20140824 #ETV 特集「原発事故 国家はどう補償したのか ~チェルノブイリ法 23年の軌跡~」
#etv 実際に補償の予算を実施すると、経費は国家予算の40%となる。しかし実際は国家予算の5%(2013年)。委員会では、予算はソビエト政府が出すべきだとしていた。当時、ソビエト政府は補償のための予算を組もうとしていた。ロシア、ベラルーシ、ウクライナに対するもの。
2014-08-23 23:43:18#etv 被災地への対策費として、総額150億ルーブル(3兆7千億円)を試算。しかし、チェルノブイリ法成立の頃、1989年ベルリンの壁崩壊。1991年8月24日、ウクライナ独立。ウクライナ政府はこの時、被災者補償に51億ルーブルが必要だが、6億ルーブルしかきていないとソへ。
2014-08-23 23:46:21#etv しかし、ソビエト政府は、予定していた103億ルーブルの支給が不可能となり、69億ルーブルしか支給できないと返答。1991年12月、ソビエト連邦崩壊。後を継いだロシアは、被災者救済予算を各国が自ら支給するようにと通達。ウクライナのもくろみは崩れた。
2014-08-23 23:47:54#etv クラフチュク初代大統領「まず国防予算を削減した。そして残りをどう配分するか考えた。チェルノブイリの被災者救済を優先させた。教育や科学が重要な分野なのはわかっているが、財源がない中で何を優先するかといえば、チェルノブイリ法だった」
2014-08-23 23:48:54#etv しかし1990年代後半、世界的な経済危機がウクライナにも。GDPが落ちこんでいく。被災者救済に、当初の予定の3割しか支給できなくなった。シチェルバク初代環境大臣「1991年から96年まで、60億ドルを支出した。国家予算の10%。國の財政にとって困難な問題だった」
2014-08-23 23:50:23#etv 2013年暮れからキエフで反政府運動が。大統領は国外逃亡。新たにポロシェンコ大統領が就任。政府は、被災者にこれまでどおりの補償を行うと表明。コロステン市の社会保護局では、東部の戦闘地域から来た難民の補償も行うことに。パシンスカヤさんは農地を借りて野菜を作り始めた。
2014-08-23 23:54:04#etv 汚染されていない食糧を買う金はない。「生きるためにはこれを食べるしかないのです」「月々の給付金では黒パンくらいしか買えません」原発事故から28年。チェルノブイリ法という一本の法律が、国家による補償をつなぎとめてきた。そこから私たちは何を学ぶことができるのか。
2014-08-23 23:55:37#etv 「金がかかるからといって、被災者を置き去りにするわけにはいかない」「人々に誠実に向き合い、人の一生を補償する覚悟で法律を作るべき」「重要なのは、被災地の住民を保護すること。どこが被災地かという範囲と、どこまでが被災者の権利かを明記すること」
2014-08-23 23:57:55