鷹野隆大作品は“わいせつ物”か
- hashizume_y
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本当にそう思います。事前に美術館側が対応していたことなんて、簡単に無視できてしまうんですね、、@seiichitsuchiya: だから、それでも文句言うモンスター市民の不寛容さの跋扈と、その尻馬に乗る公権力がダブルで動いてるんだよ。大問題です。 RT @kanoshunsuke
2014-08-13 09:16:33本当の事を言うと「わいせつ」という言葉に対応する意味の実感がぼくにはない。わいせつのクオリアが知覚できないというか。それを指さして繭を顰める人、密告する人、取り締まる人々の心の中で何かが起こっているのだろうと推論することしかできないのである。
2014-08-13 09:29:01なぜ裸婦像が許容されてヌード写真がダメなのかというと、前者は(いくらモデルに似ていても)それはあくまで“イメージ”であるのに比べ、写真はその特性上「対象である実在人物のありのまま」を写しとっているからなのだろうな。
2014-08-13 09:37:26県警と美術館のあいだにどんなやりとりがあったのか、知りたいところ。県警の要請を突っぱねる余地はなかったのだろうか。→美術館展示写真、愛知県警「わいせつ」 一部覆う - 朝日新聞デジタル t.asahi.com/fjcy
2014-08-13 09:41:13公共が行う舞台で、性器がもろみえていることもある。「これからの写真」では鷹野さんの展示室の前に、「不快に感じられる方はご遠慮ください」といった趣旨の掲示がされていたのに、この処置ではだめなのだろうか。具体的な法の線引きは、どこなんだろう。
2014-08-13 09:42:26性の表象には、少数の優れたものと、大多数の退屈でくだらないものがあるだけで、後者は有害っちゃ有害だけど、あまりに多すぎて無視するしかない。それだけのことなので、いったいどこに「わいせつ」があるのか分からないのである。
2014-08-13 09:44:32鷹野さんは数年前のツァイトの個展で自主的に(?)陰部にうすい紙を貼っていたので、敢えてそうすることで示せる可笑しみとともに別の批評性に自覚的なんだと想像するけれど、そのまえに美術館が、警察に対してどこまでも意地をはる気概があったのかなかったのか。
2014-08-13 09:58:26「公然」である事が法律の前提になっている訳であるから、これからは観客に「同意書」を書かせ、「押印」までさせての「非公然」化するべきであろうか。
2014-08-13 10:07:58「市民による暴力的な通報」は得てして公共性を損ってしまう典型的な例。| 美術館展示写真、愛知県警「わいせつ」 一部覆う:朝日新聞デジタル bit.ly/1upI7vn
2014-08-13 10:28:22映画や小説は自主的にアクセスしようとする人にしか観たり、読んだりできないけれど、公立美術館は基本的にすべての人に開かれている(ということになっている、税金で運営されているわけだし)。でも美術だって、すべての人に同じように価値が保証されるものではないから、自己矛盾を抱えている。
2014-08-13 10:30:11だから今回の鷹野さんの展示のように、選択的に観る・観ないを決める余地が、美術館の中にあっても良いのに。それがなくなってしまうと、ほんとに窮屈だ。
2014-08-13 10:32:32「お金を払っているんだからこちら側が優位」と思っている人が増えたことも根本的な問題としてある気がする。お金を払っているからサービスを還元しろ。自分にとって不快な作品を排除しろ。そういう人は、わかりあえない他者と出会う場所がある、ということに対する想像力を働かせない。
2014-08-13 10:35:36@prof_butterfly 鷹野さんのあの展示方法もある種の表現ですね。訴える本質はズレますけど。おそらく今回も想定内だった気もします。
2014-08-13 11:12:40裸足のゲンの時も思ったんだけど、極めて一部の市民による自発的な統制を、受ける側が許容し過ぎてるよね。なんのための施設なんだろ。このような事例はもっと加速するだろうし、前例があれば右に習う館も増えるだろうね。 もーパブリックで挑戦的な表現は諦めるしかないのかも。作家も覚悟が必要か?
2014-08-13 11:13:43