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松浦 正浩 @mmatsuura
実は昨日、衆議院で参考人としてお話させていただきました。 QT 松浦正浩(参考人 東京大学公共政策大学院特任准教授) 衆議院原子力問題調査特別委員会 2014年6月5日: youtu.be/iquX1evXdDk
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松浦 正浩 @mmatsuura
衆議院原子力問題調査特別委員会の参考人意見陳述の際のスライドをslideshareにuploadしました。こんどブログにまとめます。 QT slideshare.net/mmatsuura/2014…

原子力規制そのものについての専門家ではないこと、また福島の現実についてお話しさせていただくような立場ではないことを、まず最初にお断りさせてください。合意形成の専門家として原子力規制に関連してご参考にしていただけそうなことを、かいつまんでお話しさせていただければと思います。

まず合意形成という単語について定義させていただければと思います。

皆さん政治の色々な場面でお使いになったことのある単語だと思いますけれども、定義というのは人によってまちまちだと思いますし、またそのことが混乱を招く要因になっていると思います。

合意形成とは、コミュニケーションや説得ではない。ということをまず確認させてください。むしろ、自分の異なる意見を持った人たちと共存していくための手段やプロセス、異なる意見を持った人たちの存在を否定しないところから始まる。

自分と異なる人たちと互恵関係を通じて、自分と相手の双方に利益を生じるような取引を見つけるというのが合意形成。状況によっては取引ではなく価値観やモラルというものを言葉として具体化するという作業も一種の合意形成だということが考えられています。

原子力規制に関連する問題として、科学的情報と合意形成というものの関わりについてお話しさせてください。

利害関係者や一般国民が何らかの政治課題について議論しているという状況で、専門家や科学者がどのような関わりを持つことができるでしょうか。

よくあることですが、残念ながら人々が対立しているときは、その陣営をサポートする科学者や専門家集団ができてしまう。そしてまたそれに対立する陣営をサポートする科学者や専門家集団ができてしまう。それが顕在化するような状況を「弁護科学」という言い方をしています。

こうなってしまうとそれぞれ対立する陣営は、個人の想いを語るのではなく、専門家集団のほうを指差して自分のほうが正しい、相手の専門家集団は間違っている、と言った批判をお互いに繰り返すという事態になってしまいます。

このこと自体が絶対的に悪いとまでは言えないが、もし合意形成を目指すのであれば、このような形での専門家の関与は残念ながら混乱を増長するだけだと考えられます。

合意形成を目指す場合に科学的情報が関わってくると非常に多くの障壁が存在するということをピーター・アドラーさんがまとめています。

科学的情報が出て来た場合に十分に考えておかないと議論は簡単に混乱する。

科学的情報を必要とする合意形成について、私は共同事実確認と訳していますが英語でJoint fact findingというよびかたをされています。そのような枠組みを導入するべきだということが80年代からアメリカの環境政策や環境論争の文脈の中で言われるようになってきています。

具体的には情報の利用者の側(議員、政府関係者、国民全体)が、もっと責任と自主性を持って科学的情報を扱うという立場が必要じゃないかということ。

第一に情報の利用者が個別に専門家に接触して弁護科学に陥るのではなく、情報の利用者の集団として、専門家集団に一元的に情報を請求するというのが望ましい。

どのような情報を要求するのかについても、原則として情報の利用者の側で決める。つまり専門家のほうが「これが大事な情報ですよ」と与えてきたときに、そのまま素直に受け取らないということ。自分で考えて必要な情報を取得するという姿勢が一番大事ということになってくる。

また第3に分析結果には必ず過程とか不確実性というものが含まれます。そのときにどのような過程をおいた分析なのか、どの程度の不確実性があるのかということを、情報の利用者の側がきちんと聞いて理解するということが必要だと考えます。

最後に判断は情報の利用者が行うべきだと考えます。つまり専門家は情報提供の役割に徹しまして、安全か危険かというゼロイチの判断については情報の利用者が責任を持つということです。不確実性があるという以上は、そのリスクを受け入れるのか受け入れないのかというのは、専門家が判断することではなく皆さんが判断すること、延いては国民が決めることなのではないかと私はいつも主張しています。

このようなことを行う場合に実際に2つの方法がありまして、

先ほどのように政治的な協議の場を設けた上で専門家集団に対して科学的な専門知を一元的に請求するという事実確認の取りまとめ方というものがあります。

あるいは対立の規模が大変大きくなって協議すること自体がなかなか難しい、現在の原子力問題に近いかもしれませんが、まあ弁護科学のような様相を呈している状況では、それぞれの陣営の専門家を連れてきて、安全とか危険とか言ってる先生が、どういう過程をおいて安全と言っているのか、どういう過程をおいて危険と言っているのか、というのを公の場で確認する、みんなで確認するという背景情報確認型という作業も可能ではないかと思います。

ちょっと抽象的な話が続いてしまいましたので、原子力の文脈でいくつか事例があるのでご紹介したいと思います。

第一に事実確認取りまとめ型と呼べると思うのですが、2007年にアメリカにおいて原子力共同事実確認 Nuclear power joint fact finding という取り組みが行われました。これはアメリカのNGOが主催で行ったのですが、NGOというと色がついているように思われるかもしれませんが、このNGOは賛成反対という政治スタンスは絶対とらないで、とにかく合意形成を支援するんだということのみをミッションとしているキーストンセンターという団体があります。

そこが連邦政府の上院議員の人達から「こういうことをやったほうがいいんじゃないか」という働きかけを受けて実施した事例です。実際色んな意見を持つ27名の参加者が16名の専門家から情報提供を受けながら政策提言をまとめたという事例です。

この事例ですが参加者の中に、現在のアメリカの原子力規制委員長のアリソン・マクファーレンさんも入っていました。私が数年前に主催した研究会でもマクファーレンさんにこの事例についてお話しいただいたということもあります

具体的な結果ですけれども、原子力の発電コストはkWhあたり8〜11セントであろうということで、推進派から懸念を持つ人まである程度意見の集約をはかれたという事例です。他にもいくつか論点があります。

これは福島第一の事故の前の、しかもアメリカの話ですので、この8〜11なんていう数字はまったく参考にならないと思いますし、現在の日本でこのようにみんなが対話することは不可能かもしれません。ただ賛成反対の人たちがみんなで納得できるような科学的な情報というのを前提とか不確実性まで含めて整理して、それをもとに政策とか規制を合意形成でつくっていくというは現実はともかくとして理想の形といえるかもしれません。もちろんこれを原子力でできるかどうかはまた別の話です。

次に実際に私が日本でやらせていただいた事例です。高レベル放射性廃棄物の地層処分に関する問題で、NUMOの事業者の方と懸念をもたれている研究者の方それぞれお一人お呼びして対話を実施したという事例です。

この時も賛否を問うということではなくて、むしろ地層処分の安全性について考えるときにどのような視点が必要なのか、ということ、そしてどのようなことを事実として現状を確認できそうか、ということを二時間半ですけれども対話で実施した事例です。

この議論の結論についてはお二人にご相談させていただきながら作成したまとめの文書というのがありまして、それはHPに載っておりますので、ご覧いただきたいのですが、当時の法制度の中で安全に関わる判断基準がどのように設定されてきたのか、あるいはまだ設定されていなかったのか、といった点、あるいは安全評価の際のシナリオ設定、とくに火山現象のような相対的には確率が非常に小さい現象を評価することが技術的に可能なのか、といった点について、実はある程度意見の収斂が見られたのではないかと、いうふうに個人的には思っております。

もちろん政治的なその後の判断について、そしてまだある他の技術的な要素について議論が分かれる部分は多々あったかもしれません。ただ、ピュアに技術的な議論だけしてみると、あるいは事実関係の特定だけしてみると、このような人達の間でも共通認識がまったく存在しないわけではないと、しないわけではないという事実こそが、これから先の未来を考える上で重要なことなのではないかな、と思います。

最後になりますが原子力規制に関することについて、少し絞って私見になりますが述べさせていただきます。まず今一番皆さんの懸念事項だと思いますが、新規制基準適合性審査というものですね。

共同事実確認の思想を前提にするなら、意思決定とか判断というものを専門家の先生に委ねるべきではない、ということです。つまり専門家は新基準に適合していますよ、していませんよ、といったことまでは情報を提示していただけると思いますが、そこに限定すべきだということです。

また審査を通じて、許可認可が出たということが今後あるかもしれませんけれど、それをもって社会的合意が得られたと言うのは、ちょっと言い過ぎだと、私は考えます。もちろん法制度のもとで許可や認可が出ているという事実は変わらないでしょうけれども、現実問題としてその後自治体の同意が必要だったりしますし、結局、合意という言い方をするのは言い過ぎなんじゃないかという点について、ご注意いただきたいというのが、もう一つの点。

そして科学以外の視点というものがどこで介入する余地があるのか、というのが私、実は気になっているところです。

例えば適合性審査というのは科学的な調査分析、まあ活断層があるないとかそういう話だと思うんですけれども、そもそも倫理として甚大な被害をもたらす可能性がたとえわずかでもある事実というものを、社会として導入するのかどうか、あるいは高レベル放射性廃棄物のように超長期の将来世代にわたってリスクを負わせることというのが倫理的に認めうることなのかどうか、といった問題について議論する場が今ないのではないかと、いうふうに思っております。そういった点がどこで考慮されるのかという点が気になっております。

最後に適合性審査において不確実性のもとでの判断がどのように行われるのかという点が気がかりであります。

たとえば何かの危険性についてある程度の幅があったときに真ん中くらいのところをもって安全か危険か判断するのか、それとも安全よりのところを見て安全か危険かを判断するのか、あるいはそもそも危険かどうかということを定量的に評価できない事象というものが世の中にはたくさんあると思うのですが、そういうような事柄はどういう形で判断されるのかということです。

共同事実確認という考え方に基づけば、専門家の人に任せるのではなくて、むしろ科学的情報の利用者、つまり皆さん、政治家であったり、あるいは国民一人一人かもしれません、その人たち一人一人が判断すべきものだと思います。ここの判断まで専門家に委ねてしまってブラックボックス化するというのは極めて社会として望ましいことではない。というふうに考えております。

最後のポイントなんですけれども、規制だけでなく原子力の合意形成全般について、これは利害調整なのか、モラルの問題なのか、という疑問を持っております。つまり利害調整だけなのであれば、いわゆる条件闘争みたいなものですので、補償の条件をどのくらいまで上げるのかですとか、安全性のレベルをどのくらいのところで設定するのか、という丁々発止の交渉で合意形成が可能なのかもしれません。

しかしモラルの問題、福島の事故という経験をふまえた上で、社会として原子力を利用すべきか、すべきでないのか、廃棄物を将来世代にまわすことが倫理的に認められるのか、認められないのかといった、べき論の論争が今回の原子力の件に含まれているのであれば、実は合意形成などそう簡単に実現するものではないと思っております。

私自身、原子力利用の問題は、利害調整だけでなくモラルの問題もはらんでいるのではないかと、だからそう簡単に解決しないんじゃないかと考えております。逆にそういうふうにモラルの論争があるんだよ、と認めることによって、たとえ合意にはいたらなくても、現在なにか閉塞感のようなものを感じているわけですが、それを乗り越えることができるのではないかと、そういうふうに感じております。

リンク www.enecho.meti.go.jp 双方向シンポジウム どうする高レベル放射性廃棄物 2013 双方向シンポジウム どうする高レベル放射性廃棄物 2013のホームページです。
松浦 正浩 @mmatsuura
5/24の防潮堤シンポでの講演「防潮堤の合意形成を本気で目指すなら」のスライド(一部改変)を @slideshare にアップロードしました。詳細は後日ブログにまとめます。 slideshare.net/mmatsuura/ss-3…
はみんぐばーど @kei_sadalsuud
素晴らしく勉強になった:『実践!交渉学 ---いかに合意形成を図るか』松浦正浩著 - Take a Risk:林岳彦の研究メモ takehiko-i-hayashi.hatenablog.com/entry/20110308…

メモ

はみんぐばーど @kei_sadalsuud
1. 「合意形成」とは、コミュニケーション(伝えること、理解すること)や、説得(自分の考えへの賛同者を増やすこと)ではない。▶ 松浦正浩(参考人 東京大学公共政策大学院特任准教授) 衆議院原子力問題調査特別委員会 - YouTube youtube.com/watch?v=iquX1e…
はみんぐばーど @kei_sadalsuud
2.「合意形成」とは、異なる意見を持った人々と共存していくための手段やプロセスで、異なる意見を持つ人々の存在を否定しないところから始まり、互恵関係を通じて相互利益のあるような取引を見つけたり、共有する価値観やモラルというものを言葉として具体化するという作業である。
はみんぐばーど @kei_sadalsuud
3. 政治課題についての議論で人々が対立関係にある状況では、それぞれをサポートする専門家集団ができてしまう。それが顕在化すると、個人の想いを語らず、専門家集団に対しての批判をお互いに繰り返すという事態になる。合意形成を目指すなら、このような形での専門家の関与は混乱を増長する。
はみんぐばーど @kei_sadalsuud
共同事実確認とは、①情報の利用者が個別でなく集団として、専門家集団に一元的に情報を請求する。②どのような情報を要求するのかについても、原則として情報の利用者の側で決める。③分析結果の過程や不確実性を情報の利用者の側がきちんと聞いて理解する。④判断は情報の利用者が行う。
はみんぐばーど @kei_sadalsuud
5. その方法 ①政治的な協議の場を設けた上で専門家集団に対して科学的な専門知を一元的に請求する。②対立の規模が大変大きく協議することが難しい状況では、それぞれの陣営の専門家を連れてきて、どういう過程をおいて安全・危険と言っているのか、というのを公の場で、みんなで確認する。

コメント

山下238 特撮とアッシマーはいいぞ @Yamashita238 2014年6月6日
合意じゃなくて該当分野の専門的な試験で合格点数以上取れない奴の意見は排除するという方式は取れないのか?
山下238 特撮とアッシマーはいいぞ @Yamashita238 2014年6月6日
たとえばさあ、「写真をとると魂を抜かれる」とか本気で信じている連中が社会の1/4くらいを占めているとしたら、そいつらにどうやって対処すればいいのだろうか。
あひるっくす第4形態(ただいま進化準備中) @yotayotaahiru 2014年6月7日
「合意形成とは、コミュニケーションや説得ではない。ということをまず確認させてください。むしろ、自分の異なる意見を持った人たちと共存していくための手段やプロセス、異なる意見を持った人たちの存在を否定しないところから始まる。 」←【存在を否定しない】の上でだけど「意見」の前の事実確認を正確にするのは大事だよね。
Ishida Brain Dam'd @tbs_i 2014年6月7日
試験の内容でまず合意形成が必要という罠にはまるだけ。
温風式チェロ弾き @tonkyo_Vc 2014年6月7日
モラルの問題は確実にあって、それを本当は議論しなければならない時期にあると思います。ところが、それは本質的に関与する人達の倫理観を問うことになるので、正面切ってそれを論じる勇気がない(これはどちら側でもそうでしょう)ために、それを科学の問題(事実確認の問題)にすり替えてしまっている部分があるのではないでしょうか。
酋長仮免厨 @kazooooya 2014年6月7日
事実確認は大事ですよね。最近の「被ばく鼻血論争」でも事実確認をしないのに騒いでましたからね。 また「リスク」という言葉を使わず、「安全とか危険」と言っている時点で参考にならない参考人、という個人的な感想。
neologcutter @neologcuter 2014年6月8日
共同事実確認(科学的情報を必要とする合意形成)ねえ?散々言われてきた「御用学者」とか「原発ムラ」とかに合意形成ってありましたっけ?
知花俊輔 @nightmarechild4 2014年6月8日
共同事実確認はお互いの議論の本筋が明後日の方向にズレた状況に陥った際に、「自分たちはここまでの話において事実を共有していた」所まで一旦立ち返る為の技法。そこから(正しいか正しくないかは別として)合意に至るには落とし所を探す政治の領域。松浦氏の提言はそのズレた状況での必要性の話をされているだけだと思う。
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