虎猫はん資料を読む「意見風土、空気、民主主義」伊藤陽一

虎猫はん @tigercatver2 のつぶやきをまとめさせていただきました。 何かございましたら対応させていただきますので、お手数ですがご連絡いただけますようお願い申し上げます。
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@tigercatver2

【資料】「意見風土、空気、民主主義」伊藤陽一 慶應義塾大学 メディア・コミュニケーション研究所紀要メディア・コミュニケーション No.56 200  mediacom.keio.ac.jp/publication/pd…

2014-09-11 12:10:02
@tigercatver2

アフガニスタンに対する武力行使決議を議会が承認した。これに唯一人反対したのがカリフォルニア選出のバーバラ・リー議員(民主党)である。その夜から議員の事務所や自宅に,抗議や嫌がらせの電話,ファックスが殺到した。そのため,警察は彼女を24時間,警備することになった(前同)。

2014-09-11 12:21:02
@tigercatver2

バークレーの市議会は,テロ行為そのものと共に,米軍によるアフガニスタン空爆を強く非難する決議を採択した。このことがウォールストリートジャーナル紙で報じられるや否や,非難の電話やファックスが市議会に殺到した(前同)

2014-09-11 12:22:09
@tigercatver2

日本語だと「空気」、英語 climate of opinion ドイツ語 Zeitgeist(時代精神)か。

2014-09-11 12:24:23
@tigercatver2

伊藤はそれぞれ違和感があるとし、kuukiを提唱し、Dictionary of Media & Communication Studiesの第5版に採用されたとw

2014-09-11 12:26:45
@tigercatver2

天一号作戦での大和の沖縄水上特攻も豊田連合艦隊司令長官は戦後「そのときの空気を知らないものの批判には一切答えないことにしている」と言い小沢治三郎軍令部次長も「全般の空気よりして,当時も今日も特攻出撃は当然と思う」と語ったkuukiと同列と語るのか。このエピは山本七平だね。

2014-09-11 12:39:13
@tigercatver2

太平洋戦争そのものが,否,その前の日華事変の発端と対処の仕方が,すべて“空気”決定なのである。だが公害問題への対処,日中国交回復時の現象などを見ていくと,“空気”決定は,これからもわれわれを拘束しつづけ,全く同じ運命にわれわれを追い込むかもしれぬ(山本七平「空気の研究」)

2014-09-11 12:47:53
@tigercatver2

ノエレ=ノイマンの「沈黙の螺旋理論」を知らないw

2014-09-11 12:55:05
@tigercatver2

指導者が世論あるいは「意見風土」を参考にし,なるべくならそれに沿うような決定をしようとすることは当然だということである。そういう意味では世論や「意見風土」は政策決定に「影響を及ぼす」のだが,それは民主主義制度に組み込まれた当然のメカニズムである。(伊藤陽一)

2014-09-11 12:59:31
@tigercatver2

問題は,その圧力が脅迫,社会的制裁,テロの可能性,いやがらせ,孤立の恐怖等を伴っているかということである。ノエレ=ノイマンは「孤立の恐怖」を強調している(前同)

2014-09-11 13:00:26
@tigercatver2

一方の党派が前面に立って群衆の感情を把握し,自派を拡張して反対派を追いやり,少なくとも彼らが当面の間沈黙に身を隠すほどまでに至らせるなら,この優勢状態は時代精神と呼ぶことができるだろう。こうなればある一定の期間,時代精神は望み通りに歩みを進めることができるだろう(ノエレノイマン)

2014-09-11 13:08:35
@tigercatver2

伊藤陽一.....井沢元彦引用しとるな....メディア論てだからダメなんだw

2014-09-11 13:24:41
@tigercatver2

ちなみにノイマンの沈黙の螺旋とは、勝ち馬に乗る、長いモノに巻かれるということ。これで少数派が多岐にわたる抑圧(脅迫、威迫、テロ、阻害、追放、隔離)におののいて、ますます勝ち馬に乗る意見が増幅していく現象。

2014-09-11 13:27:42
@tigercatver2

戦後,新聞は自らの戦争責任についてはほとんどふれず,戦前の報道についてはとかく言論統制や検閲の厳しさばかりを強調しがちである。しかし,満州事変から2.26事件あたりまでは,書く気さえあれば,その後ほどにがんじがらめの統制ではなかった(「新聞が日本をダメにした」石田収)

2014-09-11 13:59:22
@tigercatver2

「時事新報」社説部長の近藤操は毎日「今日やられるか」と覚悟しながら,2.26事件から約10カ月間にわたって激しい軍部批判,粛軍論の社説を書き続けた。ところが,戒厳司令部からの注意は1度しかなく,全く拍子抜けした,と戦後の回想録で記している(前同)

2014-09-11 14:01:10
@tigercatver2

近藤はこうした体験から「各紙が筆をそろえて批判,直言したならば軍部や革新官僚に対する抑制効果は必ずあったに違いない。非常時でもやれば出来たことであった。しかるに新聞は萎縮し,その言論責任をはたさなかった(前同)。

2014-09-11 14:01:59
@tigercatver2

しかし「好戦的空気」は,新聞記者達の社会的責任感と倫理意識の欠如,それに新聞経営者の営利追求動機だけでは発生しない。「空気」発生の背後にはさまざまな形で「大衆」がかかわっている。(伊藤陽一)

2014-09-11 14:04:28
@tigercatver2

この時期における(一部の)大衆からの新聞社に対する圧力には以下のようなものがあった。1.広告ボイコット2.不買運動3.脅迫(伊藤陽一)。

2014-09-11 14:07:06
@tigercatver2

1の例 狡猾な暴力団は新聞社の弱点は広告にありと連りに広告主を脅かし,朝日新聞から広告をボイコットさせようとした。重役会は無条件降伏である(緒方竹虎)

2014-09-11 14:10:49
@tigercatver2

2の例 大阪朝日が軍部批判を行った結果,軍部,在郷軍人会,右翼などから激しい反発をくらい不買運動が各地で起きた。特に関西では奈良で相当規模の不買運動が起こり,大阪朝日をあわてさせた。こうした落ち込みに大阪毎日がチャンスとばかり拡張にくり込み,販売面で苦境に立たされた(前坂俊之)

2014-09-11 14:13:40
@tigercatver2

阪朝日全社内に満州事変を不満とする空気がみなぎっているものだから自然に紙面にもにじみ出てくる。すると,小倉で新聞不買運動が起った。在郷軍人会が主となって不買を決議した。朝日からも人を派して,了解を求めた結果,師団長がこの決議を撤回するのに非常に骨を折ってくれた(大山千代雄)

2014-09-11 14:15:41
@tigercatver2

それでも新聞の売れ行きは3万,5万と減っていった。下村海南(副社長)から『新聞の売れ行きが減ることは重大な問題である。新聞経営の立場を考えてほしい』と苦情が出たくらいだ(前坂俊之)

2014-09-11 14:16:27
@tigercatver2

3の例 事変直後に右翼の総本山,黒龍会の内田良平から旧知の大阪朝日新聞調査部長・井上藤三郎を通じて大阪朝日幹部への面会の申し入れがあった。黒龍会にはかつて白虹事件で村山社長を襲撃した実績がある。(前坂俊之)

2014-09-11 14:19:31
@tigercatver2

白蛇事件→確か国体批判で右翼が大阪朝日に乱入し、社主を裸にして電柱に縛り付けたはずw

2014-09-11 14:20:59
@tigercatver2

1930年代,そこには権力にこびているのではなく,大衆が好むから書くという側面があった。逃げ口上ではあるが,微妙な相互作用で次第に事態を悪化させるメカニズムがあった。(秦正流「戦争と新聞」加藤周一との対談で)

2014-09-11 14:24:59