丹生谷貴志ツイートまとめ(2014年6月)

丹生谷貴志さんの2014年6月のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

黛敏郎が始めた『題名のない音楽会』はバーンスタインの同種のテレビ番組のパクリといやパクリだったが、黛さんをどう思おうと音楽史と「現代の音楽」についてかなり高度な啓蒙に成功していた。同じ頃吉田喜重の美術館巡りの番組もあった。これは吉田さんの傑作としてフランスとかで今でも人気らしい。

2014-06-24 10:29:53
nibuya @cbfn

・・・もっとも、黛さんが亡くなったあと『題名のない音楽会』は惨憺たる番組になってしまった。それはともかく、黛さんの『涅槃交響曲』はCDとかで効くと「ケッ!」て曲だが、準備が完全に整備された演奏会で聴くことが出来れば、音響的虚仮威しを超えてなかなか凄い。あんま演奏されないでしょうね

2014-06-24 10:36:09
nibuya @cbfn

そう思うと、少なくとも七十年代半ばくらいまではテレビの「ジャンル乗り越え的視聴覚可能性探求」が結構真面目にやられてた気がする。『座頭市』に「ドメクラ・コジキ」とかの言葉が出るから放映するななんて「視聴者のクレーム」が出るとかになってからテレビは急速にその「実験性」を縮めて行った?

2014-06-24 10:45:15
nibuya @cbfn

・・BBCがケネス・クラークに作らせた『文明と芸術』シリーズやイタリアのレオナルド時代を再現させたドラマ仕立ての高度なシリーズとか(若桑さんが熱狂してた)、今はどうなのか。『モンティ・パイソン』だって一時はBBC内部爆破みたいな怪物性を持っていた。BBCは今でもその片鱗があるか?

2014-06-24 10:53:45
nibuya @cbfn

「視聴覚文化による活字文化の綜合的展開」の最大の問題?は要は「金銭」。演劇は座付き作者も俳優さんも生活苦を脱せず、映画は金がなきゃ撮ることが出来ない。結局ペンと紙、或いはワープロ投資だけでなんとかなる「活字文化」が生きた化石?みたいに「孤独」に供給されている。不健康だ・・・

2014-06-24 11:07:48
nibuya @cbfn

子供は活字をそのまま視聴覚として生きる能力を持っているとすれば「少年少女文庫」こそは「未来の革命」の希求点の一つだ。石井桃子=ベンヤミン(!)の企画。今はしかし岩波のそれすらちょっと疑問の傾向性を感じさせる。活字は子供において具象的に視聴覚触覚化され生きられるのを甘く見ている?

2014-06-24 11:17:05
nibuya @cbfn

石井桃子さんが退いてからの「少年少女文庫」は「道徳化」してしまう。道徳は活字に閉じ篭る。一方、活字を視聴覚化して生きる子供の能力を「幻視能力」と勘違いしてファンタジーに流れる。センダックやエンデ、或いはグイン・・・彼らは活字文化の人間で、だから大人人気の童話なんてものを流布させる

2014-06-24 11:26:54
nibuya @cbfn

・・・前も書いた気がしますが『ちび黒サンボ』を子供は「高速回転でバターに変わるトラ」のその視聴覚触覚的な感応として記憶しているので、サンボが差別でそれが子供の知育をゆがめるなんてなあ「活字バカ」の貧相な近代主義のあがきで、それこそ知育に悪いことに気づいていない・・・

2014-06-24 11:31:11
nibuya @cbfn

村上春樹さんの何がウンザリって、その視聴覚選択の趣味の・・・古さか悪さか。未だビートルズ、未だヤナーチェク、未だ『カリフォルニア・ガールズ』未だ六七十年代のジャズ喫茶のジャズ、へっぽこなポップアート、サムフランシス風のオシャレ・・・

2014-06-24 11:47:11
nibuya @cbfn

如何に希望は激しかったか、なんていうメロドラマチックな言い方を花田清輝は一笑するだろうが、しかし花田さんが「賭けて」いたあらかたの「来るべき大衆芸術」の今を見たら戦闘的な微苦笑を忘れないにしてもさすがに溜め息をつくだろうか。なかなか結構、もうじきだ、と言うか・・まあ後者でしょう。

2014-06-25 17:50:04
nibuya @cbfn

しかし「エゴイスムからヒューマニズムへ」移る「悪しき成熟」の例として「ブリュウゲルからルーベンスへ」なんて書く花田さんはちょっとレトリカルな思いつきがいい加減でしょう。まあ何を言いたいのかは分かるけれど・・・

2014-06-25 20:30:31
nibuya @cbfn

花田清輝の予想した「来るべき芸術」はあらかた失敗していると言えるだろうがしかし、彼の「ミュージカル」の構想は例えばウォークマン以降外界を好き好きにミュージカルに変えてしまうことによって裏返しに実現されているとも言えるかも知れず・・・という訳であらかた実現しているとも言える訳だ。

2014-06-26 01:02:46
nibuya @cbfn

ホイジンガの「ホモルーデンス』は偉大な本だが、古くさい用語で言えばそれがプチブルの自己慰撫に留まる限りクズである。この本を書評したバタイユや補遺的文書を書いたカイヨワたちの意志はこの重要な書をプチブルの外へと開ことだった。しかし残念ながらそれを包囲しているのは未だプチブルである。

2014-06-27 09:06:32
nibuya @cbfn

これまた古くさい言い方だが「ホモルーデンス』は文字通りの意味で戦いの書であろうとしている。1938年刊ということは要は彼の目には殆ど世界壊滅的なものと映ったに違いない「戦争状態/常態」において書かれたわけで、1945 年二月に死んだ彼にとっては世界は滅亡したものとして、消えた。

2014-06-27 09:15:56
nibuya @cbfn

例えば「ホモルーデンス』を書いたのが蜜蜂集団だったと想像すること。知的な蜜蜂がいたということではなく、無数の蜜蜂が雲の様に、たまたま空中に活字状に文字を描いた、その結果であるかのように。実際上或る種の書物を書いたのがニンゲンであったという確証はないのだ。ボルヘス的仮説? いや・・

2014-06-27 09:42:59
nibuya @cbfn

そう言えばずいぶん昔松浦寿輝はコンピュータ、と言うか「電脳知能」或いはむしろ「電脳無脳」が打ち出した「詩」は「詩」であるか、という本を書く予告をしたことがあった筈だ。あれは書かれたのだったか?

2014-06-27 09:48:27
nibuya @cbfn

文芸誌連載の高橋源一郎を見たら「黒子のバスケ事件」の被告の文章や「サカキバラ事件少年」の文章を今更全文引いて「美しい」と書いていた。連載途中の文章だから「別様に」展開されていくのかもれないが、これじゃあいけないでしょうが、源サン。サドとジュネという名が無責任に並ぶのも納得出来ない

2014-06-27 09:57:08
nibuya @cbfn

『文學界』の編集後記は、大江さんが新人作家の作品について批評を控えて受け入れる態度を難じている。その通りで、「大作家」がまるで優しい翁のように「若い人」を受け入れる傲慢に弛緩した光景を見なきゃならない義理はない。大江さんはもはや自分を超えるものは誰もいないという気分なんでしょう。

2014-06-27 10:29:54
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