『101番目の家』を見学された方々の感想
週末は竹原義二さんの自邸を見せていただく。2000-2200程度に抑えられた天井高の2畳程度の空間が隙間と半外部を伴って折り重ねられて、魔術的に場がかたち作られていた。これは写真では伝えづらいと思って動画を撮ってみたが、これは手振れが酷くて駄目だった泣。
2014-10-20 12:22:00あの半屋外感とハードウッドの折り重なりはブリスベンの建築にも通づるものがあると思った。(意外にも)
2014-10-20 12:22:51しかし、あの低い天井高で量塊とも言える広葉樹の柱梁と木造的なRCに取り囲まれて、重苦しい空間にならないのは、あの重なりの隙間が肝要なのだろう。そういう意味では「積層の家」に近い秘密が隠れていそうで、そうであれば僕らにもいつか、使えるようになるのかもしれないと微かな希望が笑
2014-10-20 12:27:14もはや隠す必要もないので言いますが僕の実家の隣には竹原義二さんの自邸「101番目の家」がある。つまり建築を学び出した頃からずっと僕の近くにはこの建築があったのです。竹原さんは言葉を必要とせずセンスだけでものすごい建築をつくれる気宇な人。
2014-10-22 20:13:15そんな人の代表作に学生時代に触れたいたことは僕の建築人生に大きな影響を与えたのは間違いない。センスだけで建築をつくれること。これは大きな絶望とともに大きな勇気を与えてもらったように思う。
2014-10-22 20:17:39先日「101番目の家」の内部を数年ぶりに体験し改めてそのすごさに慄き感動したわけですが、それは言葉で表せる建築ではなく、もはや言葉にする必要のない建築がある、という事実を突きつけられたことが衝撃だった。それは言葉に拠らずセンスに拠ってつくられた建築だからでそこに複雑な思考はない。
2014-10-22 20:29:32センスだけで建築をつくること。つくれる人がいること。そんな人を学生時代から身近に見て感じてきたことがムトカの強みな気がしています。
2014-10-22 20:32:24センスと言葉について
@mur_mtka センスはもちろんなのですが、「竹原さんの建築には、作り方に「強いマナーがある」という話を、昔ボスと話してたのを思い出しました。
2014-10-22 21:02:49@shirasu_ 本当に言葉なしだからね。だから言葉でつくる東京に出たというのがあります。なんかね、天才を感じたんですよね、先日の見学会で。
2014-10-23 00:29:58そのまま花田佳明氏のゼミへと発展
@mur_mtka @shirasu_ いま村山君が(あえていえばトーキョーの)言葉に寄りすぎてるから竹原さんは言葉なしって思うんじゃないかな。僕は言葉の有無という判断基準は信じないな。竹原さんの作品の中に言葉はいくらでも発見できる。
2014-10-23 00:44:10@yoshiakihanada @shirasu_ 作り手自身が言葉を必要とするかという問題が大きい気がします。
2014-10-23 00:51:23@mur_mtka @shirasu_ 作るときには普通は言葉があとから来るんじゃないの?その言葉を本人が気づき発することもあれば他人が気づき発することもある。
2014-10-23 00:56:23@yoshiakihanada @shirasu_ もちろんそうです。ですが竹原さんにはそれを感じないのです。頭のなかにすでに出来上がっているものを図面に落とし込む時にだけ言葉を使っていてそれは決して建築を補填するものではない。
2014-10-23 01:02:08@mur_mtka @shirasu_あ、そうか。 竹原さんの場合は、御本人どころか「あとから他人が気づき発すること」すらできない、と言いたいわけかな。必死で「あとから気づき発した」僕の竹原論を無効にする鋭い指摘ですねw。
2014-10-23 01:37:15@yoshiakihanada @shirasu_ 花田先生はそのことを重々承知した上で書かれていると感じていました。誰にも(本人ですら)言葉にできないけど凄いと認める建築がある。なので「センス」以外の何物でもないと思ったのです。
2014-10-23 01:57:39@mur_mtka @shirasu_ いえいえ、「重々承知」してしまうと評論は書けないので、それでも必死で言葉の勝利をめざすわけです。
2014-10-23 02:00:26