ワートリ修語り
修の中では「自分がそうすべきと思い、責任を持ってその行動を選択する」事を遂行する事が大切だ。修はだから自分の能力に対してはシビアに評価をつけられる。それは自分の価値を決めるものではないから。そして己の利他的な行動を”良い動機”に基づいて遂行しているとは考えてない #ワートリ修語り
2014-10-31 23:17:56それでも修は自己尊重感は低くはない。自分が自分を認められる条件は常に満たしている(=そうすべきと思う事を選択し続けられている)から。つまり「高く在ろう」「正道を為そう」という修自身の誇り高さを常に満たしているから、修は自分の事を「ごく普通」だと思っていると思う #ワートリ修語り
2014-11-01 01:04:33だからイルガー戦では彼の行為を賞賛する声に「当たり前のことをしただけで」とやや戸惑い気味に答えているし、風間戦の時広まった「分不相応の」噂にいたたまれない様子を見せている。修には「(分不相応な)評価や賞賛」という虚飾は必要ないし、むしろ邪魔にすら思う傾向が見える #ワートリ修語り
2014-11-01 01:10:45一方で修は「自分の無力さ、弱さ」に歯噛みし、それに苦い後悔をにじませる場面はいくつかある。例えば学校にモールモッドが襲いに来た時、「ぼくは何もできず死にかけただけだ」と思い詰めたように言ったり、「ぼくはいざという時逃げてしまう人間だ」と遊真に告げたりしている #ワートリ修語り
2014-11-01 01:18:11他者の評価を必要とせず、無駄な虚飾は邪魔とさえ感じているような修は「無力さ故に低評価」である事は気にしないだろう。つまりあくまで「自分の無力さ、弱さ」への「痛み」は「為すべき事を完遂できない」事への「痛み」であり、それは彼の強い克己心の要因となるものである #ワートリ修語り
2014-11-01 01:25:07つまり修は自分が「為すべき事を為す」を「選択」し、その選択に基づいた「行動」を常にしているから「自分を誇れる」のだが、その「為すべき事」が「完遂できない」原因である「弱さや怯懦」に対しては己を叱咤し、克服すべき物と認識している。この構造が修の精神性の強さの要因だ #ワートリ修語り
2014-11-01 01:33:33修は「自分に顔向けができない」事は絶対選ばない。「自分自身という一番嘘をついてはいけない者」に対して「常に誠実でいたい」と願い(=エゴイズムに起因して)それを「選択」し続けている。そしてそれに「成功」していることを修は知っている。だから修は自分を誇り続けられる #ワートリ修語り
2014-11-01 01:38:43そして「己を誇れている=己の価値を認める事が出来ている」から逆にシビアに「為すべき事が完遂できない」因子である「己の無力さや怯懦」を見つめられるし、それを「克服すべきもの」として認識できる。修が周囲の「凄い奴ら」と己を比べて凹んだりしないのはこの構造の為だ #ワートリ修語り
2014-11-01 01:43:10心の深いところで修は「自分の価値を自分で決める」事ができている。それは「為すべき事」に対して「正しいと己が思う選択と行動ができるか」に依るもので、「成果」に依るものではない。一方「成果」、つまり「為すべき事」を完遂するためには「力」が必要な事も認識している #ワートリ修語り
2014-11-01 01:50:24特に遊真に出会って、修の運命の歯車が激しく回り始め、その「為すべき事」が修の目の前にどんどん現れ、命がけでそれを「為さねばならない」場面に直面する事が多くなってからはそれを身を持って実感するようになった。「為すべきを為す」には「力」が必要で、なければ死ぬ #ワートリ修語り
2014-11-01 01:53:37修の生き方はそういう「己が生を生きるためには死を孕んだ」生き方だ。この在り方はもっと成熟させる必要がある。まだこの在り方が未成熟だから修はいつも死にかかるんだ。それを成熟させるのに必要なのが遊真の持つ「合理性」や「現実主義的な」思考なのではないだろうか #ワートリ修語り
2014-11-01 01:57:32修は「自分に顔向けできない」事を「選択しない」から「己を誇れて」いる。それが修の凹まない、挫けない、諦めない「強さ」の根拠だ。一方その「強さ」を保ち続ける為には「為すべきを為す」事を選択し続ける必要があり、それはいつも「危険」を孕む。そして修はそれに対し無力だ #ワートリ修語り
2014-11-01 02:03:16その事を修自身も認識しているし、だから「為すべきを為す」ための力をつけようとしている。しかし「為すべきを為す」為には「退く」ことも必要になってくる。(まあ今まで修が直面した場面では「退く」という選択をすれば、誰かが犠牲になるものばかりという過酷なものだったけど) #ワートリ修語り
2014-11-01 02:08:44修は「死なない」事と「為すべきを為す」事、つまり「生命」と「精神」両方を守る事を両立させねばならない。その為にはもちろん「力」をつける事、己の「牙=強み」を見つけ磨く事が必要になってくる。そしてそれに加えて重要なのは「現実に即した」柔軟な思考法を身に着ける事だ #ワートリ修語り
2014-11-01 02:12:58修は視野は狭くないし、機転もきくし、発想も天才レベルではないが充分柔軟だし、理解力もあり、少しの言葉で状況を理解する聡明さがある。だから修は遊真の持つ「合理性」や「現実的判断力」を学ぶことができるはず。「為すべきを為す」ためには「数歩先」の事を選ぶ力が必要だから #ワートリ修語り
2014-11-01 02:19:11ツイりながら思ったけど、他にも迅さんの持つ「数歩先の事を読む」力も学ぶ必要があるし、風間さんの持つ「戦略的思考」はもちろん必要だし、つまり修は「色んな人の思考方法」を学び取り入れていく必要があるね。「為すべきを為し」ながら死なない為に修は貪欲に学ばねばならんわ #ワートリ修語り
2014-11-01 02:25:10端的に言えば「飢えを満たしたい」とかいう本能的レベルで修は「規範や倫理、論理を取り入れた内省によって精練された)正道を為したい」という欲求をもってる。「己に恥ずべき事」を選びたくないという強い欲求。修は常に「選ばなくてもいい重さ」を「自分の役割」として引き受ける #ワートリ修語り
2014-11-01 11:24:38そしてぽちぽちと再び語られる修
オサム君の「そうするべき」に殉じる生き方は時代と国によっては稀代の英雄と崇められたか前代未聞の反逆者と謀殺されたかってレベル。#ワートリ修語り
2014-11-12 23:16:38「トリガーを使う才能」が無く「ルールを守れない人間は私の組織に必要ない」はずなのに司令の「真の目的」と「未来を動かす為に必要な人材」がルールも破り有刺鉄線も破る三雲修だったとは面白いねえ。 #ワートリ修語り
2014-11-12 23:31:59そもそも人間なんてエゴでなんぼ、そのエゴが「利他」に向いてたところで別に変な話ではない。そしてそれこそが彼の抱く何よりも強い自己を規定する「望み」と言う奴なわけで。そういうこと考えると、「人間らしすぎるほどに人間らしい」と思うのだよ、修。#ワートリ修語り
2014-11-15 22:21:09だから別にそういうのって異常でも何でもないと思うの、だってとてもそれって人間らしいじゃん。らしすぎるくらいに“人間”らしいじゃん。己のエゴの為に突っ走ることは別に変なことではないと思うんだけどね。#ワートリ修語り
2014-11-15 22:21:32だからと言うかなんというか、私は三雲修は「利他に見える利己」だと思う。人間らしすぎるほどに何処までも“人間”な少年だよ、彼は。私なんかは修の行動見てても別にグロテスクとも異形とも感じないというかぶっちゃけああいうのこそが「斯く在るべし」とか当然みたいに感じる。#ワートリ修語り
2014-11-15 22:22:29だって結局は修がやっていることって言うのは、単に己の“望み”の為に邁進しているだけ、なんだからさ。彼はきっと誰よりも人間らしすぎるほどに人間らしいんだと、私はそんな風に思っていたり。#ワートリ修語り
2014-11-15 22:24:06