@kingfisher_girlさんによるアンヌ・ヴィアゼムスキー来日講演レポートまとめ
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『バルタザールどこへ行く』は『少女』を読み終えた直後に観たからか、観ながら頭の中で二つの物語(映画本編と『少女』で読んだ撮影期間中に起こった出来事)が同時進行していて、私の頭の中は非常に面白いことになっていた。
2010-11-17 22:30:08@kingfisher_girl 私はまずマリー(アンヌ)が登場してロバを撫でる腕が映ると、「きめ細やかな美しい肌!」と、脳内が作中のブレッソンと化してましたw。この耳に夜森を散歩してささやいたのかとか。
2010-11-17 22:41:48@e_covi 私も、このベンチに座って毎晩夕食後に2人で過ごしたんだなぁとか考えてました。あとは転ぶシーンでアンヌがどんな経験を経てどんな想いで転んだかとか、不良少年がアンヌを本気でぶつシーンとか。『少女』を読んだことで、より強くブレッソンの存在を感じることが出来た気がします。
2010-11-17 23:29:0711/17(水)「映画史を生きたある少女の回想 第2部 対談 アンヌ・ヴィアゼムスキー×四方田犬彦」@東京日仏学院エスパス・イマージュ、自分用記録メモを記憶が上書きされないうちに投下。
2010-11-18 04:47:09■『少女』は小説?それとも回顧録?どういったカテゴリーなのか?→それはよく聞かれる質問ですが、『少女』はブレッソンの分析でもなければ、回顧録でもない。ブレッソンと出会ったことの重要さについて、少女が大人になること、映画界に入ったことを語りたい、この物語を通して、(続く)
2010-11-18 04:48:02(続き)アンヌの物語を超えたものを語ることができるのではないかと思った。そしてそこには、映画とは何か、監督と女性の関係、歳をとった男の人と若い女の子の関係が描かれている。
2010-11-18 04:48:36■あなたは長いキャリアをお持ちだが、ブレッソンについて書くまでに長い沈黙がある。時間の成熟を待っていたのか?→ブレッソンについては彼が亡くなってから書くことができると思った。私は99年に東京国際映画祭で『バルタザールどこへ行く』と『ジャンヌ・ダルク裁判』を日本に紹介した。(続く)
2010-11-18 04:49:28■あなたは長いキャリアをお持ちだが、ブレッソンについて書くまでに長い沈黙がある。時間の成熟を待っていたのか?→ブレッソンについては彼が亡くなってから書くことができると思った。私は99年に東京国際映画祭で『バルタザールどこへ行く』と『ジャンヌ・ダルク裁判』を日本に紹介した。(続く)
2010-11-18 04:49:28(続き)その2作品を観た日本の方々はとても感激してくれた。その時ブレッソンは病気で床についていた為、私は彼に電話でそのことを伝えた。日本は世界で初めてロベール・ブレッソンのレトロスペクティヴをやってくれた国。彼の死後、私は彼についてどのように話したらいいかわからなかった。(続く)
2010-11-18 04:50:23(続き)時間が必要だった。彼について書くにあたって、物語にしてしまうと色々調べて詳細なものでなくてはならない為、物語ではなく、小説の形をとった。
2010-11-18 04:51:04■あなたにとって、「書く」ということはどんな風に始まったのか?→書き始めたのは子供の時から。家族が作家(祖父フランソワ・モーリヤック、伯父クロード・モーリヤック)だった為、手の届くところに文学があった。16の時、演劇と映画に興味をもった。しかしそれは普通の少女の陳腐な夢。(続く)
2010-11-18 04:52:21(続き)その後、『ジャンヌ・ダルク裁判』のフロランス・ドゥレに出会って、ブレッソンの所に連れて行ってもらい、映画の仕事を始めた。30歳を越えると重要な役が来なくなり、仕事が全くない失業の時期があった。私は自分の苦痛を慰めるために短編を書き始めた。短編を友人に見せたら、(続く)
2010-11-18 04:53:10(続き)2本の短編を出版社に持ち込んでくれた。ガリマール社のミシェル・モールが続けたらどうかと言ってくれた。その後、ガリマール社が受け入れて出版してくれた。書き続けることにしたのは、本というのものを見つけた時。私の本が実際に出版された時、書き続けようと思った。それが出発点。
2010-11-18 04:53:49■出自について。文学的環境下にあって、祖父や伯父が作家として有名で話題になることが重荷にならなかったか?→そのときは思わなかったが、書き始めるのが遅くなったのはおそらくそのせい。無意識のこと。
2010-11-18 04:54:39■あなたの祖父は、あなたが書いたものを読んだことはあるか?それとも本を出した時にはすでに亡くなられていたのか?→亡くなっていた。生きていたら110歳になっていたので、読むことはできなかったでしょう。
2010-11-18 04:55:17■あなたの祖父は宗教意識の戦いをテーマにしていたが、あなたはどのような宗教的な考えを持っているのか?→私は自分の魅力を感じる宗教と結婚しそうになった。無神論と別の人生がもう一つあるという考えの間で揺れ動いている。私はライシテの、教育は非宗教的であるべきだという考えに組みしている。
2010-11-18 04:56:04■あなたにとってロシア的なものはどのような意味をもつのか?→後になってから意味をもつようになった。父は貧しい家庭でフランスの国籍にしたいと欲望が強かった為、ロシアの話をしなかった。ロシアの家族について知ったのはずっと後になってから。父はどう養っていくかということばかり考えていた。
2010-11-18 04:56:45■『少女』の中で、あなたは男の子にプーシキンの『エヴゲーニイ・オネーギン』をあげる場面があるが、あなたにとってロシア文学は親しいもの?そこから何を受け取っていたのか?→祖父にとってロシア文学は世界一の文学だった。チェーホフやトルストイの系譜。私は祖父からそういう影響を受けた。
2010-11-18 04:58:10■ロシアの移民についての著書を出した後、あなたは『ベティ』で、逃げてくる人々を助ける少女を描いている。あなたの作品には一貫したものを感じる。→自分ではわからないが、ほめられた気持ちになる。雑誌社にも同じことを言われた。本の中に繋がりがあるというのは好きな考え方。(続く)
2010-11-18 04:59:06(続き)『ベティ』には自伝的要素は全くない。友人のベアトリスから聴いた経験をもとに、自分の内的なものを繋げて書いた。
2010-11-18 04:59:34