山本七平botまとめ/【言葉と映像】~言葉に習熟する前に映像文化に接することの影響とは~

山本七平著『無所属の時間』/言葉と映像/86頁以降より抜粋引用。
1
山本七平bot @yamamoto7hei

①【言葉と映像】我々の子供の頃にも喧嘩はあった…町の若い衆が何やら口論している。そのうち言葉が次第に荒々しくなり…ある段階にまでくると…申し合わせたように両方がサッと跳びさがって身構える。これが大体喧嘩の順序であったが、跳びさがった瞬間に仲裁が入る事が多かった。<『無所属の時間』

2014-12-04 16:09:04
山本七平bot @yamamoto7hei

②最近でも喧嘩はある。 しかし、学生の喧嘩ですら、その前段階の口論、言い争いがなく、あっという間に直接行動に出る。 昔は強盗にすら説教強盗がおり、言葉で自己の意図を明示して、相手への無用の傷害を避けたのに――。 一体これはなぜであろうか。

2014-12-04 16:38:56
山本七平bot @yamamoto7hei

③理由は色々あると思うが、昔なら、小卒の若い衆ですらもっていた言語能力が、今では大学生にすらない、という事かもしれない。 即ち、まず言葉によって自己の行動を把握しなおしてから、その行動の正当性を言葉によって相手に伝える、という能力が大学生でさえ殆どなくなっているらしいのである。

2014-12-04 17:08:54
山本七平bot @yamamoto7hei

④なぜ、言語能力がなくなったのであろうか。 色々な理由があると思うが、その一つにテレビの影響、いわば映像文化の影響があげられると思う。 ある一定年齢以上の人は、その青少年期を、言語文化・活字文化の中ですごし、それによって十分に言語能力を獲得してから、テレビに接した。

2014-12-04 17:38:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤しかしその年齢以下の人は、生まれた時からテレビがあり、言語文化・活字文化に接する前に、まず映像文化に接した訳である。 いわば言葉という媒体なしで、対象が直接に自分に迫ってくる、という形で、外的社会に接する事になった。

2014-12-04 18:08:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥そしてその接し方は一方的押し付けであって、自分の意志をテレビの映像に表示して反応を得る事はできないのである。 従って形象を言葉にする事にも、言葉から形象を把握する事にも訓練の機会が乏しい。

2014-12-04 18:38:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦その為、虚像と事実を見分ける事ができない。 また自分の行動を説明できない。 相手の言葉から相手の行動を把握できない。 そしてどうにもできないから、すぐカーッとなって直接行動に出る。

2014-12-04 19:09:23
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧さらに、テレビの情景などに似た状況やそのときの台詞などに出会うと、それらから勝手に結論を先取りしてテレビの結末のように断定してしまう。 そのため片々たる一句や場所の設定による暗示に実にかかりやすい。

2014-12-04 19:38:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨ファイサル王暗殺の一因にテレビ問題があったという。 新聞はこれを「狂信的回教徒」で片づけているが、偶像・影像を絶対に否定してきたセム文化とテレビとの関係は実に大問題のはずで、簡単に「狂信」の一言で言い捨てるわけにはいくまい。

2014-12-04 20:08:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩確かに暗殺は狂信であろう。 しかし映像文化の導入は、いずれの文化圏でもさまざまの問題を提起しており、これを野放しにしてよいと信じる者がいれば、その方がむしろ「狂信」なのかもしれない。

2014-12-04 20:38:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪自己の状態に何の懐疑をも持たぬ者は、いずれにせよ狂信徒の一種である。 日本のようにテレビを野放しにして果たしてよいのであろうか。 言葉に習熟する以前に映像文化に接することが、民族の将来にどういう結末を招来するか、 本気で検討すべき問題ではないのか。

2014-12-04 21:08:55