【教育】「教育主体は教師の集団であり、教育を受ける子供たちも集団である」【哲学】

内田樹先生の仮説議論まとめ
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内田樹 @levinassien

ふう。お昼に参鶏湯を食べてから新幹線(車体はTGV)で大邱に移動。教育庁での講演は今回のツアー最大の500人。お題は「先生はえらい」。このところの主題である「教育主体は教師の集団であり、教育を受ける子供たちも集団である」という仮説を縷々語りました。

2014-06-26 23:46:49
内田樹 @levinassien

この場合の「集団として教員」は水平的な集団(同時代に生きる教員たちの連合体)だけではなく、垂直的な集団(死者としての教師たち、まだ生まれていない教師たち)と形成する歴史的共同体をも意味しているのです、という話に会場にいた教員たちが激しく反応しているのが感じられました。

2014-06-26 23:49:08
内田樹 @levinassien

講演のあと、今日も大邱の女性の先生がたとびいる。いつも会場にも打ち上げにも女性教員が多いのですが、それは小学校の教員の90%が女性だからという理由だけではなさそうです。女性教員たちはたぶん直感的に「唯一の正しい教育方法」が存在するということを信じていない。

2014-06-26 23:52:30
内田樹 @levinassien

ろくでもない教師や病的に熱血な教師や「オレの教育方法だけが正しい」と信じている教師を含めて、集団として教師は機能します。ですから結果的に「子供たちの成熟を支援する」という目的を果たしたのであれば、教育は成功だったということになります。

2014-06-26 23:54:39
内田樹 @levinassien

人類集団の存続に絶対に必要な社会的システムは「誰でもできる」ように制度設計されています。例外的にすぐれた能力の人間しか制御できないシステムが「生き延びるために絶対必要」であったら、人類はとうの昔に地上から消えているでしょう。

2014-06-26 23:55:55
内田樹 @levinassien

教育は「人類が存続するために絶対に必要なシステム」です。であるなら、「誰でも教師になれる」ように制度設計されているに決まっている。教師が多様であればあるほど、その資質にでこぼこがあればあるほどうまく機能するように作られている。僕はそれくらいに人類の集合知を信じています。

2014-06-26 23:57:31