「福沢諭吉の哲学」

表題の本を読んだ時のまとめ
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きま @kimatatsu1025

「福沢諭吉の哲学」読み始めた。 時代背景には明治維新、文明開化とあったが、それよりも彼は欧米の存在を脅威に感じていた。それに対抗するには国民が独立心を持たねばならないのに、どことなく国民は覇気がない。その理由には、江戸時代以来の儒教精神が国民の心の奥底に根付いていたのであった。

2014-11-17 23:37:21
きま @kimatatsu1025

身分別の封建制を理論的に支えていたのが儒教で、儒教は君臣の別を説くのだが、これは一人の主君以外は、自分の行動の権限は上の立場の人間に握られているという、「自主性のなさ」を正当化してしまうもの。これを排除しなければ、国民が「市民的精神」を持つことは不可能だと考えていた

2014-11-17 23:37:31
きま @kimatatsu1025

福沢諭吉の哲学(続き) 明治15年を境として、前期の儒教批判は、君臣の別が中国のどの時代にも当てはまらない「イデオロギー」として批判していたが、後期の批判では、少なくとも周代では機能していた考えだったが、その考えが腐敗してしまったから批判するという流れに変わった

2014-10-31 02:59:41
きま @kimatatsu1025

後期の批判は2回あり、自由民権運動と絡む明治14年政変の際に、政府が民権化を表面上受け容れる一方、教育などにおいて儒教を再度呼び戻す復古姿勢になった時と、明治30年頃の排外主義が主流になった時に、その原因を明治14年政変に続く教育の結果だとしたときであった

2014-10-31 03:03:24
きま @kimatatsu1025

中国が儒教精神(と、それに伴う中華思想や排外主義)を変わらず持ち続け結果、改革を怠り、そのせいでアヘン戦争などに負けたことを見た彼は、日本の排外主義も儒教に根拠があるものだと論じ、日本が中国の轍を踏まないようにするには儒教精神を捨てなければならないと考えたのである

2014-10-31 03:07:43
きま @kimatatsu1025

(福沢諭吉の哲学 続き)実学を重視するという精神は寧ろ東洋の学問においては一般的な考えであった。が、従来の学問は「倫理学」を実学としていたのに対し福沢は「数理学(物理学)」をそれとした。 従来の学問にも自然科学的な部分はあったが、最も異なるのは両学問の根底に流れる精神であった

2014-11-01 01:59:38
きま @kimatatsu1025

そしてそういった精神を端的に表現するのが実験精神である。それまでの固定観念を実験を通じてその権威の虚偽性を暴いた。また実験において、理性は単に本質を見るだけに留まらず、それを通じて自然を再構成しながら無限に新領域へと前進していくものであった。

2014-11-01 02:12:21
きま @kimatatsu1025

つまり自然法則と社会秩序に関する価値観が不可分にあった。そしてこの価値観では、生活は伝統と因習の再生産(循環)に過ぎない。ちなみにヨーロッパにおいてはアリストテレスの質料―形相の階層的論理と類似する。福沢はそこから脱却し、社会秩序から「物理」の客観的独立を確保した。

2014-11-01 02:09:01
きま @kimatatsu1025

従来の学問は「天地には上下がある。故に人間にも上下がある」といった、自然秩序を社会秩序(価値観)と分けることなく、むしろ先に社会秩序に関する価値観があり、それを通じて自然を見ていた。人間的価値から離れて客観的に自然を見ることは許されなかった。

2014-11-01 02:03:24
きま @kimatatsu1025

まとめると昔の学問は倫理学を実学とし、あらゆる根底には社会秩序を前提とし循環する性質があった。福沢は物理学を実学に据えるだけでなく、学問の根底に流れる階層的論理の存在を暴くことで、その客観性を確保した。同時に実験精神を芽生えさせることで理性の前進を促した。って感じ

2014-11-01 02:17:04
きま @kimatatsu1025

(福沢諭吉の哲学 続き)旧学問が「社会秩序からの逸脱を許さない」ものであったのに対して福沢の学問は、物事の法則の把握を通じて無限に進歩するものであった。そのためには想像力も必要とされた。旧学問は客観的秩序への順応が人間の本来の行動様式とする経験的な機会主義であり、つまり受動的

2014-11-02 02:35:52
きま @kimatatsu1025

過去の経験をいくら積んでも法則は得られず、そのためには実験が必要だと考えている。そんな福沢は手放しで数理学を重視したわけではなく、人情と理性の妥協を容認していた。これは啓蒙主義的には不十分とも取れる態度であった。

2014-11-02 02:38:32
きま @kimatatsu1025

ではなぜ理性と情の妥協を許したのかといえば、「文明論之概略」の書き出しからわかるように「物事に絶対的価値はなく、全てある条件のもとに相対的に決まるものだ」という思想を彼は持っていた。このために同じ対象についても異なる視点から眺めているため、時に彼は矛盾した発言をするように見える。

2014-11-02 02:41:26
きま @kimatatsu1025

物事には目的があり、その評価は目的を考慮してなされるべきだというわけである。例えば民権運動は立君治国には害だが人民の卑屈さから脱却するには善だとした。彼にとっては西欧化は決して絶対的なものではなく、当時の日本が対外的独立を保つという目的のために必要なものに過ぎなかった。

2014-11-02 02:48:41
きま @kimatatsu1025

(福沢諭吉の哲学 続き)事物の価値を、内在する価値ではなく、その具体的環境への機能性により決定する彼の思想は、西洋のプラグマティズムと近い。機械的決定論という、客観的自然が人間にのしかかるという立場に対して、福沢は自然は人間の主体的操作(実験)によって技術化される存在だとした。

2014-11-03 00:09:01
きま @kimatatsu1025

人間は主体的に個別的状況を各々分析しながらも、その特殊性に溺れることのないようにすべきだと考えた。ある特殊性に拘泥することを、彼は「惑溺」と呼んだ。これは抽象的公式主義と重なる。この時、人間は各個別状況を分析することを放棄した状態となる。

2014-11-03 00:12:58
きま @kimatatsu1025

儒教はその「惑溺」を生み出す物であった。惑溺は、手段が目的化する際に発生する傾向がある。例えば、江戸時代の武士の帯刀。 これが最も生まれやすいのは政治権力が絶対的になる時である。価値判断の基準が一点に集中し、人々の思考が画一化されるからである。

2014-11-03 00:19:19
きま @kimatatsu1025

彼にとって人間の進歩は、閉鎖社会ではなく人々が互いに交際する社会を前提に起こるものであった。そうでないと分析対象となる様々な状況が生まれないからだ。 人間の進歩は、彼にとっては自由の進歩と重なった。ある説が善だとしても、ほかの説が認められねば自由ではなく、惑溺が生じる。

2014-11-03 00:24:54
きま @kimatatsu1025

逆に自由の単一支配も自由とは言えない。自由は不自由の圧政に抵抗して生じるものだと考えた。 惑溺について、江戸時代の日本は閉鎖的であった点ではマイナスだったが、天皇に権威、幕府に権力があったという点では、皇帝が絶対的であった中国よりマシだと考えていた。価値基準が複数で動的だったから

2014-11-03 00:29:52
きま @kimatatsu1025

福沢諭吉の哲学続き 価値基準を一つに固定してしまう耽溺という状況が当時の日本にはあった。宗教、学問、芸術等あらゆる文化領域は、それを極めた人はほかの分野に進出しないことと、政治権力の影響を逃れられない点や、世論が一つに定まってしまう点にあった。

2014-11-04 02:24:55
きま @kimatatsu1025

当時の世論は、官VS民(水戸の動乱など)であったが、この極端主義というものが主流であった。そんな中で福沢は価値の分散を通じて国民精神の流動化を進めようとした。キーワードは、流動性、実験精神、知性。

2014-11-04 02:32:15
きま @kimatatsu1025

福沢諭吉の哲学 続き 社会を動かすのは少数の人ではなく大衆だという考えを持っていた。大衆による国家の気風というのは、人間同士の交流が盛んになれば向上する。産業革命のおかげでそれかが可能になったといえる。

2014-11-05 03:24:15
きま @kimatatsu1025

福沢諭吉の哲学 続き 自然を知性によって道具化しようと言いながらも、その自然の大きさを前に、人間は蛆虫のような小さいものだと考えた。しかし、この世に生まれたからには、蛆虫と雖も万物の霊長として生きるべきだとした。

2014-11-05 23:21:58
きま @kimatatsu1025

ここから、人生とは膨大な自然を前にすれば戯れ同然だが、その戯れをせめて真面目に生きようという人生観が成立した。これは、戯れもしくは真面目一辺倒では惑溺に陥るが、それを避け、人間の進歩を実現させることができるものだと言える。

2014-11-05 23:24:08
きま @kimatatsu1025

政府は人権の保護を目的とし、その目的のために統一された政体であるべきだ。政府は市民的自由を妨害するものを妨害するべきであり、その自由を促進しなければならないというわけではない。この点で、政府はどの程度悪であるかというかが問われる。

2014-11-06 00:01:10