- misonikomioden
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ま「石子の主導した原色、プレもの派、それらの問題。東京画廊のトリックスアンドビジョン展は二極した展示だが、どちらを取るのかというのが現代美術として面白い。
2014-12-05 18:46:54ま「今はプレもの派として取る感じか?彼はトリックスアンドビジョン、虚像的、言葉を使った作品もある。そして単体・複合体などコンセプチャルアートもある。当時のスター的なのも分かるというか、すべてやってしまった感ある
2014-12-05 18:47:42河原に行き勝手に石を拾いそこに数字を書く、その置いてある場所と数字だけを展示。高松次郎もこのような作品をどう残すのか難しかったようで、写真家を連れ撮影させたのでそのフィルムは残ってるが、展示自体は残すのが困難だった
2014-12-05 18:50:15「高松次郎を読む」は彼について描かれた最初の言説から晩年までを集めたもの amazon.co.jp/%E9%AB%98%E6%9…
2014-12-05 18:52:13高松次郎は現代美術のスター的な存在。 かなり最初から戦後の批評を代表する人たちが一度は語っているので、だからこそ編集し成立したとも言える
2014-12-05 18:52:50ま「今日トークがあり、アンソロも出版されたが、今丁度近代美術館でも展示がされている。国立国際でも行われるが、そこにも高松次郎の影がある。」 あれは万博会場から移設されたもので恒久展示では・・・? あと名古屋の地下鉄通路にある。
2014-12-05 18:54:11質「60~70年代までスターで、2004年回顧展以降急速に評価が進むが、80年代はがくっと落ちる。藤枝(?)にこっぴどくやられるというのがある。今回のアンソロについて
2014-12-05 18:56:24高松は理知的な人だった。80年代から彼は絵画に集中している。一見表現主義的。同時代に見ている人には今までの高松さんからすると・・・みたいな感じで絵画作品に対する評価が下がった。時期的に表現主義であり、ステラも出てきたし、時流に乗ったニューペインティング的だと批判が
2014-12-05 18:58:0180年代の高松もたいへん考えて絵画を描いていたようで、それは家族が見ており確認できる。 そのときの作品はいくつかの画廊で展示したが、それらは(批評家でなく)むしろ学芸員が評価していたと思われる
2014-12-05 18:59:59ま「トリックスアンドビジョンの流れ、コンセプチャルアートの流れが二つある。60年代は影の時代。それは高松にかぎらず、自著の虚像の時代にもあるが、二項対立、メディア複製文化をひっぱり写真もひっぱった。
2014-12-05 19:02:03ま「60年代の磯崎新のしごととして虚像がある。 概念的レベルとルートにの射影変換、つまり建築の中で影をどう作るか、光が作り出す濃淡の空間。 その中で影の部屋が出てきた
2014-12-05 19:02:24ま「表現主義的な絵画は1980年代だが、磯崎新もパラディウムといディスコを作る。ここには美術家が多く関わり、旬だったニューペインティング作家が関わった。ヘリング、バスキア。
2014-12-05 19:03:54ま「今は専門領域化してしまっているが、どう拡散し今につながりこうなったかということを、なぜこれか可能となったかを問いなおす契機ではないか。
2014-12-05 19:05:41い「高松次郎とは63年から。90年代の初めまで毎週会っていた。78年の時ワタリさんが仙台に居るとき来てよと呼ぶとホントに来てしまう。ずっと面倒見るわけにはいかないし、私に投げられたとか
2014-12-05 19:08:33@watarium ギャラリートークの最後に磯崎新さん登場。1978年、和多利志津子前館長がJ Dudd来日した時、高松次郎と自宅で食事したことなどエピソード pic.twitter.com/4AfK5ha5Vh
2014-12-05 19:12:04@watarium 磯崎新談『高松次郎は、僕にとっては、もの派ではない。美術家としは、かなり空間が理解出来る同士だと思っている。線や点線の作品は空間を歪ませることをした作家』 pic.twitter.com/HppjoSEYg6
2014-12-05 19:18:12い「高松は点と線に徹底的に介入した痕跡ではないか? その痕跡が作品。もの派など分類されたりするが、空間に介入するので、そうではないかも。
2014-12-05 19:35:09い「「この七つの文字」は極限であって、同語反復。70年代以降に可能となった自己言及性であり、建築でも建築の解体を私が言い、その上でどうするかといえば自己言及しかなく、どのジャンルでもそれを行ったものが生き残った。
2014-12-05 19:36:37い「その後、高松は自身の作品を反復して作り始めた。それも自己言及があり同語反復だからだ。。シミュレーショニズムはその末端
2014-12-05 19:37:31