【佐世保小6女児殺害事件遺族も登壇】シンポジウム「犯罪被害と子ども達」
- osomatu_san
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兄「その後、親父が迎えに来た。自分のことをもはや見ていない。目が泳いでいる。ストレートにいうと『この人自殺するかもしれない』と思いました。どうやったらこの人は死ななくて済むのだろう、と」
2014-05-24 13:47:19父「周囲から自殺するんじゃないか、と思われていたことは当時自覚していない。何もかも投げ出したいものがあったけど、守らなきゃいけないものがある。そこはやり遂げないといけないと思っていた。それが周囲に伝わっていなかったと思う」
2014-05-24 13:49:46妹に対する思いはどうだった? 兄「正直、言葉にならない。遺体を見たときに最初に思ったのは『礼美 (妹)、きれいだな』と。でもこのきれいな姿のまま、大きくなってはくれないんだなと思った。遺体の前でたしかに泣いたけど、そのあとは笑顔で送ってやろうと思った」
2014-05-24 13:53:29兄「父に直接感情をぶつけることもなかった。記者会見をしている姿を見て『何やってんだ?』と思った。こういうときは家族といるのが普通だろう、と。 そういう意味での怒りはあったけど、今となってみればそういうことをやらなきゃいけなかったんだなと思う」
2014-05-24 13:55:30その後はどのような生活を? 兄「佐世保支局の下には色んなマスコミが集まっている。外に出ると写真を撮られてしまう。自室にこもってマンガを読んでいるしかなかった。カーテンから顔を出すな、と支援してくださっていた方から言われていました」
2014-05-24 13:58:30兄「学校にももちろん行きませんでした。家族の会話は、親父はそのときは話せる状態ではなかった。話しかけづらい、ジメジメしていると感じました」
2014-05-24 13:59:44父「話題がないんですよ。そういうときに何を話せばいいのか、と。 でもそのときも実は同僚と、いつ息子を学校に戻すかという相談はしていました。何もしていなかったわけではありません」
2014-05-24 14:01:01父「佐世保署の周りにメディアの人間がいる時期もさほど長くなかった。少年審判の対応をしつつ、いずれ戻せる時期が来るだろうとは思っていました。
2014-05-24 14:04:06学校に戻ってみてどうだった? 兄「思った以上にクラスの子が普通に接してくれました。先生も含めて、事件前と変わりなく接してくれる。それは助かりました。悩みすぎて詰まってしまうよりはそっちのほうがよかった」
2014-05-24 14:05:51父「カウンセリングは、弁護団から紹介された先生と数回面談したけど合わなくてその後はやっていない。息子にも当時提案したけど断られました。本人が受けたいと言ってくるまでは待とうという気持ちだった」
2014-05-24 14:07:09兄「断ったのは事実です。父のカウンセラーが『君はどう?』と聞いてくる。自分の考えたことを親父に知られたくない。だから『何もありません』というしかない。 それしか当時、逃げ道がありませんでした」
2014-05-24 14:08:36兄「そこで直接『君の話を聞きに来た』と言ってくれたら、別室で吐き出すことはできたかもしれない。学校のスクールカウンセラーも声をかけてこなかった。 じゃあ誰に話せばいいのか、とどうしようもない気持ちが残った」
2014-05-24 14:10:25父「なぜ自分の所に聞きにこないのかと言わなかったの?」 兄「どの人も親父とつながっていると思っていた。相談は治療行為なわけじゃないですか。親に話が行かないわけがない。だから自分の気持ちを親父に知られてしまうと思った」
2014-05-24 14:13:03兄「佐世保の友達と離れたくない。でも親父の気持ちも尊重しないといけない。気持ちが大きく揺れたけど、最終的には親父について行った(佐世保から福岡に引越した)」
2014-05-24 14:17:17フタをしていた気持ちは高校入学後、どうなったか? 兄「逃避のために使っていた受験勉強がなくなった。逃げ道がなくなって、抑えていた気持ちが入学後に溢れ出してしまった。普段の生活に少しずつ戻る安心感もあり、高校に入ってから父より自分のことに目が向くようになっていった」
2014-05-24 14:21:31兄「事件以前に妹から相談を受けていたにもかかわらず、トラブルが起きてしまった。どうすれば良かったのか、自問自答する方向に走ってしまった。ちゃんとしたアドバイスができなかった自分はどうしてなのか、と」
2014-05-24 14:22:49兄「当時は他のことに手がつかなくなる。頭痛が起きて、逃げ込むように保健室に行った。授業どころか教室にも行けない状態だった。 そんな自分を親父に知られたくなかった。家を出るまでは元気でも、学校に着くなり保健室に行くような状態。自分の口から説明できなかった」
2014-05-24 14:24:46兄「学校から早い段階で父のもとに連絡が行くかもしれないとも思った。でも結局は『出席日数が足りない』という形でしか通知が行かなかった」
2014-05-24 14:25:55父「(通知が来て)またやっちゃった、と思った。また、というのは娘の事件のときにも加害者とのトラブルを知らなかった、ということ。 (息子の元気な姿に)見事に騙されてました。こんなに苦しんでいたのか、と。元気にやっていると自分が思いたかったのかもしれない」
2014-05-24 14:27:57兄「気持ちを知ってもらったことは嬉しかった。やっと肩の荷が降りたかな、と。父親の目がやっと自分に向いたことに安心感を持てた。 その時点で『この人(親父)は死なない』と確信が持てた」
2014-05-24 14:30:32