竹熊健太郎さん「ポップアートはサブカルチャーではない」

亡くなった赤瀬川原平さんと彼と同時代の前衛芸術について断続的に考えているので、その参考としてまとめました。
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もうれつ先生 @discusao

村上隆「あらゆるジャンルにおいて芸術というのは成り立つと僕は思っています」(『芸術闘争論』) 要約:どんなジャンルにおいても、ある瞬間に「芸術(ハイカルチャー)」として成立することがあるのだが、日本においては日本独自の「サブカル」に邪魔されて「成立するためのルール」が成立しない

2014-11-26 08:00:11
もうれつ先生 @discusao

このへんの村上隆の勢い(憤り)は菊地 成孔に近いモノがあるね。 『 CDは株券ではない』 amazon.co.jp/CD%E3%81%AF%E6… pic.twitter.com/cBevrjzOgi

2014-11-26 08:03:07
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togetter.com/li/749288 竹熊健太郎さん「ポップアートはサブカルチャーではない」 ↑また気づいたことだが、村上隆のdisられ方って「東洋の魔女」オノ・ヨーコへの嫌悪・誹謗に近いよね。と思ってたら村上本人が、自分と草間彌生と三人で並べてたのでおおよそ当たってる

2014-11-27 04:11:56
もうれつ先生 @discusao

twitter.com/discusao/statu… 「ポップアートの在り様が可変的」 ↑これは村上隆の言ってることを咀嚼して再構成した自分の見解だけど、揺れ動いてるのは「アート」側ではなく「ポップ(ポピュラリティ)」側で、「アート」側の変化は付随的なものなんだろう。

2014-11-27 04:22:08
もうれつ先生 @discusao

twitter.com/kentaro666/sta… ハイカルチャーとサブカルチャーでは「顧客が違う」 一方に↑のようなテーゼがあり一方で『ヴェルヴェッツ&ニコ』のような事例がある。これはポップアートの在り様が可変的であるということで、村上隆も似たようなことを言っている。

2014-11-26 07:52:24
もうれつ先生 @discusao

村上隆『芸術闘争論』より引用①:自分が日本でやっているのは、本格的なアートではなくただのトレンドにすぎないのではないか。そう思って、アメリカのアートシーンに行ったら、そこにもトレンドがあった。

2014-11-27 04:38:35
もうれつ先生 @discusao

引用②:トレンドの中にも芸術の本当に大事なものを見つけることは可能だ、というのが今の時点のぼくの考えです。/しかも、現在では、このトレンドに関わるのがマーケットであり、マーケットに絡んで美術館がある。

2014-11-27 04:40:51
もうれつ先生 @discusao

引用③:マーケットには先ほど述べた画商さんであるとか、資産家、アドバイザー、キュレイターとか美術館とか魑魅魍魎がプレイヤーとしていっぱいいます。ARTのルールとは何かという最初の問いに戻れば、このプレイヤーたちの望むもの、それがルールです。

2014-11-27 04:45:06
もうれつ先生 @discusao

引用③:したがって、このルールは変動します。固定的なものではありません。そして、このプレイヤーたちも常に変動する。今、プレイヤーでいちばん力があるのは、アドバイザーという人間です。>

2014-11-27 04:47:36

↑ × 引用③
  〇 引用④

もうれつ先生 @discusao

↑で村上隆が述べている「ルール」は「ART」のルールのこと。つまり非サブカルチャーな芸術についての言及。このルールに、サブカルチャーの領域に侵食してくる「可変的な」ポップアートの在り様を重ねると、新しいプレイヤーとして「大衆」という存在が参入しているという視点を発見する。

2014-11-27 04:55:08
もうれつ先生 @discusao

美術館を舞台(市場)としたARTのマーケットとは別に、大衆に消費されるポップアートの市場があり、そこでのプレイヤーには「大衆」という新参者が参入している。大衆は愚鈍だがプライドが高いので、オノ・ヨーコや村上隆がプレイヤーとしての自分たち「大衆」を考慮してくれないことに憤る。

2014-11-27 05:00:23
もうれつ先生 @discusao

つーのは図式的に過ぎるかな…

2014-11-27 05:00:52
もうれつ先生 @discusao

ちょっと前に戻って、「ポップアートが可変的」「サブカルチャーに侵食するポップアート」という考え方は、昭和33年の『文藝春秋』「知的階級闘争は始まった」のような固定的な文化の図式とは全く異なる。 pic.twitter.com/vS14hHaQJQ

2014-11-27 05:21:58
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もうれつ先生 @discusao

これは、この陳腐な図式がダメだという限定的な意味だけではなく、引用元の竹内洋『教養主義の没落』の論考に対しても故障を訴えるものであったりもする(と思う)。

2014-11-27 05:25:14
もうれつ先生 @discusao

菊池成孔って言えば、アヴァンギャルドなジャズの在り様とポップカルチャーも、日本国内において一般化しない・海外では独特に評価されるといった点で共通してるよね。

2014-11-27 05:34:47
もうれつ先生 @discusao

あとここtogetter.com/li/749288のコメントに代表されるような「オタク」の憤りって、前衛(リーダー)に対する後衛(フォロワー)の不信といった構図として、津野海太郎『おかしな時代』における昭和30年代のアヴァンギャルド芸術振興現場での発言とリンクするところもある。

2014-11-27 06:03:11
もうれつ先生 @discusao

津野海太郎『おかしな時代 「ワンダーランド」と黒テントへの日々』 amazon.co.jp/%E3%81%8A%E3%8… pic.twitter.com/7tTB83D64E

2014-11-27 06:06:12
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津野海太郎『おかしな時代』引用:
(195~60年代の文学者の演劇ブームについて)こうした熱中の背景には、20世紀前半のモダニズム運動やアヴァンギャルド芸術運動を古今東西の大衆文化と一気に融合させよう、と呼びかける花田(清輝)の挑発があった。ハイカルチャーもローカルチャーもない。ジョイスやカフカやダダやシュルレアリスムを、漫才、落語、歌舞伎、歌謡曲、ストリップ劇場のコント、ミュージカルなどと、直接、ずばりとむすびつけてしまえ。(中略)花田さんはそのように主張し、すでに50年代なかばから新日本文学会のへりあたりで、いくつかの小規模な運動をこころみていた。その最新版が1956年にはじまる「記録芸術の会」である。佐々木基一、安部公房、関根弘、廣末保、長谷川四郎、松本俊夫といった人たちのほかに、おおくの映画人や画家や演劇人や音楽家が参加していたようだが、私が(新日本文学会の)編集部にはいるころにはもう解散していた。あの演劇ブームは、おそらく、その後産のごときものだったのだろう。
――花田さん、するどいね。ほどなくこの社会に生じる「アングラ」から「サブカル」にいたる地すべり的な文化変動を予見していたみたいじゃないか。いまの私ならそう考えることもできないわけではない。でも、いまはいま、むかしはむかしだ。(中略)これはアヴァンギャルド流にかぎらない。のちに触れる福田恆存による劇団「雲」結成にせよ、それにつづく三島由紀夫の文学座の関与にせよ、めざす方向はちがっても、前衛(リーダー)としての文学者と後衛(フォロワー)としての現場の演劇人というくみあわせを無造作に前提としている点では、なんのかわりもない。けっきょく、この人たちは千田是也や芥川比呂志に代表される新劇に外部(文学や思想の高み)からえらそうに介入しようとしているだけじゃないのか。おれとは関係ないね。と私としてはそう結論するしかなかったのである。

もうれつ先生 @discusao

そうそう。オノ・ヨーコの話のときに、ヨーコと同時期にジョン・レノンの「お気に」となった自称天才発明家マジック・アレックスのことをつけ加えておけば良かったか。60年代後半、4~8トラックが標準だった当時、72トラックのレコーディング・システムをつくれると大法螺吹いた男

2014-11-27 06:33:02
もうれつ先生 @discusao

この、ジョン・レノンを魅惑した詐欺師を敢えて「アーチスト」と比較してみると、彼は「ARTのルール」は逸脱していた(大法螺がバレてしまったこと、72トラックに相当するような魅惑的なモノを提出できなかったこと等)が、ジョン・レノンにコンテクスト変換の契機を与えてはいるわけだ。

2014-11-27 06:38:45

橋本治「サブカルチャーの不思議」引用

もうれつ先生 @discusao

橋本治「サブカルチャーの不思議」引用①:そもそもこの日本には(残念ながら)”上位文化”などというものが存在しない(中略)”上位文化”なるべきものが存在しない以上、”下位文化=サブカルチャー”の導入が、日本の文化構造をあぶり出したりなんかしない!

2014-11-27 07:06:09
もうれつ先生 @discusao

橋本治「サブカルチャーの不思議」引用②:だって現在日本の”上位”は、”おじさん”という”上位意識の欠落によって上位を無意識に成立させているものの位相”という形でしか存在しないんだから。

2014-11-27 07:06:46
もうれつ先生 @discusao

橋本治「サブカルチャーの不思議」引用③:すくなくとも、日本には”下位”という形の文化はないんだ。”二流の文化”というものがあっても”下位の文化”なんてものは存在しないのが日本の本質だから。

2014-11-27 07:07:19
もうれつ先生 @discusao

ここで橋本が指摘していることは、上位(メイン)と下位(サブ)の関係は補完的な関係であるということと、日本の「上位」は上位意識を欠落させているということ。前者は、ルールさえ守ればメインとサブの行き来は可能(前の表現でいう「可変的」)であるという事にもつながる。

2014-11-27 07:14:31