- hibiki_mikage
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【認知的不協和】二つの知識や信念が矛盾する状況では、不協和による緊張を解消させようとする物の見方、行動が生ずる。その行動を変化させる不協和を認知的不協和と言う。
2014-06-06 19:44:42@azumagoro 自分の持つ認知・信念と,信念とは矛盾する認知を同時に経験した時に感じる不快感を認知的な不協和と呼びます。
2013-02-07 04:09:49「自分の持つ認知(信念)とは矛盾する認知を経験した時に感じる不快感、これを認知的な不協和と呼びます。」なら飲み込めた(これが正しいのか微妙に違うのかは分からない
2013-02-07 04:25:51@azumagoro それでただしいですね。最初はどちらも認知だけ書いてたけど,認知って枠組みだとわかりにくいかなと思って信念をつけたしたけど,後者にたすのを忘れました。
2013-02-07 04:27:04@hibiki_mikage なるほど。いま思いついた例としては、ローテのカバドリをdisってたらカバドリで優勝されてしまった、ってことですね!
2013-02-07 04:30:24@azumagoro あーですです,まさにそんな感じですね。その不快感を認知的不協和,あるいは認知的不協和状態といいます。で,その不協和を解消する方向に,認知の変容が起こったり(大会の参加者が少ない等で優勝の価値を下げて認知してみたり)します。
2013-02-07 04:32:42理不尽なことをするしかない状況に(社会的・外部的要因で)置かれた場合,人は自分はそんなことはしない人間であると信じたいがために,自分が行った理不尽な行動の正当な理由を見出してしまう。そして,その理由は正当でないといけないのだから,それを受けた側も必要な行為なんだと自己正当化する
2013-01-19 04:40:11良くある研究だと,アフリカのどこかの民族が,子どもの歯を抜いてしまう習慣などがあげられる。かつては風土病を和らげるために歯を抜かないといけなかったんだけど,そういう酷いことをするには自己正当化しないといけない。だから歯を抜いた姿が綺麗であると,行為を正当化した。
2013-01-19 04:42:07その結果,病気はもう流行っていないのに,民族には歯を抜いた姿の方が綺麗なのだという理由だけが残ってしまったので,未だに子どもの歯を抜いているらしい。まぁそんな感じ。何のことについて呟いてるかはお察し(
2013-01-19 04:43:03ここでは,そういう人たちに,歯を抜いても綺麗じゃないですよ,と言っても聞いてもらえないのが問題なのである。
2013-01-19 04:44:10認知的不協和を考えてて,ひとつの真実に気が付いた ホストに夢中な女性はホストが魅力的だからお金を払うんじゃないんだな。お金を払ったからホストが魅力的に感じるんだな。
2012-07-11 20:12:30相手に何かをさせる ということは主観的な自分の魅力を高めることになる 何故か 相手の為に何かをしたことによって認知的な不協和が生じ,その不協和の解消のために相手の中で,何かをした対象が何かをしてあげるにふさわしい魅力を持っているに違いないという認知の変容が起きるからである。
2012-07-11 20:15:21ホストも同じである。お金を払った ということに対して発生する認知的な不協和を解消するためには,ホストがお金を払うにふさわしい魅力を持っていると思うしかない
2012-07-11 20:16:28引用『相手が劣っているという意識は、そうした相手に接する態度も正当化してくれる。(中略)認知的不協和理論が教えてくれるように、態度と行動をつなぐのは双方向の道だ。自己正当化をもたらすようなステレオタイプをつくりだすのは、往々にして、差別という行動なのである。』
2012-07-23 10:43:54『自己正当化の世界では、私たちは善良な人間であり、したがってそうした私たちがわざと他人に苦痛を与えているとすれば、相手がそうされて当然なのであり、よって私たちは邪悪などなしておらず、それどころか善をなしている、と論は進む。』
2012-07-23 10:44:16『自分が実行してしまった、しかし道徳的に許容できない恐ろしい出来事の記憶を胸に抱えたまま生きていくことは地獄であり、だからこそ多くの者は何でもいい、手近な自己正当化に手を伸ばして不協和をなだめようとする。』
2012-07-23 10:44:38いじめたものが,いじめられたものの“いじめられるべき要素”に注目するのは,最初の“いじめ行為”の後であることが多い。正確にいうと,いじめた事実を自己の中で正当化しないと認知的不協和を解消できないため,あいつはいじめらるべき人間なのだと考えることで不協和を解消しようとする力が働く。
2012-07-23 14:14:58そして,認知的不協和を解消する自己正当化のプロセスは,最初は半ば強制的にやらされたほんのささいな行動だったとしても,それをきっかけに,最終的には人を殺すに十分な電流を見知らぬ人に与えるところまで人を動かすことが実験で示されてる。
2012-07-23 14:17:00最初は誰も,いじめられたものはいじめられるべきだ などとは思っていない。 でも,一度,嫌嫌であったとしても「そのような態度」で接してしまうと,その態度を正当化しなくては認知的不協和を解消できない。そこで「彼は○○だからいじめられても仕方が無いのだ」と思うことになる。
2012-07-23 14:22:47というわけで,人は「彼が○○だから」いじめるのではなく,いじめたから「彼は○○だ」と思うようになるんですよ 多分 ここまで仮説です(
2012-07-23 14:23:39本来やりたくないと思っていたことをやらざるを得ない状況に置かれると,人は認知的不協和を感じる。その結果,やりたくないと思っていたことは「必要」なことだという認知の変容が生じる。 そして,「必要」だから,そのことを他の人にもやらせるべきだと考えがちになる。
2014-03-22 04:18:32自分が苦労して手に入れたものを,簡単お手軽な方法で手に入れる人を,ことさらに批判する人たちは結構いるしその気持ちもわかる。ただ,それは認知的不協和の解消のためにかけた苦労に価値を見出している状態だからなんじゃないかと思った。本当に価値のあるものは苦労とは無関係に価値があるはずだ。
2013-02-25 09:21:42