映画・音楽評〈映像の海、音楽の雨〉 青山真治監督映画『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』 (倉沢繭樹)

@mayuqix(倉沢繭樹)のツイッター評論。 青山真治監督映画『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』に、辛うじて死を踏みとどまらせる「救済」としての〝ノイズ〟を聴く。
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倉沢 繭樹 @mayuqix

index8:映画・音楽評〈映像の海、音楽の雨〉 「青山真治監督映画『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』に、辛うじて死を踏みとどまらせる『救済』としての〝ノイズ〟を聴く」 ( #elieli#twnovel

2010-11-30 16:19:44
倉沢 繭樹 @mayuqix

映画・音楽評〈映像の海、音楽の雨〉 「青山真治監督映画『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』に、辛うじて死を踏みとどまらせる『救済』としての〝ノイズ〟を聴く」(2006年) 私たちは当然のごとく社会の「内」を生きている。そこで人と関係し、承認を得たり愛を失ったり、 #elieli

2010-11-30 15:27:33
倉沢 繭樹 @mayuqix

成功したり失敗したりしてポジショニングを行っている。しかし何ゆえ社会の「内」を生きなければならないのか、との問いの答えは、社会の「内」には見つからない。コミュニケーション可能なものの全体を「社会」、ありとあらゆるものの全体を「世界」と呼ぶ。 #elieli

2010-11-30 15:31:56
倉沢 繭樹 @mayuqix

プリミティブな共同体では「社会」と「世界」は未分化であり、死者や動物や自然との対話が可能だと信じられている。しかし「社会」の複雑化に伴ってコミュニケーション可能なもの(人)とコミュニケーション不可能なもの(モノ)の区別が導入され、「世界」から「社会」が分出する。 #elieli

2010-11-30 15:33:57
倉沢 繭樹 @mayuqix

つまり「社会」に算入されない「世界」の余剰部分―「社会の外」―があると理解されはじめる。原初的な社会では、「世界」のあらゆるモノとコミュニケーションを交わす呪術が中心だが、高度な社会では、「社会」を「世界」の中に位置づける脱呪術的な宗教が登場する。かつては、 #elieli

2010-11-30 15:38:30
倉沢 繭樹 @mayuqix

「世界」内での位置が宗教によって明確化された「社会」の中に、人が世俗的な位置を占めた。しかし宗教とは無関連な社会生活が一般的となった近代社会では、「世界」内での「社会」の位置が不明なままなので、「社会」内で世俗的な位置を得ても、「世界」内の位置が不明なまま #elieli

2010-11-30 15:40:23
倉沢 繭樹 @mayuqix

放置される。かくして社会の「内」を生きることの自明性は揺らぐ。社会学者、宮台真司は、社会の「内」を生きる意欲を失った存在は「底が抜けた」状態にあるとし、「脱社会的」存在と呼んでいる。ちなみに社会進化の段階を簡単に示すと、環節社会(古代)―階層社会(中世)―分化社会 #elieli

2010-11-30 15:43:55
倉沢 繭樹 @mayuqix

(近代)、となる。 ふたりの男が荒涼とした砂丘を歩いている。見たところガスマスクをつけているようだ。しばらく行くとテントが立っている。人影はない。中に入ると、ベッドには死体が横たわっている。時は2015年。感染すると突発的に自殺してしまう正体不明のウィルスが #elieli

2010-11-30 15:46:38
倉沢 繭樹 @mayuqix

蔓延した世界。メディアはそれを「レミング病」と呼ぶ。青山真治監督『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』の舞台はそんな場所だ。冒頭に登場した男たちは、有名なノイズ系のミュージシャンである。恋人の自殺が理由なのか、とにかく昔とは打って変わり、現在は外界とはあまり接触せず、 #elieli

2010-11-30 15:49:55
倉沢 繭樹 @mayuqix

自分たちのやりたいように音を作っている。そこへ「レミング病」にかかった孫娘を連れて、探偵を伴い富豪の老人が訪ねてくる。彼らの奏でる〝音〟を聴いた感染者は、一時的に病気の進行が止まるので、その力を借りたいと頼みに来たのだった。マニピュレーション担当の相棒が #elieli

2010-11-30 15:51:34
倉沢 繭樹 @mayuqix

自殺してしまった後、ギタリストの男は老人に約束し、果たして孫娘の前で大爆音の〝ノイズ〟を奏でる。 『エリ・エリ―』の登場人物たちの多くは、みな社会との関係が薄い。ふたりのミュージシャン、ペンションの女主人、孫娘、探偵、病気を抑制する鍵が特定の〝音〟であることを #elieli

2010-11-30 15:54:09
倉沢 繭樹 @mayuqix

突き止めた町医者。同監督『EUREKA(ユリイカ)』('00)の主要登場人物たちも、バスジャックに遭遇したことで社会から遠ざかり、「底が抜け」てしまっていた。ここでは、「脱社会的」な存在を救うのもやはり「脱社会的」な存在であると描かれ、彼らを癒し柔和にする鍵として #elieli

2010-11-30 15:56:04
倉沢 繭樹 @mayuqix

〝海〟というモチーフが提出されていた。本作でそれに相当するものは、もちろん〝ノイズ〟である。死の淵に立つ者たちを「救済」する鍵としての〝ノイズ〟。そしてそれを奏でる男たちやその周囲の者たち、「救済」される当の者も「底が抜けた」か「底が抜け」かかっている。 #elieli

2010-11-30 15:57:14
倉沢 繭樹 @mayuqix

〝海〟や〝ノイズ〟は、「社会」への「世界」の闖入、訪れであろうか。「世界」の訪れは「社会の外」を可視的にし、「世界」の中にたまさか「社会」があるに過ぎないという「端的な事実」を露わにする。そこで「社会」が相対化されることになり、「社会」内でのポジショニングや #elieli

2010-11-30 15:59:47
倉沢 繭樹 @mayuqix

関係に悩む人々を癒す働きを示す。そうした癒しの作用が、「脱社会的」な存在の凶暴性を緩和し、死へと向かうしかない絶望から人を「救済」することもあろう。 #elieli

2010-11-30 16:00:52
倉沢 繭樹 @mayuqix

 さて、園子温監督『自殺サークル』('01)は、謎の<自殺クラブ>をめぐって自殺者が続出するという設定であった。50数人の女子高生が、手をつないで一緒に駅のホームから電車に飛び込み自殺をするというシーンや、自殺者はみな身体の一部分の皮膚が切除されていて、 #elieli

2010-11-30 16:02:09
倉沢 繭樹 @mayuqix

その皮が縫い合わされて鎖のようになったものが自殺現場で見つかるといったショッキングさや猟奇性に目を奪われがちだが、この作品の見るべき点はそういうところではない。<自殺クラブ>のリーダーとして凶暴なパンク男が逮捕されるが、「真犯人」は別のところにいた。 #elieli

2010-11-30 16:03:33
倉沢 繭樹 @mayuqix

時おり刑事に電話をかけてきて情報を与えていた少年である。彼は<自殺クラブ>など存在しないと言う。物語の終盤、彼氏の自殺に遭遇し、大人気の少女アイドルグループが謎を解く鍵だと気づいた女性が、コンサート会場に向かう。果たしてそこには少年がおり、彼女に向かって問う。 #elieli

2010-11-30 16:05:03
倉沢 繭樹 @mayuqix

あなたはあなたと関係がありますか、あなたはあなたの関係者ですか、と。あなたがいなくなっても、あなたとあなたとの関係、あなたと親しい者たちとの関係はなくならずに残るのではないか、と。ここでは、この少年が「底が抜けた」存在であり、またそういう「脱社会的」な者こそが #elieli

2010-11-30 16:06:41
倉沢 繭樹 @mayuqix

「真理」を知るのだと示されている。現に、少年から「真理」を告げ知らされた刑事は、ヤツらは敵じゃない、との言葉を残して拳銃自殺する。「社会」を相対化し得る位置にいる「脱社会的」存在は、時に「覚者」の趣を表す。そう言えば、この少年は話すときに頻繁に咳払いをしていた。 #elieli

2010-11-30 16:08:30
倉沢 繭樹 @mayuqix

『ユリイカ』のバスジャック事件から生き残った運転手、沢井も、失踪していた間に決定的な「何か」があり、戻って来た時には咳をしていた。 社会の「内」を生きる意欲を失った者たちは、凶暴にも柔和にもなり得、はたまた「悟り」を得た智者にも見えよう。 #elieli

2010-11-30 16:10:57
倉沢 繭樹 @mayuqix

そして「世界」の訪れこそが、彼らを変えることができる「体験」をもたらす。それにしても、『エリ・エリ―』にはちとアイロニーが込められている。「レミング病」の原因である致死ウィルスは、〝ノイズ〟で抑制されるのではなく、〝ノイズ〟を「エサ」にしており、 #elieli

2010-11-30 16:12:30
倉沢 繭樹 @mayuqix

「腹がいっぱいになった」とき動きが鈍くなるだけだというのだ。少女は「世界」の訪れを「福音」として受け取って生き延び、ひとりのミュージシャンと探偵は受け取り損ね、または「黙示録」として受け取り自殺してしまっている。 (END) #elieli

2010-11-30 16:14:28