を 比較的 少数の 変数を 使って 記述する。

2014-05-16 23:45:33
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : 同じ 巨視的物理学である マックスウェルの 電磁場の 理論では、電場や 磁場の 強さは、空間の 各点において 定義されるべき 力学変数であって、電磁場は、こうして 無限個の 自由度をもつ 力学系なのである。

2014-05-16 23:48:57
seki_yo @seki_yo

寺沢恒信 : モデルとは 微視的対象を 認識するという 目的で 組み立てられた、巨視的対象 または 記号の 組み合わせである。

2014-05-16 23:51:12
seki_yo @seki_yo

寺沢恒信 : 微視的対象に 関する 理性的認識は、モデルを 媒介としてのみ 感性的認識と 結びつくことが できる。

2014-05-16 23:52:46
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : 一体、ここで モデルの 役割として、人間の「感覚像」と 微視的対象との 橋渡しが 主として 問題と なる限り、それは 対象としての "単なる 類似物" であって、認識の 構造における 本質的な モメントの 一つと なり得る ものでは ない。

2014-05-16 23:56:06
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : 一般に、モデルは 特定の 対象の 構造と、その 運動の 法則性の 質的内容とを 反映するところの、武谷三男氏の 三段階論における 実態論的認識の 一形態であり、まさに この 意味において、対象の 認識に 有効 かつ 不可欠な 役割を もち得るのである。

2014-05-16 23:59:47
seki_yo @seki_yo

寺沢恒信 : 巨視的対象に 属する ある 事実の 説明を 微視的対象の 領域に 求めるという 場合に、一つの 巨視的物体を 構成している 微視的対象 (分子 あるいは 原子) の 数は きわめて 多いので、... そのままでは とうてい 理論的に 扱えない。

2014-05-17 19:25:04
seki_yo @seki_yo

寺沢恒信 : そこで 微視的な 立場から 巨視的な 立場へ 移るための 橋渡しをする 理論が 必要となる。 この 橋渡しのための 方法が 平均化という 方法である。

2014-05-17 19:27:23
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : 「巨視的」物体と 原子・分子とは、自然の 累層的構造における "質的に 異なる 段階" を あらわしており、この 区別を 人間の「感覚」や 日常的尺度を 基準とした 対象の サイズの 大小であるとか、

2014-05-17 19:33:13
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : 変数の 少数・多数といった "単に 量的な 観点" から 出発したのでは 一面的な 理解に 終始せざるを 得ない。

2014-05-17 19:34:44
seki_yo @seki_yo

牧二郎 : 原子核は 原子の 10万分の1の 大きさしか ないが、それにも かかわらず ある種の 重い 原子核では、それが 比較的 多数の 核子から 構成されているため、その 物理的性質は、巨視的物体である 液滴に 似ており

2014-05-17 19:37:28
seki_yo @seki_yo

牧二郎 :「温度」「表面張力」その他の「巨視的」な 物理量が 重要な 意味をもつことが 知られているのである。

2014-05-17 19:38:57
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