リバタリアン・無政府主義に反対の一意見

ツイッターでついつい長々とつぶやいてしまったので、せっかくだからまとめておく。ヘイトスピートとか、集団的自衛権なんかもついでに。あくまでも参考で。
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ポン介 @ume_pon

最近の集団的自衛権の話でも思うけど、民主主義って実は「過半数を占めさえすれば少数派を無視して突き進める」制度だったりするんだよね。過半数に選ばれた為政者なんだから、憲法解釈を好きにしていいのだ的な雰囲気が最近はあるし。

2014-05-21 14:03:06
ポン介 @ume_pon

→基本的には過半数の人が賛成するならそう間違わないという考えがある。だけど実際はそう簡単ではないので、だからこそ少数派の意見は聞きましょうということにはなってるけど、最後は多数派の幸せのためには少数派は犠牲になってもいいという結論をつけるしか無いのが、民主主義とも言える。

2014-05-21 14:03:14
ポン介 @ume_pon

→だからみんな多数派になろうと必死になる。変な言い方だけど経営者ではなく会社員になりたがる人が多いのは、多数派だから安心というのはあるかもしれない。少数側が多数側に言うことを聞かせるには、個人として強大な力を持つ(大金持ちになるとか)しか無く、凡人には難しいから群れるほうが早い。

2014-05-21 14:03:29
ポン介 @ume_pon

→問題は群れる多数派側に入れず、かといって強大な力を持つ少数者・個人になれない「弱い少数派」。わかりやすい例で言えば、各国の少数民族とかになるかな。そういう存在を多数派の温情とか打算とかではなく「絶対的に」認めるのって、実は民主主義じゃ無理なんだよな。いらないと言われたら終わり。

2014-05-21 14:03:39
ポン介 @ume_pon

→ところが同時に今の民主主義国家は多数決とは無縁の究極の理想を掲げて、多数派の身勝手を抑えこんでる面も確かにある。集団的自衛権でこんなに揉めてるのも、憲法9条があればこそ。そしてこの憲法9条はよく言われるように、国民投票など多数派の信任を得る手順を踏んでない。だが、有効である。

2014-05-21 14:03:53
ポン介 @ume_pon

→同じ話が人権問題にも言える。多数派がいらないと決めれば、弱者を切り捨てても良いというのが極めて原則的な民主主義の結論になるはずなんだけど、人権や生存権を守ると憲法で掲げ規制することで、「弱い少数派」が多数派の身勝手に守られる。

2014-05-21 14:04:01
ポン介 @ume_pon

→ちょうど橘玲氏が面白い記事を書いてた。 tachibana-akira.com/2014/05/6407 国家を否定するリバタリアンの発想ですべての公共空間を民営化してしまえば、私的所有権の行使でヘイトスピーチを合法的に排除できると氏は言う。だけどこれは言論の自由という面から言って、やっぱりダメ。

2014-05-21 14:04:08
ポン介 @ume_pon

→これを突き詰めると、空間を私有する財力を持たない「弱い少数派」は言論の自由を失う。例えばホームレスが○○人出て行けと言える空間が皆無になる。ヘイトは無くすべきだからいいのかもしれないけど、自分は言論に線引することを一度認めると際限がなくなるので禁止すべきではないという意見だし。

2014-05-21 14:04:30
ポン介 @ume_pon

→橘氏は「政治的主張をしたいひとはそれ以外の場所で自由に活動することが許されています。」と書いてるけど、これってたとえば、好きにモノが言えない中国人は亡命せざるを得ないということを肯定することになる。「弱い少数派」を弾圧する思想を認めることを許してはいけないと僕は思うんだけどね。

2014-05-21 14:04:36
ポン介 @ume_pon

→亡命先があればまだマシで、全世界のどこにも受け入れ先がない場合、その言論はこの世から抹殺される。これって言論の自由の対極の世界だよ。ヘイトスピートは根絶されるべきだという意見は、それを制度によって強制するのではなく、あくまでも理を持って説き伏せること以外でしてはならないと思う。

2014-05-21 14:04:43
ポン介 @ume_pon

→これにかぎらず、全てを民営化し公共を無くせばいいというリバタリアンや無政府主義者の発想では、「弱い少数派」の「生き場」が無くなる。それは神の下の平等、普遍的人権、近代人権思想に反する。私的な利益や打算で否定されるものが存在を許されるために公的空間は必要だし、国家も必要だと思う。

2014-05-21 14:04:48
greenwich @bobbygetshome

リバタリアニズムに対して「無慈悲」「冷淡」という批判があるけど、これは的外れなんだよ。 リバタリアンの方が、人間の「自発的慈悲行為、自発的利他行為、自発的扶助や援助」を信じてるわけだからね。 これを信じていない人達こそが、強権的に、利他や扶助の強制的な義務付けを主張するんだよ。

2014-05-21 11:27:17
ポン介 @ume_pon

↓うん、たしかにそのとおり。自分は人間の「自発的慈悲行為、自発的利他行為、自発的扶助や援助」を、正直言って信じてない。人権思想なんかもひどい言い方をすれば「悪いことをしたら地獄に落ちるぞ、怖いだろ?だから善行しておけよ」という脅しの裏返しでしか無いし。

2014-05-21 14:09:26
ポン介 @ume_pon

こういう問題って今の日本では十中八九「自殺」という形で解消されてしまう。個人的にだけど、こうなったらもう完全に諦めて、開き直るのもひとつの手だと思うんだよね。人並みとか言わないで。 / 彷徨う“未婚40代非正規”の鬱々たる現実 business.nikkeibp.co.jp/article/manage…

2014-05-21 14:20:21
ポン介 @ume_pon

→そう、朝方もつぶやいたけど、社会はおそらくこういう「彷徨う“未婚40代非正規”」には、できるだけ迷惑をかけない形でひっそりと消えていってほしいと思ってるのではないかと、個人的には思ってる。自分が当事者にならない限り、自殺も自殺率も他人ごと。ニュースで見て「あらま」で終わり。

2014-05-21 14:23:08
ポン介 @ume_pon

→記事に出てきた人は社会に「『生きてる価値ないぞ』って言われているみたい」と感じてる。そういう社会で生きていくためには、自己責任論を筆頭にあれこれ言って「水際作戦」をしかけてくる社会に対し、開き直って「うるせーばかやろー。生きさせろ」と言うしか無いと思う。自殺したら負け。

2014-05-21 14:30:03
ポン介 @ume_pon

人間の「自発的慈悲行為、自発的利他行為、自発的扶助や援助」を正直言って信じてない自分からすると、理想の国家はおそらくは「聖人君主による独裁制」なんだよね。「自発的慈悲行為、自発的利他行為、自発的扶助や援助」精神を持つ独裁者という宝くじのような話なので現実性がないけどw

2014-05-21 16:02:09
ポン介 @ume_pon

→今のような人権思想を持つ憲法を各先進国が掲げるに至ったのは、まさに「奇跡」と言っていいと思う。「自発的慈悲行為、自発的利他行為、自発的扶助や援助」を信じてない自分からすると、人間の本性に反してる。だからこそそういう憲法を変えようとする本能的な動きは止まらない(例:自民党改憲案)

2014-05-21 16:02:20
ポン介 @ume_pon

→全部民間に任せましょうというのは「自発的慈悲行為、自発的利他行為、自発的扶助や援助」を信じてない自分からしたら危険でしか無い。したがって、奇跡的に生まれるに至った人権思想とそれを掲げる憲法とそれを奉じる「今の」制度を支持するのが一番安全という話になる。ある意味じゃ保守。

2014-05-21 16:02:31
ポン介 @ume_pon

→この思考法は当然、「自発的慈悲行為、自発的利他行為、自発的扶助や援助」では助けられる対象にならないと人がいるという恐れがあるから導き出されてる。「だったら他人に助けようと思われる人になる努力をしなさい」というのが一般的なんだけど、それこそが典型的な「自己責任論の罠」。

2014-05-21 16:02:38
ポン介 @ume_pon

→さきほどの「彷徨う“未婚40代非正規”」は自己責任論を持ち込むと、こぼれ落ちる対象になる。だって彼らは「他人に助けようと思われる人になる努力」をしてこなかった結果「彷徨う“未婚40代非正規”」になったと自己責任論者は定義付けを行い、福祉からの排除を正当化する。これの繰り返し。

2014-05-21 16:02:54
ポン介 @ume_pon

→聖人君主による独裁制も、人間の善意に期待する無政府社会もどちらも期待できない。というか人間の価値判断の介入(助けられるべき人、優先される人がいる)を信用しない。全員に人権を保証し、条件付けを行わないことを原則とする制度のほうが信用に足りる。それが奇跡的に生まれたものであっても。

2014-05-21 16:05:15
ポン介 @ume_pon

とまぁ、先ほどのリバタリアニズムについてのRTで考えたことをつらつら書いてみた。

2014-05-21 16:06:36

ちなみに、人間の善意に期待できないなら、そういうダメな人間が作る政府なんかあってもダメだし、無くてもダメ、どっちもダメじゃんという意見もあると思うけど、そんな人間でもたまには奇跡的にすばらしい概念や制度を生み出したりするのよ。その奇跡的な結果(人権思想や、それを奉じる国家)が生まれたことを否定する必要はないし、今の主だった先進国はどこも概ね、その奇跡的偉業を大原則としてる。

したがって、それをあえて解体して政府をなくしちゃうとか、聖人君主による独裁国家を目指すより、今の人権思想という建前を奉じる民主主義国家の体制の方が「ベター」だということになる。

人権思想自体が宗教(キリスト教)から生まれてきたのは明らかで、科学技術の発展によって宗教的なものが否定される一方の現代社会において、国家という「倫理道徳強制機関」を廃したら、もうこの世には人権を守らせるものが無くなる。

あとに残るのは、強者が「気まぐれ」で弱者救済を行うかもしれないし行わないかもしれないという、弱者にとっては極めて生きづらい社会。
どんなに利他的行為を称揚しても、実態は「情けは人のためならず」。利他的行為がまわりまわって自分の利益になることを前提としてしか、人間って存在は基本的には動こうとしない。
本心から100%利他的行為をする人などありえないという前提に建つなら、無政府社会とは「利益になると判断されないものは切り捨てられる社会」だということになる。これは「利益になるならないという判断基準によらない、基本的人権がある」という現代の民主主義国家の大原則とは相反する。無政府社会ではこういった人権思想を強制する機関が存在せず、結果として、利益になると判断されないものが切り捨てられることが正当化される。正当化されるも何もなく、気持ちのままに切り捨てるだけ。
(ごくまれに100%利他的に動く人もいるけど、それこそ奇跡だから)

もちろん、「弱者は死ね。人類進化の邪魔だ」という優生思想の人からしたら、それこそ理想社会でしょうけどね。

リバタリアン、無政府主義者というのは、人の善意を無条件に信じてるか、自分はいざとなっても生き残れるもしくは必ず誰かが助けてくれると思ってる自信過剰者なんだろうなと思いますよ。

したがって、弱者もしくは少なくとも自分が弱者になりうると考える人であるなら、今の日本の民主主義制度や、日本国憲法を守るようにした方がいいと思うよ。結局それが、今の日本における左翼ということになるんだと思うけどね。