《私が2011年に自主避難をした事情》

自己ツイートをまとめました。 殆ど報道されていない、2011年春から夏の、福島市内の中学高校生の屋外部活動に関して、私が実際に接した部分について、比較的細かく書いてみました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月9日に放送されたNHKスペシャルを録画しておいたものをで見つけた。 「メルトダウン」とは一言も言っていないし、1号機から3号機の状況の違いも言っていない。核燃料の大半は本来の場所にあるという想定で、1年以内に本来の循環冷却を確立して、冷温停止準備に入るはずだった。

2014-09-22 22:49:09
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月9日のNHKスペシャルで技術的な解説をしていたのは、元原子力安全委員長の松浦氏。解説の内容では燃料の一部が溶融していることは認めているのに、メルトダウンとは一回も言わない。 医療面の解説は、事故発生直後テレビに良く出ていた齋藤紀氏。 @karitoshi2011

2014-09-22 22:52:08
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月9日のNHKスペシャルでは、 燃料の溶融は周知のこととしているのに、メルトダウンという用語を避けていた。 この時期、メルトダウンという語をネットで使うと「デマ拡散者」扱いだった。 格納容器の破損、圧力容器外への燃料の漏出は認めていない @karitoshi2011

2014-09-22 22:56:22
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月9日には、 特に根拠もなく、燃料は圧力容器の外には洩れていないことになっていた。 配電盤さえ復旧すれば(外部からの電力の通常供給さえ復活すれば)、 事故は収束する方向に向かう、という、これまた根拠がない話をしていた。 @karitoshi2011

2014-09-22 22:59:00
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月9日の段階では 「核燃料が圧力容器どころか、一部格納容器さえも突き抜けている」とか 「格納容器が一部破損していて、破損部分の確定作業は技術的に困難だ」とか 現在知られている事実を推測して書いた人は皆、「デマ拡散者」扱いされた。 @karitoshi2011

2014-09-22 23:01:29
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

詰問するつもりは無いけれど、 原子力資料情報室関係の専門家も、メディアに出るときは、 「そこまで深刻な状態ではないと思いますが」と、格納容器に修復不能に近い損傷があることを否定していた。 結果として、事実に近い推論をした人は、袋叩きにされていた。 @karitoshi2011

2014-09-22 23:03:42
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

思い出してみると、 2011年4月の時期には、 「福島市からも避難したほうが良い」と言ってくれる専門家や学者や医師は見当たらず、 「原発事故は数十年は収束できないだろう」という私の推測を言葉にすると冷笑で迎えられた、そういう時期だった。 孤立無援の気分だった。 月末までは。

2014-09-23 00:03:53
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月末に、福島県青少年会館で、 中手さんや阪上さんたちと再会し、 白石さんと知り合い。 そこからようやく、色々と避難や支援を現実的に考えることができるようになった。 さらに、そこから1ヶ月で絶望し、自主避難を決めた。 @karitoshi2011

2014-09-23 00:06:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故発生前と同じ被曝基準を未成年に当てはめようとしたり、 被曝防護を口にしたり、 私にとっては当たり前のことを口にするだけで、 公的な職を辞する道に追い込まれるとは、私も考えていなかった。 日本社会は非常時には、明示せずとも言論統制社会になる。 @karitoshi2011

2014-09-23 00:12:42
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私は、酒は飲めない(アルコールアレルギー) タバコは吸えない(吸ったら喘息になるのは、ほぼ確実) だけど、父も母も血圧が高くて、コレステロール値も高かった。 わざわざ追加して被曝リスクを背負うつもりは無い。 これで、自主避難する理由には充分だけど。 私は防護じゃなく、逃走した。

2014-09-23 00:27:33
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私は、家族を守ること以上に、目の前にいる高校生を、 これまで目の前にいた高校生だった人たちを、 いろんなイベントの時に目に映る子どもたちを、 原発事故の健康被害から守りたかった。 わが子を守るだけなら、私でも妻でも、どちらか一人がいれば可能だった。 @karitoshi2011

2014-09-23 01:52:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月。 私も妻も、子どもだけではなく守りたい人たちが沢山いた。 子どもは相手に任せ、自分は守りたい人たちのそばにいて、何かできることがあるのではないかと探していた。考えていた。 守りたい人たちを守る為に、悪あがきだけでもしたかった。 @karitoshi2011

2014-09-23 01:57:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

妻は小学校のPTA役員としてPTA連合会、市教育委員会や市役所に 学校再開前の学校と通学路の除染、学校再開の延期、短期でも子どもを避難させる提案を行おうとして、小学校長から「PTA役員としてではなく、個人として行ってくれ」と言われた。 @karitoshi2011

2014-09-23 02:01:14
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月末から4月初頭、まだ小中学校は再開されず、中学生以下のスポーツ活動は再開される前のことだ。 妻は個人として、提案を市役所に行った。自宅のPCで何度も文案を練り直し、推敲には私も援助した。 しかし、その案は通らなかった。 @karitoshi2011

2014-09-23 02:10:53
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

妻はその後、学校やら市役所やら、色々と掛け合っていた。しかし、一旦学校教育が再開されると、学校という組織は昨年実施した行事をどのように変更して継続するかということにだけ、全力を傾注する。放射性物質への防護も含めて、こういうときは市内横並びで決める @karitoshi2011

2014-09-23 02:16:03
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

伊達市の場合、変更点は 1 小中学校の登校下校時には、児童生徒はマズク着用。 2 体育、休み時間の校庭での活動自粛。 3 屋外での学校行事は当面自粛 4 屋外では長袖、長ズボン着用を推奨 5 学校の窓は原則締め切り・ 6 以上を当面実施 だった。 @karitoshi2011

2014-09-23 08:03:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

これらの変更点は、 学校や教育委員会が自発的に決めたのではなく、 小中学校や市の教育委員会に寄せられた意見が多かったので、「何か対応を」となり、福島県教育委員会に問い合わせてもまともに取り合ってもらえず、福島市などの教育委員会と相談した結果だ。 @karitoshi2011

2014-09-23 08:14:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

確たる方針があって決めたわけでもないし、 何が何でも徹底しようと決めたわけでもない。 知識があって決めたわけでもない。 だから、帰宅の時はホコリをおとして、 すぐにシャワーを浴びて、うがいし、眼を洗い、 服は洗濯し、着替える、という話はなかった。 @karitoshi2011

2014-09-23 08:20:14
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

これが通常の「除染」だ。 「汚染された空間」から室内に入るときに行うべき、 一連の作業だ。 加えて、靴底について汚染も折り除かないといけない。 元放射線管理を東電原発で行ってきた兄の助言と妻の決断で、 我が家ではそういう「防護・除染」をやっていた。 @karitoshi2011

2014-09-23 08:25:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

しかし、2011年4月の伊達市では、平行して農作業を再開させていた。 「汚染されているからちょっと今年はやめておこう」と、国も福島県も自治体もJAも福島大学も言わなかったので、1回計測して土壌から1キロ4000ベクレルが出た地域でも、農作業再開だ。 @karitoshi2011

2014-09-23 08:28:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月に禁じられる、または自粛が求められるとすれば、 「作付け」か「販売」だ。 農作業自体に自粛や禁止が来るとは、農作業をする人は考えていなかったのかもしれない。あるいは、「マズイなら注意されるだろう」と考えたのかもしれない。 @karitoshi2011

2014-09-23 08:32:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

かくして、マスクをして登下校する小学生の横で、 マスクさえもせずに農業従事者が運転して、 土埃を巻き上げて農業機械が田畑の土をひっくり返す作業が行われるという光景が広がる事になった。 @karitoshi2011

2014-09-23 08:46:49
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月当初の、農地の土壌調査は、「昭和の大合併」前の市町村ごとに一箇所、1検体計測しただけ。4000ベクレル/kgをその検体が下回ったら、後はノーガードで農作業開始。4000を上回ったら、検体を2つに増やして再測定。検体は県が決めて取る。 @karitoshi2011

2014-09-23 09:18:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

郊外・農村生活者に分かるようにいうと、 「大字」単位で1箇所とか2箇所。 都市生活者の感覚で言うと、 「連合町内会」単位で数百世帯ある中で、誰かの家の庭から1箇所とか2箇所。 そのサンプルで、全てを決める。「大丈夫」だと。 ちなみに基準に根拠はない @karitoshi2011

2014-09-23 09:37:57
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年4月には、農作業が全面解禁になっていた。 基本的に「農作業に親しむ」方針が強い伊達市の小学校では、 農業体験学習が毎年行われてきた。 例年ならば、田植えも体験する。 だけど、屋外活動は全部で1時間程度のルール。長袖長ズボンでマスクも着用。 @karitoshi2011

2014-09-23 09:44:09