原子力規制委員会は、レギュラトリーサイエンスである事が必要

まとめました。
原発 震災 レギュラトリーサイエンス 原子力規制委員会
29
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
特集ワイド:「忘災」の原発列島 再稼働は許されるのか 「世界一の規制基準」新たな安全神話に - 毎日新聞 mainichi.jp/shimen/news/20… 「世界最高水準になるように策定したから世界最高水準だと同義反復しているだけだ」(管直人・元首相)
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
続)「IAEAが求める多重防護の第5層(住民避難など原発施設外の緊急時対応)が日本ではそっくり抜けている。世界では、メルトダウン事故が起きることを前提に被害を最小限にとどめる対策を定めているが、規制委員会はそこは自分の担当ではないと逃げている」(泉田・新潟県知事)
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
続)『東電柏崎刈羽原発を抱える新潟県には教訓がある。07年の中越沖地震。原発敷地内で火災が発生したが、東電の消防隊は消火に失敗し、避難した。新潟県庁への連絡用ホットラインは機能しなかった。地震で施設のドアがゆがみ、東電社員らが中に入れなかったのだ。』
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
続)「非常時に連絡が取れないと困ると言って、新潟県が東電に作らせたのが免震重要棟。当時の規制基準にはなかった。その後、新潟だけにあるのはおかしいと福島第1原発に作られた。完成は東日本大震災の8カ月前だった。あの要求がなかったら今、東京に人が住めていたかどうか疑わしい」(泉田知事)
Atsuo Kishimoto @ooousta
原子力規制委員会は、リスク評価とリスク管理を機能的に分けて、委員会の仕事はレギュラトリー・サイエンスであるという認識に変えないと、どんな人が委員になっても恣意的判断(安全側でもその逆でも)にならざるを得ない。従来型の科学だけでは安全かどうか判断できないのだから。
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
↓規制委の仕事は(従来型の科学だけでなく)レギュラトリーサイエンスだというところがポイント。リスク評価にはしばしばリスク管理に関係する技術的判断や価値判断が前提として含まれ、これをできるだけ明示すること、従来型の「科学」の装いの裏に価値判断を隠したりしないことが求められる。
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
続)現状、そうなってないことが問題なのだけど、これに加えてもう一つ問題なのは、リスク管理の責任のあいまいさ。評価と管理の分離は、それぞれの責任の区別・分担であるはずなのだが、これはしばしば責任のあいまい化になってしまう。
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
続)リスク評価には(レギュラトリーサイエンスとしての)科学的なリスクの見積もりを公正に行うことが責任として求められる。他方、リスク管理では、リスク評価の結果と他の技術的・社会的考慮を総合して、たとえば再稼働などを判断する政策決定の責任が本来ある。
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
続)ところが、えてして起こるのは、リスク管理もつまり政治の側が、決定根拠を「科学」においてしまい、それ以外の判断根拠を隠し、さらに決定責任も「科学」の側に投げてしまうこと。
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
続)たとえば「規制委によって安全性が確認されたものから再稼働する」という政府の答弁は、規制委による安全基準との適合性確認という作業に、再稼働判断の全責任を転化してしまうレトリックになっている。これによって泉田知事がいう「第五層(住民避難計画)」の問題は棚上げになる。
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
続)ちなみにリスク評価とリスク管理の分離のもとで政治が判断責任を科学に転嫁する構図は、米国産牛肉BSE問題での輸入再開の時にも見られたもの。食品安全委員会では科学者たちが、この責任転嫁の問題を正面から論じていたが、結局政府は「科学的に決めました」で逃げた。
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
先ほどRTした岸本さんのレギュラトリーサイエンス論。うちの授業でも講義頂いている。 /安全の作法としての 「レギュラトリーな科学」 bit.ly/1osNQxL
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
ついでにいうと、大飯原発の福井地裁判決の意味も、「安全の作法」としてのレギュラトリーサイエンスという観点からでないと、ちゃんと評価できないと思うんだよね。あれを肯定的/否定的のどちら側に評価するにしても。従来型の「科学」のイメージで科学だ非科学的だ言っても空しい。
はみんぐばーど @kei_sadalsuud
レギュラトリーサイエンス(科学技術基本計画 P15 注5)PDF mext.go.jp/component/a_me…
はみんぐばーど @kei_sadalsuud
「科学技術の成果を人と社会に役立てることを目的に、根拠に基づく的確な予測、評価、判断を行い、科学技術の成果を人と社会との調和の上で最も望ましい姿に調整するための科学」
Hideyuki Hirakawa @hirakawah
ちなみに私見では、原子力学会の「ゼロリスクを求める考え方は科学技術に対する裁判所の判断として不適切」というくだりは批判になってないと思うのよね。「恩恵とのバランスで社会はそのリスクを受容」というが、すべて受容するわけではなく、判決はまさにバランス考えて拒否したといえるわけで。
水無月 @minadukiG
【原子力規制委員会は、レギュラトリーサイエンスである事が必要】 togetter.com/li/672970 リスク管理(政治)サイドによる我田引水的な「科学」の誤用の問題。 【安全の作法としての 「レギュラトリーな科学」】 scicomsociety.jp/wp-content/upl…
水無月 @minadukiG
【安全の作法…】岸本さんの↓はどういう意味だろう。 「『レギュラトリーな科学』を明示するメリット…むしろ、科学者の役割(責任)であることを確認する意味で、『科学』を強調したい(『トランスサイエンス』ではなく!)」 scicomsociety.jp/wp-content/upl… @minadukiG
水無月 @minadukiG
岸本さんの資料がどうも引っかかるのは中西準子さんが思い浮かぶから。中西さんの仕事はほぼ、「レギュラトリーな科学」に沿っているように見える。あれが着地点なら、一般人には「レギュラトリーな科学」とは別のアプローチが必要だね。それがトランスサイエンスなのかも…。 @minadukiG
水無月 @minadukiG
【利益相反を直視する】 researchmap.jp/joqv3qrap-1863… 「利益相反を考える上でさらに重要なことは…実際にいずれかの利益を損ねたか否かという以前に,利益相反行為だと第三者の目から判断されることである」「『わたしは中立だ』といくら宣言したところで…意味をなさない」
水無月 @minadukiG
「まずは徹底した形式的ルールの遵守によって利益相反を管理していくしかない」 「本来ならば…異論や対案を踏まえて議論するための審議会(などの会議体)が,利益相反のある専門家に支配されることは異常であり,その政策過程そのものが『公共性』を疑われてよい」 @minadukiG
水無月 @minadukiG
「利益相反を厳しく問うと専門知を提供する研究者がいなくなる,といった反論はそこで必ず出てくるが,政策が視野の狭隘なコミュニティしかその支えとして持てないのであれば,少なくともそれに見合った規模にいったん縮小することが合理的な判断だと思われる」 @minadukiG
水無月 @minadukiG
↓尾内さんの論考(昨年の『科学』11月号)、まるで田中知さんを予測していたかのような内容だが、これ以外にも政府の審議会、有識者会議の傍若無人ぶりは目に余る。「コミュニティしかその支えとして持てないのであれば…それに見合った規模にいったん縮小することが合理的な判断」←全くその通り。
水無月 @minadukiG
ひとつ思い出した。STSは基本的に事前の話には有効だが、事後に適用するのは難しい。「レギュラトリーな科学」も恐らく同様であろう。つまり規制委のような事例は良いが、事故の後始末等には向かない。だが、中西さんも岸本さんも、事後の例に適用しようとしている。 @minadukiG
残りを読む(10)

コメント

YA @Adarchism 2014年6月2日
リスクに曝される人々の利益があるはずのない科学的確実性の名の下に犠牲にされていないことを保証するのがレギュラトリーサイエンス(http://3500131221.blog120.fc2.com/blog-entry-134.html)、という理解でよろしいか。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする