政治学トーク (田村×網谷) 2014年7月6日
- ryusukematsuo
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「政党政治は統合過剰になることもなく、統合性を喪失することもない条件のもとでしか機能しない。しかしそうした条件は今日『あたりまえ』ではなく、むしろその『ありえなさ』のほうが明瞭になっている。」(野口雅弘「政党」古賀編『政治概念の歴史的展開第6巻』183頁)。
2014-07-06 23:19:53@ttya70 野口論文ではこうも書いてある。「政党政治への疑問や批判がたかまる一方で、今日それを基礎づける政治思想はほとんど見当たらない」(同、184頁)。
2014-07-06 23:21:25野口さんがコノリーに言及して示唆しているように、闘技的民主主義を「政党政治の政治理論として読む可能性はあるかもしれない」(同、187頁)というのは、僕もぼんやり思っていたことではあります。僕の場合は、主にムフですが。
2014-07-06 23:22:45政党そのものではなく選挙ですが、拙共編著『アクセスデモクラシー論』日本経済評論社、の岡崎晴輝さんの「選挙制度とデモクラシー」は、「代表」と「熟議」の二つの規範的理念に照らし他ならばどのような選挙制度が望ましいか、を論じたものです。政治理論的な選挙制度論と言えると思います。
2014-07-06 23:25:26熟議民主主義とか結社民主主義論の系譜では、利益集団については、それを積極的に組み込もうとする議論もそれなりにあると認識しています。ただ、政党そのものは少ないだろうか。
2014-07-06 23:29:54僕自身が最近書いているいくつかの論文での熟議システム論の話だと、政党が担ってきた機能は大切だがそれを担うものがいわゆる「政党」である必然性はない、といった等価機能主義的な話になってしまう。これはこれで大事だと思ってはいるが、政党内在的な話にならないのも事実で、これではかみ合わない
2014-07-07 00:04:30あと、(現代)政治理論における事実の「濾過の仕方」の問題は、政治理論の方法論的問題だと思う。事実そのものを扱うのかテクストを扱うのか、前者だとしてどのように「濾過」するのか。これは規範理論における例のコーエンの話とちょっと違う水準でも議論されてよい問題と思う。
2014-07-07 00:07:47@ttya70 補足ありがとうございました.結社の方(Warren,Cohen/Rrogers,Hirstとか)はイメージがわきます.政党である必要はありませんし,機能的等価でいいのですが,「代わり」のないまま回路がなくなっていくという現状認識です.長時間ありがとうございました.
2014-07-07 00:26:04