ぼくが学生のときに中ザワヒデキさんの『現代美術史日本篇』を読んだとき、面白いし勉強になるなあと思ったけど、なぜ中ザワさん本人がその歴史の中に含まれているのかがわからなかった。自分で美術史を書いてそこに自分を含めるってちょっと不思議な行為だなと。でもきっとそれって冗談なのかな。
2014-09-09 15:25:34@YOW_ 歴史ベースで書けばやはりそうかもしれませんね。思ったのは論文で先行研究に自分の研究を位置付けることと、どう違うのか、ということでした。
2014-09-09 15:59:37アーティストによる自分で書いた美術史で自分を位置付けるのはどういうことか、問われていますねw RT @0oHANNAo0: @YOW_ 歴史ベースで書けばやはりそうかもしれませんね。思ったのは論文で先行研究に自分の研究を位置付けることと、どう違うのか、ということでした。
2014-09-09 16:05:50現代アーティストは自分の制作を美術史の中での位置付けを意識することで成功へと導かれる、というようなことを明確に文章で発表したのが村上さんだったわけですが
2014-09-09 16:27:59そういえば、芸術家の主体性についての議論ってあるんだろうか。観察対象なのか観察者なのか、という意味で。もちろんどちらも兼ねてるんだけど。
2014-09-09 16:48:42中ザワさんの『現代美術史日本篇』ついてですけど、ぼくが学生のころに読んだのは小さい手作りみたいなもので、テキストに合わせて中ザワさんのイラストで重要な作品が描かれてました。でもそこには「へたうま」も項目として挙げられていて不思議でした。(続 @kktnk
2014-09-09 19:49:56一応誤解のないように書きますね。で、彼もその歴史の中に含まれている。それはとても恣意的な選択ですよね。恣意的なトピックを入れ込み、歴史として書いていく。だから僕はこれを美術史のパロディだと思いました。偽史としての日本の現代美術史。なぜならすべての歴史は恣意的なものなわけです。(続
2014-09-09 19:53:48客観的な歴史はありえない。ならばむしろそれを個人的なものとして描き直し、「現代美術史」を書くことそのものを、パロディとする。つまりそれはアプロプリエーションとして書かれたものとぼくは思っていました。その意味で「美術史家」への批評でもある。個人的あることを徹底するため(続
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