「福沢諭吉の哲学」

表題の本を読んだ時のまとめ
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きま @kimatatsu1025

そして舞台の上には自分以外にも大勢の他者が演じており、彼らの役割を理解する必要があるが、そのためには役割を交換すれば良いといった。具体的には、福沢はミルの自由論に共感していたが、それに対する反論も述べることができた、と言ったことである

2014-11-09 22:47:28
きま @kimatatsu1025

惑溺からの解放とは、自分の所属するコミュニティにおいて支配的な思考を強調するのではなく、むしろそこに足りないものをそうするべきで、異質なものと接触しなければならない。たとえ嫌いだとしても、といった。

2014-11-09 22:50:27
きま @kimatatsu1025

膨大な自然を前に、はかない人生を戯れと見る哲学が彼にはあった。だが、そんな戯れでも真面目に勤めるのが人間の本分だとした。人生を虚構と考えれば、大事でも動揺しないで決断することができる。そして、結果が良くなくても、虚構だからと思うことで、心穏やかに惑溺からの解放されることができる。

2014-11-09 22:55:42
きま @kimatatsu1025

ここで、「他の人は戯れを演じているが、そんなバカなことはしない」と一人醒めているのは自己欺瞞である。自分を含めて全員が踊っているのであるが、たまに踊るのを休止して他人の演技を客観的に見ることは許されるけども

2014-11-09 22:58:33
きま @kimatatsu1025

福沢なんたら 惑溺について。惑溺とは、「個別的な状況でのモノの働きを考慮せずに、それ自体を尊ぶこと」である。「惑溺」という漢語自体は江戸時代から明治初期にかけて使われてきた言葉であり、特に目新しいわけではなかった。福沢はsuperstitionという英語に対してこの言葉を充てた。

2014-11-11 02:27:53
きま @kimatatsu1025

福沢なんたらの続き 惑溺と国家について。明治維新後の日本の脅威は外国の存在であった。このままだと法律の権利も商業の権利も奪われてしまうから、それを守るためには日本人が政権を維持しないといけない。そして、そのためには古くからある惑溺を廃して国民の知恵を促進しなければならない

2014-11-12 02:13:18
きま @kimatatsu1025

そして西洋の文明の精神を取り入れるべきとした。ここで精神と言ってるのは当時の清国の洋務運動における中体西用と比較していると思われる。 福沢は西洋文明を導入しようと主張したが、西洋もまた惑溺から抜け出していないと考えていた。ただ日本より一歩先を進んでいるに過ぎないと考えていた。

2014-11-12 02:18:03
きま @kimatatsu1025

つまり、日本では天皇、将軍、先生、親といった個人を崇拝する点で惑溺に陥っているが、西洋はその対象が政治、法律、条約といった制度に変わっただけで、こちらも惑溺に陥っている点では同じだと言った。どちらも批判精神に欠けているという点で差がないのだ。

2014-11-12 02:20:29
きま @kimatatsu1025

ただ、宗教に関しては日本人はそれを信じなかったが、西洋人はそれに熱中し、それにより戦争を起こすまでに至った。この点から文明開化には宗教は関係ないと言えた。また日本の儒者は仏教という敵がいたために、敵がいなかった中国の儒者に比べて惑溺が少なかったことを指摘している。

2014-11-12 02:25:26
きま @kimatatsu1025

ただそれでも、山崎闇斎の弟子で「もし孔孟が攻めてきたらどうするか」という問いに対して「孔孟を生け捕りにして国恩に報いるのが孔孟の道」だと答えることができた者がいないほど、儒教の惑溺は強かった。

2014-11-12 02:31:15
きま @kimatatsu1025

福沢はバックルというイギリスの歴史家から影響を受け、知性と宗教の関係についても述べた。無知な国民には信仰が大きく知識が少ない宗教が生み出され、知識が進歩すると奇跡が少なく儀式が簡略化さた宗教が生み出されたが、これは宗教改革のことを指した。

2014-11-12 02:35:07
きま @kimatatsu1025

福沢(略)続き 宗教と文明について。知性が発達し疑うようになり、それで宗教革命によって新教が生まれた流れから、宗教の新旧は国民の知性に左右されると思われた。しかし、旧教のフランスの方が新教のスコットランドやスウェーデンよりも迷信から自由である点を鑑み、文明が宗教を変えるとした

2014-11-12 14:12:28
きま @kimatatsu1025

宗教の新旧が文明の度合いを計るのではなく、後者が前者の性質を変えるのだと考えた。知性の発達を妨げたのは西洋では文学と歴史で、後者は聖職者に独占されていたが、これを日本に置き換えると儒者であり、故に彼は儒者による尚古主義を批判した

2014-11-12 14:16:53
きま @kimatatsu1025

福沢に影響を与えたバックルは全てを疑えば真理に近づくとしたが、福沢は軽々しく疑うことも惑溺とした。 福沢はある時から惑溺という言葉を使わなくなったが、それは学問と政治における革命が達成された時であった。惑溺の支配からは脱したが、依然日本には実業の革命はなされていなかった

2014-11-12 14:21:50
きま @kimatatsu1025

実業の世界は元々算盤勘定の合理的なものだったから、惑溺は存在しなかった。しかし、その主体が人格的に優れておらず、逆に優れた人々は実業界に関心がなかったのが、福沢の晩年における日本の問題点だとした

2014-11-12 14:25:41
きま @kimatatsu1025

福沢(略)続き 福沢諭吉が日本の近代化、それも精神革命に至るレベルでの近代化を唱えたのは、西洋列強の圧力が、軍事的なものに縛られず政治経済文化教育というあらゆる領域に至るという危機感を持っていたからであった

2014-11-14 16:17:28
きま @kimatatsu1025

福沢諭吉の理解に妨げとなっているイメージがある。代表的なものは脱亜入欧。更にこの言葉については、明治維新以降の日本の歴史を一言で表していると考える風潮がある。だが、大日本帝国の精神的支柱となった国家神道の存在、儒教的な色合いが強い教育勅語、大東亜共栄圏など、逆に入欧意識は薄かった

2014-11-14 16:22:15
きま @kimatatsu1025

そもそも脱亜と言う言葉は、彼の著作の中で自由、人権、国権、文明、独立と違って一度しか使われなかった言葉であった。それが使われたのは甲申事変において開明派のクーデターが失敗したことによる、近代化失敗への失望から突発的に執筆された時事新報の中であった。

2014-11-14 16:26:25
きま @kimatatsu1025

日清戦争時の日本には中国と中国人を侮蔑する空気があった。日清戦争に対して最強硬派であった福沢の攻撃対象はしかしながらそれらというよりも、イデオロギーとしての儒教主義であった。つまり、国内では父子君臣の上下倫理のぜったいか、対外的には華夷内外の弁による階層的国際秩序観であった。

2014-11-14 16:30:54
きま @kimatatsu1025

皮肉なことは、脱亜という言葉を彼は滅多に用いなかったのに、死後、国粋団体からは福沢諭吉は「大アジア主義者」の同志としてみなされていたのであった。 こうした栄誉はむしろ不適切だったと言える

2014-11-14 16:34:51
きま @kimatatsu1025

「福沢諭吉の哲学」読了したぞい

2014-11-14 16:35:40