「ことづけが見えない」関連イベント 齋藤陽道×百瀬文

ギャラリーハシモトで開催された齋藤陽道と百瀬文による二人展「ことづけが見えない」の関連イベントの記録です。 多田淳之介(東京デスロック)×齋藤陽道×百瀬文 参加費:1000円(1ドリンク付き)
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齋藤「手話通訳するひとすげえなといつも思う。」 百瀬「だから、ある意味齋藤さんはバイリンガルみたいな状態なのかな、と。自分の声が肉筆で出るか、電子の集まりとして無機質なフォントとして出力されるかって全然感覚的に違います。こっちのほうがなんだか安心してしまう。肉筆は裸でいるみたい」

2014-09-13 20:53:38
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齋藤「裸でいる感じは手話がちょっとあるかな。16のときに覚え始めた」 百瀬「手話は、あくまで省略化された感情なのかな?」

2014-09-13 20:55:00
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齋藤「わからない。だから、写真に写真が声であってほしいと思いながらやっているところもあります」 百瀬「私も作品のなかで声を使うが、必ずしもそれは音を伴わないものだったりする。たとえば、映像に無言で出る字幕を読んだときに脳内再生される声はだれのものなのか?」

2014-09-13 20:57:01
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百瀬「おそらくその声は、音声ではなく、それぞれの想像力のなかできこえている概念上の声だと思っていて、それが齋藤さんにとっては撮影するときに入り込むかにものなのかなと思います。それとも、撮影そのものがなにか声をかわすことになるのか?魚のやつとか。」

2014-09-13 20:58:40
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齋藤「声を確信しているわけではなく、声の幅を拡げたい。そうしないとこの音声社会につぶされてしまうから。命がけです。百瀬さんにもそのあたり感じますか?」

2014-09-13 21:00:15
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百瀬「そうですね、想像上の声と、声の幅を拡げるは同じことを言っているのかなと。音声社会、前提となっている社会。いちどかえりみることは普段から考えていて、結局、それはふたつの眼という窓からしかこの世界を見ていないということを知ることから始めるしかないということかもしれない」

2014-09-13 21:02:36
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ヒチコック《裏窓》を思い出す。

2014-09-13 21:02:56
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齋藤からの質問に身振りで答えようとする百瀬、やや手こずる。

2014-09-13 21:04:35
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齋藤、ここからは手話で表現している。いつも手話で話すのだがタイプしているのは百瀬に合わせているのかなと思ったが、多田さんの指示によるものかもしれない、と思ったりした。

2014-09-14 12:08:42
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齋藤「PCを使って話すことは見つめあえない。音声社会にいる以上、伝わらないのがあたりまえなので、そのさみしさからまず逃れたい。それは前作まで。今回はちょっと変わった。なんだろう、立ち戻って撮りました(・・・)写真集『感動』を出す前は、眼差しが一切交わらない写真ばかり撮っていた。」

2014-09-14 12:09:21
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(わたしは「暗い写真」と第一印象を抱いたことを覚えているが、かれは「まなざしのない写真」と自分の写真を表現している。そして、百瀬さんの回答、彼女は手話ができないので口で話すが、ちょうどわたしが百瀬の斜めうしろにいたため、口が見えず。)

2014-09-14 12:09:51
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齋藤「今の手話と声が同時に出て、自分のなかでこんがらっている。(齋藤、声を止める)やっぱりどうやっても伝わりにくい。PCでタイプしているときはお互いわかるけれど、視線はずれている。書く時なら近くなった感じはあるけど、視線はカタい。やわらかくはない」

2014-09-14 12:10:03
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(ここでの齋藤の手話について。「視線」を表現するとき、かれはじゃんけんの「チョキ」で突き出た人差し指と中指で両目の線を表現している。眼から何かが発されているイメージは、プラトンをはじめとする視覚論にみられることで、これらを「発出論」と概念づける研究者もいる)

2014-09-14 12:10:42
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(齋藤が「視線はカタい」というときは、両手のチョキを向かい合わせず、お互いに同じものをみている状態の身振りをしている。同時に何かを一点に見つめるというカタい表情もした)

2014-09-14 12:11:33
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齋藤「見つめあうときに火花が生じる。それにひきつけられる。」 百瀬「(火花の身振りを真似して)これは何か?」 齋藤「何かはわからない(・・・)PCでのやりとりは疲れる。こうして話しているほうは緊張するけれど、こちらがいい。」

2014-09-14 12:12:09
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百瀬「打つときには迷いがない(ここ、よく見ていない、文意違う可能性あり)。PCでのチャットは見つめ合って、きらめくのがない」

2014-09-14 12:12:23
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(ここで多田さんより終了のサイン、百瀬、「くやしい」と紙に書く。齋藤、彼女にここまで言わせるとは・・・。わたしは彼女の口からそういうことばをきいたことがなかった。次は質疑タイム)

2014-09-14 12:12:55
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質問者1(手話で)「見つめ合ってパッと光るのは「愛」ではないか?」(これは質問というより意見、百瀬、齋藤から通訳されて笑う。)

2014-09-14 12:14:01
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質問者2「齋藤さんへ。百瀬さんのいう「2つの眼」についてどのように思ったのか?」

2014-09-14 12:14:14
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百瀬「眼というのは、もちろん比喩として。わたしは齋藤さんの眼を通じてはこの世界を見れない。眼は器官などではなくて、世界のふれかたのこと。そのことをどれだけ逆にとらえて別のやり方でさわることができるのだろう、と今はその方法を思いつく限りやっている感じ」

2014-09-14 12:14:18
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齋藤「まだわからないけど、うれしい謎をもらった気がします。まず考えていきます」

2014-09-14 12:14:26
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質問者3「声の幅を拡げることで、音声社会に対抗できると考えるのはなぜなのか?」

2014-09-14 12:14:33
🍎す_______ー_______う🌏 @sourd

齋藤「ぼくは音声しかないという思い込みがあって、音声でしか意思をのせられないと思っていた。発音訓練でうまくいかなかった。こうして生き延びて、いろんな方法、映像、小説、パフォーマンスで考えや意思を伝えられると知ったときに驚きでした。写真も声になればと思った。」

2014-09-14 12:14:36
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(終了。「写真も声になればと思った」は彼の写真を貫通するキーセンテンス。)

2014-09-14 12:14:54