田中実スタディーズ
- arishima_takeo
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田中実の著作を捲っているが、年を経るにつれて段々ポエム化していったことがよく分かる(「生命」が「いのち」なるとウーン感が半端ない)。逆にいうと『小説の力』辺りは結構イイ気がしてきた。依然として、文学研究の凋落は〈読みのアナーキー〉や〈和風てくすと論〉のせいじゃないと思うけど。
2014-05-12 11:13:28論文で「他者」という言葉を盛り込むことによって倫理ポイントを獲得していこうとする営みのことを【他者る】と呼ぶことにしよう(【吐瀉る】のニュアンスで使っていこう!)。
2014-05-12 16:42:00他者論って基本的に「オレが考えた他者が最強」って結論になるけど、でも、それだと別に他者って呼ばなくてもよくね?とか思うよね。「了解不能な他者」(田中実)とか「未来の他者」(柄谷行人)とか、単に「理念」っていえばいいんじゃないの?みたいな。
2014-05-13 12:46:10自分自身をどんなに批判的に語っても、その批判している自分自身は最終的には批判できにくく、自分が悪いと断言しているもう一人の自分の正当性に伴うナルシシズムやヒロイズムがまとわりつきがちである。by田中実『小説の力』
2014-05-14 14:33:33父の遺言、母の愛情で育った豊太郎はプレモダン(没主体)のなかにあり、ドイツ留学三年後、「まことの我」の発見というモダン(主体)を手に入れ、さらにエリスとの出会いから発狂・離別・「恨」までの経緯を経て、ポストモダン(脱主体)を抱え込んでしまったことになろう。by田中実『小説の力』
2014-05-14 15:53:40田中実『小説の力』読了。「了解不能な他者」がマジックワード化している。「読みのアナーキー」を牽制する理念的「本文」が他者だという話とエリスにとって豊太郎が他者という話はまるで次元が違うのだから、用語を変えるべきだ。というか田中さんは了解不能性と他者性の概念の区別できてないと思う。
2014-05-14 20:20:47というか、基本的に田中実論文は語りや登場人物に「了解不能な他者」/「私のなかの他者」を見つけ出すことのみ執念しており、まったくもって「本文」の他者性を尊重してないと思う。他者があるとかないとかで全ての作品を評価されても、それお前の「自分」勝手でしょ?で終了なんですけど…。
2014-05-14 20:24:56そもそも「私のなかの他者」は真の他者じゃないからダメで、「了解不能な他者」な他者はオープンだからイイみたいなこと言われても、それは相互補完的なものであって、人は「了解不能」に戦くからこそ「私のなかの他者」像を作りコミュニケーションに準備しようとするのだから、全く解決になってない。
2014-05-14 20:28:34そんなだから「読みのアナーキー」の内実もよく分からん。前田愛を批判的に捉えているようだが、どうやったら前田『舞姫』論が文脈切断的で、自分の論が接続的だと判断できるのか。他者論用に田中さんも切断してますよね?「お前には他者がないって俺はわかっているよ」って批判も、完全にブーメラン。
2014-05-14 20:37:03田中実さんは根本的にポストモダン理解が浅薄なのだと思う。パフォーマンスがよければ、別にいい。しかし彼の場合、その薄ぼんやりしたポモを攻撃しようとして、薄ぼんやりした倫理で味付けした「他者」という武器しかもててないことが問題なのだ。読ませる力、文章力はあるのに…!
2014-05-14 20:46:03「高橋敏夫が『多様性の秩序』(昭和60・12 亜紀書房)で言った「キーワード・シンドローム」現象、あるいは西條勉が『日本文学』 (平成3・2)の「子午線」欄で「用語の病」といましめたように、新しい術語(キーワード)に犯され、文化研究にも至り得ず、文学の〈ことば〉を失っている」。
2014-05-14 20:50:14逆にいえば、田中実からポモ批判と他者論を取り除いてやれば素晴らしい研究者になると思う。事実、『羅生門』での「分」と「刻」の併用とか、『山月記』で引用符がない効果とか、細かい処でハッとさせられた。最低、ポモ攻撃の語調を弱めてくれたら、こちらも無用な反発はしないし。誰か言ってやって。
2014-05-14 20:57:57「死ぬ権利は一方で認められねばならないことを私は確信しているものだが、それと同時に、自殺志願のうちにも他の人と心をひらくことを切実に望んでいるのではないか。それが人の心の自然ではないかと思う」(田中実『読みのアナーキーを超えて』)。こういう時は「了解不能な他者」とか言わないんだ…
2014-05-15 09:47:47「〈ことば〉はそこにリンゴがあり、ミカンがあるように〈ことば〉が在るというわけにはいかない。何故ならリンゴなら見れば、普通すぐにリンゴと分かるが、文学作品は見たら、すぐそこにあるのは、文字と言う名の印刷の跡しかない」(田中実)。いやリンゴだって言葉の分節機能なしには認識できんだろ
2014-05-15 09:52:31「〈現実〉と〈虚構〉の分かち難いシュミレイション的現実、バーチャルリアリティのなかにあり、〈オタク〉的現実に生き、一見ネアカやマジメ、あるいはサワヤカに見えているものも、従来の感受性を喪失し、「無知の涙」ならぬ感受性の涙を流すことを忘れているのである」(田中実)。薄っぺらいなー。
2014-05-15 11:52:48「この《他者》を〈他者〉として気軽に論じている文を見るにつけ、私は砂を噛むような思いに囚われることがある」(田中実『読みのアナーキーを超えて』)。それ、田中さんに対して私がいま思ってることです…。
2014-05-16 11:20:54「〈天皇制〉の特質の一つ、その端的な力と言ってよいのではなかろうか。〈他者〉を〈他者〉として機能させず、自己のなかに呑み込んで対象と一体化(自己化)して増大していくこの働き」(田中実『読みのアナーキーを超えて』)。これ、天皇制の問題なんだ…。
2014-05-16 11:39:47田中実『読みのアナーキーを超えて』読了。『小説の力』以上に下らない。どの文学作品も【了解不能な他者に向き合っている/いない】のお得意の結論に回収され、金太郎飴が並ぶだけ。というか、こういう仕方で論文数を稼ぐのってダメじゃないの? これがアリなら論文なんて無限に書けますよ。
2014-05-16 12:28:27ブログで書くなら別にいいけど(百歩譲って紀要)、こういうのが『日本文学』とか『近代文学研究』とか『國文学』とか『解釈と鑑賞』に載っちゃうのってどうなの? 若手研究者は怒らないの? しかし、なんというか、逆に激励されたよ、田中実に比べて、私の仕事とか充実しすぎてるだろ、みたいな。
2014-05-16 12:33:10あと、田中は『国語と国文学』に載った小泉浩一郎の書評を「個人攻撃」と後書で呼んでいるが、これも頂けない。書評を読んでいる訳じゃないが、正統な批判と個人攻撃を勝手に切り分けられると思っている主体が主張する「了解不能な他者」って、一体何? 小泉さんだって「了解不能な他者」じゃないの?
2014-05-16 12:38:04しかし、最近の私のツイッターは田中実の悪口を書くアカウントになりつつある訳で、こういうのはもうやめよう。不毛だ。(田中さんに信じてもらえるかどうか分からないが)私は他人の悪口を言いたいわけじゃなくって、単に生産的なことをやりたいだけなんですよ…。ま、これも「個人攻撃」か…。
2014-05-16 12:45:21そういや、「個人攻撃」と田中実によって評されていた小泉浩一郎の『小説の力』書評(『国語と国文学』平成9・7)を読んだが、少なくとも私の眼から見ると、全くもって正当な批判だった。実際褒めてない処もないではない(『山椒魚』論)。これで「個人攻撃」というのは…。
2014-05-19 20:22:49しかしつくづく思ったが田中実さんって基本ブーメランの人なんだな。田中さん自身が「読みのアナーキー」を満喫していらっしゃるのだから、そんなに「アナーキー」に対して攻撃的にならなくてもいいのに。いや、そもそも「読みのアナーキー」で困っている奴って実在してるのか? 謎だ。
2014-05-19 20:27:50