愛宕さんが解説する青函連絡船の戦中・戦後

1945年7月14、15日にあった国鉄青函連絡船空襲を中心に戦時中~終戦後の連絡船を解説したツイート。
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スクラップヤード @CA_atago

向かってくる敵機に気づいた津軽丸は陸岸への座礁を決意するも被弾多数。15時10分に沈没。 第二青函丸は移動のために錨を上げたところを襲撃され、被雷により船体が切断。15時30分に沈没。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:52:33
スクラップヤード @CA_atago

早朝の空襲では難を逃れていた飛鸞丸は午後には空襲にさらされ、煙突後部に被弾の他至近弾多数を受けて船体が傾き 15時20分に沈没。 戦死者の中には船員養成所実習生の14~15歳の少年たちも含まれるという痛ましい事に… #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:54:28
スクラップヤード @CA_atago

翔鳳丸は退避行動に出たところで飛鸞丸が空襲を受けるところに遭遇。艦載機は飛鸞丸が沈むと翔鳳丸に群がり攻撃を加えて、15時55分、青森港外で沈没。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:55:40
スクラップヤード @CA_atago

第七青函丸は函館ドックで整備中だったものの、午後の空襲では船を動かして退避することを決意。その途中で攻撃を受け命中弾3発を受ける。 沈没こそ免れドックまでは戻ることが出来たものの、船体の損傷は激しくまともなは航行とても望めない状態であった、と… #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:56:53
スクラップヤード @CA_atago

第八青函丸は函館湾で待機中に14・15日と攻撃を受けて船体や機関を激しく損傷し航行不能に。 第一青函丸は14日の空襲からは難をのがれたものの、良く15日に空襲を受けて身を潜めていた三厩湾で沈没。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:57:26
スクラップヤード @CA_atago

この14・15日と渡った空襲で青函連絡船は沈没8隻、大破炎上2隻、大破航行不能2隻の計12隻が被害を受けて使用不能に。 この12隻というのは当時の「青函連絡船の全戦力」であり、文字通り『壊滅』してしまったわ。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:58:38
スクラップヤード @CA_atago

いえ、壊滅どころか『消滅』とさえ言えるわね。全戦力が失われてしまったのだから。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 22:59:32
スクラップヤード @CA_atago

この大損害(と言う言葉すら生ぬるい)であっても本州〜北海道間の輸送を休む事は許されない。 運輸通信省は至急の立て直しを開始。とりあえず函館ドックにいた別航路用の「亜庭丸」を転属させて23日から就航。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:01:56
スクラップヤード @CA_atago

損傷を受けた第七・第八の両青函丸は応急修理し、第七を25日に第八を29日に復帰。 他にも海軍から特設砲艦や特設巡洋艦(民間貨客船に武装を施したもの)を借り受けるなどして、17日にはなんとかその輸送機能を復旧させることに成功。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:02:55
スクラップヤード @CA_atago

とはいえ、その後も青函航路への空襲は続き、8月10日には青森側の鉄道・港湾施設が空襲を受け、この時に亜庭丸は空襲を受け沈没。 とはいうものの、米艦載機部隊は亜庭丸一隻に300発近い爆弾を消費してやっと仕留める程の手こずり様だったと言われているわ。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:04:43
スクラップヤード @CA_atago

そして、昭和20年8月15日。終戦。しかし、連絡船には『復興』という更に長く苦しい戦いの始まり。 終戦直後の連絡船は第七・第八青函丸、下関~釜山航路からの転属組の景福丸と壱岐丸、稚内~泊航路からの宗谷丸の5隻のみ。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:06:53
スクラップヤード @CA_atago

とてもじゃないけどこれから起きる需要を捌けるものじゃないことは明白。 そこで下関〜釜山航路で沈んでいた船や座礁していた第六青函丸をも修理して合計3隻を投入。 だが、それでも全く輸送が追いつかない。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:09:27
スクラップヤード @CA_atago

そして、皮肉なのはこの輸送力不足に困り果てたのが連絡船を沈めた米軍(連合国軍)。 ソ連の牽制のために北海道に投入した部隊向け物資の輸送が滞る始末。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:11:35
スクラップヤード @CA_atago

「なんとかしろ」と言われた運輸逓信省。完成間近で工事ストップの第十一および第十二青函丸と別航路向けのもう一隻の建造再開を認めさせて就航させるも、これら3隻は進駐軍専用扱いに…… #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:13:28
スクラップヤード @CA_atago

ちなみに米軍は 「足りない分はLST貸すからそれ改造して使えや」 というのでこれを函館〜小湊間に就航させるも余りに使い出が悪すぎて2年で廃止の憂き目に。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:14:45
スクラップヤード @CA_atago

苦しい中をやりくりする青函連絡船だが、それ故の事故も多発。 更に当時連絡船を管轄していた進駐軍部隊が性悪で事故を船員の責任にし、暴力に訴えてくることも多々。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:17:04
スクラップヤード @CA_atago

そんな中の昭和22年12月。凄まじい悪天候で連絡船は軒並み欠航とされる中を進駐軍は専用船の石狩丸を出せと言ってきた。 船長は天気図を見せて反論。しかし聞き入れられない。こうなればもう出港決定。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:18:52
スクラップヤード @CA_atago

函館港から出た石狩丸はもはや地獄の大釜の中に放り込まれたも同然。 猛烈な波浪・吹雪で視界はゼロ。波に叩き上げられた次の瞬間には奈落の底に落ちるような勢い。最大傾斜は36度という有り様。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:22:30
スクラップヤード @CA_atago

更に、強風のため石狩丸は操船不能となり青森に針路を向けられない有り様。 船長は漂流を決意。錨を降ろしたまま波に揉まれながら漂流。 だが幸運にも錨が海底を捕らえ、三厩湾に仮泊することに成功。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:24:35
スクラップヤード @CA_atago

そのまま翌朝まで仮泊。その後移動して昼前に青森港に到着…。 この時乗っていたGHQ指揮官が「青函連絡船で大しけに有って死にかけた」と上級司令部に報告。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:25:49
スクラップヤード @CA_atago

これを受けてGHQが調査に乗り出した結果、露わになる函館停車場司令部(RTO)の横暴の数々。 こってりと絞られたRTO、以後は態度を改めたそうな。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:27:37
スクラップヤード @CA_atago

さて、青函連絡船の台所事情は火の車どころでない惨状。 日本の復興を促進しなくてはならないこともあり、GHQはかねてから陳情を受けていた新造船の投入を許可。 青函航路は客載船と車両渡船が4隻づつ認められ、運輸省は速攻で発注。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:30:12
スクラップヤード @CA_atago

と、いうのはGHQの気が変わって取り消し食らうのを恐れたから。 そして予想通りの取り消し命令。しかし、客載船の1隻目は進水。2隻目以降も部品等の買い取りが完了している状態。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:32:00
スクラップヤード @CA_atago

「ここで取り消したら凄い違約金になるんだけど。ねぇ?ねぇ?」 と日本側に言われたGHQは折れて取り消し命令を撤回。建造はそのまま進行。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:33:47
スクラップヤード @CA_atago

連絡船新造というのは当時の日本の造船界にとっては途方もなく明るいニユースだったわ。 鍋だの釜だの農具だの作っていた造船会社にしてみれば一大チャンス。 戦災で傷ついた設備を修繕しながら、資材をかき集めながら一生懸命作り上げていった。 #愛宕によるヌルい艦艇四方山話

2014-07-15 23:35:58