茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1279回「容赦ない、感じ」

脳科学者・茂木健一郎さんの7月7日の連続ツイート。 本日は、昨日の夜、ふと思い出したこと。
コラム よか 茂木健一郎
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茂木健一郎 @kenichiromogi
連続ツイート1279回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日の夜、ふと思い出したこと。
茂木健一郎 @kenichiromogi
よか(1)昨日、眠る前にNHK総合でウィンブルドンをやっていて、久しぶりに、フェデラーとジョコビッチの熱闘をガン見した。途中で眠くなって離脱してしまったが、朝起きてみたら、ジョコビッチが優勝していた。あのまま起きていたら、とは思うが、眠気には勝てない。
茂木健一郎 @kenichiromogi
よか(2)ウィンブルドンを見ていて思うのは、球をひろったりする人たち(ボランティア?)のきびきびした動きが実に気持ちがいいな、と言うこと。ぱっとボールを取りに行くために、カウチングスタートで準備している少年や、コートの後ろの方でさっと構える三人組とか、感動的な迅速さ。
茂木健一郎 @kenichiromogi
よか(3)やはり、テニスのトップ・プレイヤーたちが真剣勝負をする中、試合進行を円滑に進めよう、という決意のようなものが感じられて、ウィンブルドンのボランティアスタッフ? の志気の高さには、世界最高の大会を支えるという義務感とプライドを感じざるを得ないのである。
茂木健一郎 @kenichiromogi
よか(4)さて、振り返ってみると、私は、子どもの頃、実によくスポーツ中継を見ていたな、と思う。ウィンブルドンなどのテニスの試合もそうだけれども、サッカーの日本リーグだとか、ラグビーだとか、マラソンだとか、もちろんプロ野球、高校野球、さらには競馬中継までよく見ていた。
茂木健一郎 @kenichiromogi
よか(5)当時、スポーツ中継を見るゴールデンタイムは、日曜の午後で、競馬中継で言うとオークス、菊花賞、ダービーなどを見るのが好きだった。ハイセイコーという名馬がいて、引退の時には歌ができたりした。なぜあれほど熱心に見ていたのかと言えば、そこに多くの学びがあったからだろう。
茂木健一郎 @kenichiromogi
よか(6)スポーツ中継の、容赦ない感じが好きだった。鍛え上げ、その場に立つこと自体が名誉である者どうしの、勝敗をかけた必死の闘い。一瞬のプレイが試合を左右し、そのために落胆し、ダメだと思っても最後までベストを尽くし、その結果を受けれて去っていく。そんな物語が好きであった。
茂木健一郎 @kenichiromogi
よか(7)逆に言えば、スポーツの外に行けば、実社会はそこまで必死の闘いも繰り広げていないし、結果の判断も公正ではないし、どんな結果であれそれを受け入れて潔く去っていく、という風にはできていない、と子ども心にもわかっていたのだろう。テレビのスポーツ中継は、一つの理想であった。
茂木健一郎 @kenichiromogi
よか(8)自分のベストを尽くし、そのためにも長い間鍛錬を続け、「ピッチ」の上を疾走して、負けそうになってもとにかく全力で闘い続ける。そんな、子どもの頃熱心に見たスポーツ中継からの「メタファー」は、なかなかそうは純粋には行かない現実を生きる上でも、役だっているように思う。
茂木健一郎 @kenichiromogi
よか(9)スポーツ中継においては、結果がわからないという「偶有性」が純金の元素のようにこの世に降臨しているという感じがする。今行われているワールドカップも、試合一つひとつを思わず引き込まれて見てしまう。そこに顕れている生命の躍動(エラン・ヴィタール)が心の糧となる。
茂木健一郎 @kenichiromogi
以上、連続ツイート1279回「容赦ない、感じ」でした。

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