第一言語と第二言語の脳内における認識の違いについて

こりゃまた個人的意識ではありますけども
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高須賀とき @takasuka_toki

英語の発音、英語喉をやってから教科書に書いてるヘンテコリンな舌の位置とか口の動かし方と決別できて本当によかったと思っている。リエゾンと英語喉で大体の問題は回避できると思うし実際問題僕自身は発音で困った事はない。もちろんただの旅行者の範疇だからなのかもしれないけど。

2014-12-07 01:12:53
高須賀とき @takasuka_toki

英語喉 amzn.to/1tY2yLt 、ほんと最高にいい本なので唇の動きやら舌の動きやらで頭を抱えてる人は是非読んでください。原理原則は基本2つ!でもこれ以上人間が意識できることってないと思いますけど・・・

2014-12-07 01:54:52
高須賀とき @takasuka_toki

僕はどうも英語の音読で恩恵を受けた気がしない派。暗証するぐらい沢山の英文を音読したんだけどね。唯一役にたったと思う音読は、瞬間英作文のシャドーイングで、これは英文を覚えるのに役に立った。その事からも、短文の音読は役に経つけど長文の音読は役にたたないのではないかと思っている。

2014-12-07 01:16:24
高須賀とき @takasuka_toki

あー今考えてみると、長文の音読は論旨がしっかりした文章はどういうものなのかを理解するためにはいいかもしれない。黙読で文章がどういう流れなのかを理解できる人はあまりいないし。あと頭の中にとどめておける英文の量を増やすのにもいいかも。

2014-12-07 01:26:40
高須賀とき @takasuka_toki

本当に英語力を身につけようと思うと、日々技術的要素を身につけなくてはいけないと思うんですよね。それを継続していき自分で何かを生み出せる領域にまでなると、初めて第一言語の領域になれるのだと思う。技術として意識せざるを得ない人は、多分一生第一言語の縛りから抜け出せない。

2014-12-07 01:36:19
高須賀とき @takasuka_toki

僕は一応英語が喋れるんだけど、自分個人としての認識としては第二言語を身につける事って自転車に乗れる事にとても似ていると思うんだよね。自転車は一度乗れるようになれれば一生乗れる。英語も一度喋れるようになれば一生喋れる。使わないと語彙力の減少とかはあるにせよ。

2014-12-07 01:31:45
高須賀とき @takasuka_toki

暗記しなくてはいけないものを、本当に暗記できているかチェックする分水嶺として、それをゼロから自分の口から出せるか、またそれを応用して活用できるか、がある気はする。一時的に暗記する事と、永続的に血肉にすることには無限大の開きがある。自転車に乗れるか乗れないかの違いというかね

2014-12-07 01:29:34
高須賀とき @takasuka_toki

英語が一応しゃべれはするんだけど、正直使える言い回しの数は僕は多分そんなに多くないんですよ。その少ない言い回しを活用して、なんとか自分の言いたいことを言えるってのが僕の英語力の限界でして。自転車だって、細かい技術なんてみんな無いけど。とりあえず乗れるでしょ。英語もそれに近い印象

2014-12-07 01:33:55
高須賀とき @takasuka_toki

例えば僕は、日本語に関して言えば技術と天然的要素の2つを組み合わせて色々書けちゃうのね。歌だって即興で作れるし、漢字だって当て字で無限に作れる。そういう感性的な面で英語で何かできますか?と言われると絶対にできない。そこが第一言語と第二言語の無限の隔たりだと思う。

2014-12-07 01:38:24