短歌の〈引用〉に関していろいろ考えたまとめ

短歌の「引用」に関していろいろと考えたことをメモ代わりに投稿してきました。それが溜まってきたのでまとめます。 異論反論意見歓迎。
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久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

私はこの歌の評を読むまで漱石の句は知らなかったのですが有名らしい。知人の大塚楠緒子の死に際し、手向けとして作ったと自身の随筆で述べています。いわば挽歌(句?)ですね。なおその随筆「硝子戸の中」は青空文庫で読むこともできます(第二十五章)aozora.gr.jp/cards/000148/f…

2014-07-13 01:39:02
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

漱石と大塚楠緒子は深い関係だったことがある説もあるそうです。ただしどちらも別の人と結婚しており、表立ってそれを証するものはないようです。ただ「硝子戸の中」のエピソード(芸者かと思うほどの美人がやってくると思ったら大塚楠緒子だった話)を読むと、そんな話が出てしまうのも頷けます。

2014-07-13 01:40:06
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

掲出句の「ある程の菊投げ入れよ」という表現には、ひとまず最大限の弔意という意味を読み取れるでしょう。 さて、吉田の歌は「いくたびか摑みし乳房うづもるる」という上句によって、「菊を投げ入れる」行為に弔意だけでは済まされない感情が読み込まれています。

2014-07-13 01:40:34
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

この歌は恋人の死を扱った連作の一連です。鎮魂の菊を手向けながら行為を思いだす「不謹慎」さは、最大限の弔意とは相反するようにも受け取れる。連作の構成から歌の〈私〉は男性だとして話を進めると、男性から女性へ向かう性行為の暴力性が「乳房を摑む」によって強調されている仕掛けに気付きます。

2014-07-13 01:41:58
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

これによって「菊を投げ入れる」行為もまた暴力性を帯びることになる。「うづもるるほど」という過剰さが、上句に生じた激しさを橋渡ししています。ここにあるのはつまり怒りです。「不謹慎」に思われた行為は「なぜ死んだ」と恋人を責めるほどの、あるいは整理できないほどの激情に収束していく。

2014-07-13 01:43:35
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

さてここで面白いことに気付きます。それは掲出歌を契機に漱石の句を参照すると、真偽不確かな「恋人への挽歌」という文脈で読むのが妥当のように思えてくるのです。「ある程の菊」という表現に乱暴さや激しさが色濃くなり、最大限の鎮魂という行為の後ろに、怒りや激情が隠されているように感じます。

2014-07-13 01:44:37
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

もちろん弔意は嘘にはなりません。激情と理性の葛藤が見えてくるわけです。この読み方は掲出歌と並べないときには、思い付きはしても、確証を持って語れるものではありません。

2014-07-13 01:45:27
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

このように漱石の句を読むと、今度は再び吉田の歌にも葛藤を見出すことができるでしょう。掲出歌は「不謹慎さ」によって自罰的な、より複雑な葛藤を帯びている気もしますが。

2014-07-13 01:46:49
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

以上のように、掲出歌は漱石の句を引用することで、実は漱石の句の文脈を再構成し、それを還流して自らの意味を構築する場を作っているようです。 (以上)

2014-07-13 01:51:44
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

補足。さっきのはあくまで二つの作品を並べたときにそう読めるということなので。あと、相互作用することで「本来の正しい読み」とか「どちらがどちらの引用か(原典か)」というの捉え方はどっかにいきます。

2014-07-13 02:48:42

その5

久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

【引用の歌】 ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり/穂村弘 有名だけどよくわからん歌でもあります。下句は諺を引用しつつ改変している。この歌の肝は夢か現か判らない浮遊感かもしれません。下句が本当に諺として存在するパラレルワールドに迷い込んでいたりして。

2014-07-15 21:09:03
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

【引用の歌:ムーミン】 かくのごとく卑劣な日の性欲も食欲もつねと変わらずねえムーミン/フラワーしげる ねえむうみんこつちむいてスコップのただしいつかひかたおしへます/平井弘 どちらの歌も呼んでいる先から暴力のにおいが漂ってくるが、拒否できない怖さがある(続)。

2014-07-15 21:24:08
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

破滅するとわかっていても向かってしまう甘美な誘いがある。それはアニメ主題歌のあの甘やかな優しげな声がオーバーラップするからだ。また、ムーミンの世界観のどことなく陰気で不条理な感じも、内容との組み合わせで引っぱり込んでいる。

2014-07-15 21:34:42

その6

このうたでわたしの言いたかったことを三十一文字であらわしなさい/斉藤斎藤

久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

【引用の歌】 このうたでわたしの言いたかったことを三十一文字であらわしなさい/斉藤斎藤「渡辺のわたし」 国語の試験などでよく見かけるフレーズを引用しつつ改変しています。例文としては「この文章で作者の言いたいことを○文字で表しなさい」とかでしょう。

2014-08-01 18:19:36
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

文字数指定を三十一文字(みそひともじ)に掛けているのが上手いところ。 さて、「わたしの言いたかったこと」をこの発話者(わたし)はわかっているでしょうか。私はわかっていないのだと判断しています。ポイントは「言いたかった」と過去形にした点です。

2014-08-01 18:19:57
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

もしそれがわかっているのなら、目の前にある「このうた」で「言いたいこと」になるはずですから。 「このうた」で「何か言いたいことがあった(そしてそれはもうわからない)」状態で、それを再び三十一文字、つまり短歌にせよという。でも仮にそれを為そうとして、今度こそ表せるでしょうか。

2014-08-01 18:20:14
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

そんな雰囲気がしないのは、歌で表したものをまた歌にするという矛盾が最初から組み込まれているからです。このように掲出歌は『歌で「私」の「言いたいこと」を表す』が入れ子構造で語られている歌です。もっとも、「言いたいこと」がそもそも本当にあったのか疑わしくなってくるのが核心かもしれない

2014-08-01 18:21:07
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

とりあえず歌の読みは以上。ここから斉藤斎藤の引用手法について考えていたのですが、長くなったので以降はブログに掲載しました。> blogs.yahoo.co.jp/okirakunakuma/…

2014-08-01 18:23:09

おまけ

久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

【考え事】もし本歌取りが本歌の作者に著作権侵害で訴えられたら、勝ち目があるか。出典を示さない以上引用にはあたらないし、パロディは日本の法律では認められていない。逃げ道があるとすれば「慣例」の一点突破しかなさそう。これまで誰も裁判を起こしていない故、グレーゾーンで済んでいる。

2014-03-25 22:03:41
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

【考え事続き】俳句では、選者が投稿作を無断で添削した件の裁判で「事実たる慣習」ということで著作権(ここでは著作人格権)侵害に当たらないと判断された事例がある、と教えてもらいました。本歌取りがそのまま当てはまるわけではないですが。

2014-03-25 22:42:42
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

【考え事】ところでパロディ(にも定義は色々ありますが)という手段を取る大事な目的の一つとして、ある作品を批評することが挙げられる。この場合、批判的な意味を帯びることが当然あり、元ネタの作者がブチギレすることもあり得る。こういうケースは訴訟沙汰になりやすいかもしれない。

2014-03-25 22:55:07
久真八志(くまやつし) @okirakunakuma

【続き】僕の認識では、本歌を批判する意図での本歌取りはあまりお目にかからないし、解説書の類でも一般例としては挙がらない。とすると、批判的な意図で他人の短歌をもじった歌を作った場合、訴えられたら逃げ道がない(本歌取りという慣習ですらないから)のだろうか。

2014-03-25 23:02:44