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>Boys were to her, when she thought about them at all, merely possible good comrades. 『赤毛のアン』の後半から。
2014-08-11 23:48:26nwudir.lib.nara-wu.ac.jp/dspace/bitstre… で、この論文のなかではこう和訳されています。
2014-08-11 23:49:47>男の子について考えることがあったとすれば、単に良い友人になりうるかどうかという観点からに過ぎなかった。
2014-08-11 23:50:07なぜこんな訳になるのか。私なら「男の子という存在は、アンにとっては気を回すことが仮にあるにしても、せいぜい級友として悪くない相手という以上ではなかった」と訳す。
2014-08-12 15:55:37> If she and Gilbert had been friends she would not have cared how many other friends he had nor with whom he walked.
2014-08-11 23:56:27くみ訳。 「そもそも彼女にとってギルバートは親しい友人という関係ではなく、たとえそうだったとしても、彼には自分以外にどのくらい友人がいるのかとか、誰といっしょに歩いていたのかといった事柄は、アンにとってはおよそ関心外であっただろう」。
2014-08-12 00:02:09> She had a genius for friendship; girl friends she had in plenty;
2014-08-12 00:03:12>but she had a vague consciousness that masculine friendship might also be a good thing
2014-08-12 00:04:40>to round out one's conceptions of companionship and furnish broader standpoints of judgment and comparison.
2014-08-12 00:04:59「だがそんな彼女にも、異性の友人がいるのも悪くはないかなという意識は漠然とあるのだった。ひととの交友について充実した理解を得られるかもしれないし、ひとを判断し比較検討する目を育むよい機会にならないでもない、と」。
2014-08-12 00:13:50>充実した理解 ここは「両面的理解」のほうがいいかな。要するに女性としか付き合いがないと人類の半分しか理解できないが、男性との交友があれば残り半分についても理解できるようになる、ということ。
2014-08-12 00:18:03mightのニュアンスを日本語に置き換えられるかどうかがカギ。村岡も松本も私にいわせれば落第です。
2014-08-12 00:19:51