「好き」をやめるということ
- L_O_Nihilum
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でもなんだろう 「信者末期」って変な話だよなあ。 何で自分の好きなものに始まりと終わりが必要なんだろうか。 自分の好きなものが、飽きるわけでもないのに
2014-05-21 18:07:55僕は一応、自分が「間違いなく好きだ」と思った趣味に、飽きたことって一度もない。流行が過ぎたり、クラスタに疲弊したからといって、それをやめようとも思ったことが無い。
2014-05-21 18:10:14なんだか、もったいない感じがする。 自分の愛すること、自分を形作ってたものを否定する。 …いや、そういうことなら、もともと「自分を形作ってたものなんかじゃなかった」のかもしれない。
2014-05-21 18:11:15ZUN曰く、「人は影響の塊」だそうだ。 だから、他人のつくったものに影響を受けることが、「自分を形作ってたもの」にならない、と言う事は決してない。寧ろ人の作ったものが、自分を形作らせたり、自分の形を思い出させたりするものであるはずだ。
2014-05-21 18:12:23「もともと自分を形成してたものじゃなかった」と対象を断じる場合。 それはその人にとって、影響でもなんでもなかったということだ。 (あるいは、とにかく「それの影響なんて受けてないことにしたかった」のだ)
2014-05-21 18:14:21「飽きる」のなら、この限りにはいらない。 当初自分は凄く好きだった、という痕跡を置いていくだけだ。 影響を受けたことは痕跡に残る(消し去られてしまうが、戻っても来る。その戻ってきたもののことをひとは「懐かしい」って言う)。
2014-05-21 18:15:22でも、飽きるのでもない、「やめる」ってことは、影響其自体を拒否することであり、 それってつまり、痕跡は消し去りきれないにもかかわらず、 それがもうそもそも存在しなかったって言おうとすることだ。 自己を構成する部分を「切除」し、「壊死」させようとしてるように見える。
2014-05-21 18:16:28勿論、それは無理な話。 壊死をさせまくってたら、壊死したボロボロの身体の傷痕が残ってくだけだ。 積もりまくったら、それこそいつのまにかゾンビのようなものになっちゃうんじゃないか。 そんなネガティブなことして、楽しいんだろうか。
2014-05-21 18:17:32飽きてもいいから、少なくとも自分に影響になったものには、その痕跡を認めてもいいんじゃないのかなあ。その痕跡が残ってたら、周りから流行り遅れ打とかなんとか言われるって、そんな理由だけで自分にある影響、痕跡を閉ざしてたら、自分をガス室に入れてるのと同じなんじゃないのかなあ。
2014-05-21 18:19:31そのガス室をかりに「パンドラの箱」というのなら、 本当の「希望」てその箱の中にあるんじゃないのかな それを言祝ぐ言葉が、「懐かしい」なんだけどな パンドラの箱をごみ入れの部屋にして閉ざしていいのかな やさしくおしいれにとっておかないのかな
2014-05-21 18:21:12でも、今喋ってて考えたんだけど、「忘れたほうがいい事」の痕跡もあるような気がする 忘れたくても忘れられない痕跡 いじめとかのトラウマってそういうものだと思うし トラウマとは痕跡のもっとも深いもの トラヴィスがなっていたPTSDなんかはなおさらそれだ
2014-05-21 18:30:16「此れは私を構成しなかった」と閉ざすことが 救いになることもある けれど、例えばタクシードライバー・トラヴィスみたいに戦争とかで傷ついたり ひどいいじめで傷つくとかそういうのと「好きなもの」は違うよなぁ。
2014-05-21 18:31:12「信者になる」というのは、それを好きな人が集まって、それが好きだと言う事で作った同志のあつまりに加わることであって、「その趣味が好きになる」こととは微妙に違う事だ
2014-05-21 18:32:32何かを好きであることをやめる、あるいは飽きるためには それが好きな人たちからも離れなければならないんだろうか
2014-05-21 18:33:04なんだか、他人にどう思われるかとか、他人と共有するとか、そのためだけに好きになってて(つまりその好きは偽物で)、自分の好きなものがなんなのかわからない、って不幸な気がするなあ
2014-05-21 18:37:22せめて、自分を本当にとりこにしてくれた趣味には、 明日飽きてお別れするときに「楽しかったよ、ありがとう、またね」くらい言ってやりたい そんな人になれたら幸せだ
2014-05-21 18:41:19