- benitengunokai
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400年前のマンネンタケ(1) 一般保有では最古? 出どこは修学院宮、所有は京都所司代板倉勝重の菩提寺、茸を包んだシフクには由緒書きも書かれている。 pic.twitter.com/Bu61xfsH1L
2014-06-23 22:22:28400年前のキノコ(2) 包んだ布には寛文10年に後水尾院が修学院離宮で手ずから採取、板倉重矩に贈たとの寛文13年の添え書きがあり、西尾市の長円寺(板倉家菩提寺)が保管している。 pic.twitter.com/gbx9YceOSH
2014-06-23 22:22:49@myco_radical @benitengunokai 400年前のマンネンタケ、如意を連想しますが、当時、薬用として重用されており、添え書き等から帰任する所司代の旅の安全を祈念し贈られた「仙薬」として保存されたようです。長期保存は後年、漆で表面処理によるものかも、、、
2014-06-24 08:43:556 / 25 の「400年前の茸 マンネンタケ」(1) 予想を上回る多くの方の関心を頂きびっくりでした。もつと丁寧に書くべきと反省、岩瀬文庫の学芸員の協力で調べ直しました。茸を包んだ布の添え書きを書いたのは著名な国学者 竹洞野節、 pic.twitter.com/Ywxu8IIsJi
2014-07-02 22:16:09「400年前の茸 マンネンタケ」(2) 添え書きを記述した竹洞は人見竹洞(1638〜1696)と言う天産物に強い国学者。内容は 「源侍従、鳥山城主の板倉重矩君は京都所司代として政ごとに功績を残したが、庚戌孟冬(寛文10年)任務を終え江戸幕府の旧職(老中)に復することになった、、
2014-07-02 22:16:09「400年前の茸マンネンタケ」続報(3) その出発に際し 太上法皇(後水尾上皇)が重矩の功労を褒賞し幾つかの品を下賜し、また、修学院離宮の庭園で御手ずから採取した赤芝を二つ授け「道中これを身につけていると災厄を払うであろう」と述べた。重矩君は感謝の念に堪えず大切に これを藏、、
2014-07-02 22:16:20「400年前の茸マンネンタケ」続報(4) 大切にし菩提寺の三河国幡豆郡 長円寺に寄進「後世にのこしたいと」私に命じてこの経緯を記させた。 寛文13年(1673)孟夏(4月)上瀚(上旬) 竹洞野節 記すーとある。 pic.twitter.com/R3coqB6p5v
2014-07-02 22:16:44