- OBAKEnoMIKATA
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胎児は、母なる水に抱かれて夢を見る。原初の夢――祖先が辿ってきた道程を追体験する旅だ。それは遺伝子が紐解かれると同時に湧き出てくる、濃密な記憶と情報の奔流に他ならない。生命は情報を蓄積する。情報は文化を生む。そして文化はまた、新たな存在を造る――お化けを。 #OnM_2 01
2014-12-06 22:04:13関東某所。人里離れた深い山奥に、緑色の藻に水面を覆われた淵がある。その水底では今まさに、新たなお化けが誕生しようとしていた。小さな獣じみたシルエットが、虹色の泡に包まれている。 #OnM_2 02
2014-12-06 22:06:25泡の内側で踊るのは無数の光の文字――形をなした情報そのものだ。人の噂話、書物、絵画、報道、アニメやゲームなどに含まれるお化けのミーム。それらは互いに縒り合わさって二重螺旋の紐を形成し、それがさらに集まって、お化けの肉体を織り上げてゆく。 #OnM_2 03
2014-12-06 22:08:19淵に流入する湧水が、濁った水の中に緩やかな渦を作っている。虹色の泡はその流れに乗り、水草の間でゆらゆらと揺れた。目鼻立ちも不確かなお化けの胎児は、揺り籠であやされる赤子のごとく、気持ちよさげに身をよじった。 #OnM_2 04
2014-12-06 22:10:12「……というわけで2012年、ニホンカワウソは絶滅種に指定されたわけですねえ」生物のネルネ先生が皺深い手をさすりながら言った。もちろんネルネは本名ではない。某知育菓子のCMに出てくる魔女によく似ている、という理由でつけられたニックネームだ。 #OnM_2 05
2014-12-06 22:11:43「絶滅の原因は乱獲と生息環境の激変。こういう話をすると、皆さん決まってこう憤ります――昔の人はなんてひどいんだろう、ってね。ですが、決してその人たちも、悪気があったわけじゃあないんです。むしろよかれと思ってしたことが、結果的に大きな災いを呼んだんですねえ」 #OnM_2 06
2014-12-06 22:13:20「肉や毛皮が目当ての狩猟は生活のためでした。飢えたくない。こごえたくない。親兄弟にいい暮らしをさせてやりたい。そう願うこと自体は、悪いことじゃありませんよね。川の護岸工事を進めた人も、害獣として駆除した人もそう。自分や、他の誰かの幸せのためにそうしたわけです」 #OnM_2 07
2014-12-06 22:14:42「人間、悪いことってなかなかできないものです。良心がとがめるんですね。勿論世の中には平気な人もいますけれど、それって少数派でしょう? でもねえ、『正しいこと』は誰にもできる――そしてはじめてしまうと、止まらないものなんです。気づくのはいつも手遅れになってから」 #OnM_2 08
2014-12-06 22:16:29「誰もカワウソを滅ぼしてやろう、なんて思ってたわけじゃあないんです。滅ぼせるとも思ってなかった。もう一度言いますけど、悪気はなかったんですよ。ただ想像力が足りなかった。救い難いほどに。純粋な願いのツケが子供や孫の世代にゆくかもしれないなんて、思いもしなかった」 #OnM_2 09
2014-12-06 22:17:59「ドードー鳥もそう。ステラーカイギュウもそう。フクロオオカミもそう。彼らを滅ぼしたのは善良で良識的な人々です――あなたたちと同じような。そこには彼らなりの事情とドラマもあったんでしょう。でもそんなこと、負債を押しつけられた方は知ったこっちゃないですよねえ」 #OnM_2 10
2014-12-06 22:19:07「皆さんも子孫から恨まれることがないよう、よく気をつけてくださいね。自己正当化は簡単ですが、未来を見極めるのはとても難しい。この問題はテストには出ませんが、これからの人生で何度も出題されますよお」ネルネ先生が不気味に笑うと、教室の皆はぎこちなく笑い返した。 #OnM_2 11
2014-12-06 22:20:40柔らかい物腰から毒舌を繰り出すこの先生を慕う者もいれば、嫌う者もいる。神奈は――どちらかと言えば好きな方だった。授業に戻ったネルネ先生の後ろ姿を見ながら今の話を反芻していると、ふいに左隣から、低いイビキが聞こえてきた。 #OnM_2 12
2014-12-06 22:22:12曲マコトが机に突っ伏し、熟睡していた。ふわふわのセミロングが広がり、机の縁から垂れている。百歩譲って居眠りするまではいいとして、もう少し体面の取り繕いようがあるだろうに。(それでいいのか、文化庁職員っ?)神奈は内心で突っこんだ。 #OnM_2 13
2014-12-06 22:24:01地味で大人しそうな高校二年生、曲マコト。居眠り常習犯の曲マコト。そんな彼女の隠された一面を、先日、神奈は知ってしまった。彼女は、《特殊文化財》であるお化けたちを密猟から守る、文化庁の戦士――《お化けの味方》なのだ。 #OnM_2 14
2014-12-06 22:25:10(の、はずなんだけど)学校にやって来てはぐうぐう眠るだけの彼女を眺めていると、あの日見た勇姿は何かの間違いだったのではないかという気になってくる。いつか誘おうと決意した昼食についても、果たせないままだ。(お化け見たのも気のせいだったような気がしてきた) #OnM_2 15
2014-12-06 22:26:33神奈の煩悶をよそに、マコトはごろんと寝返りを打つ。五月のうららかな陽光の中で幸せそうに寝息を立てている姿を見ていると、神奈の胸にむらむらと怒りが湧いてきた。(起こしてやれ)神奈は決意し、消しゴムを一かけら小さく千切ってマコトに投げつけた。「曲さん?」 #OnM_2 16
2014-12-06 22:28:08マコトはふがっ、と鼻を鳴らして歯ぎしりをした。起きる気配はない。「曲さん!」今度はシャーペンの尻で腕をつついてみるが、起きない。代わりに彼女が身じろぎすると、膝の机の間から分厚い紙束がばさり、と落ちた。『月刊コミックビビル』。漫画雑誌である。 #OnM_2 17
2014-12-06 22:29:16神奈は二重に憤慨した。ただ居眠りするのみならず、最初から勉強する気がなかったとは。「この――」神奈はついに決定的な行動に出た。肩ををつかんで揺さぶり起こそうと、手を伸ばしたのだ。「起きろ!!」 #OnM_2 18
2014-12-06 22:30:55次の瞬間、天地がひっくり返った。「痛っ、痛たたたた!」神奈は床の上でじたばたともがいた。彼女の腕を極め、頭を押えつけながら、マコトがきょとんと目を見開いた。「ん。……あれっ? 上繁さん? どうして?」「どうしてでもいいから放して~!」 #OnM_2 19
2014-12-06 22:32:05「あらあら、仲のよいこと」見上げると、ネルネ先生がにこやかに見下ろしていた。マコトが落とした『ビビル』を、手の中で弄んでいる。「でも、友情を確かめるのは授業時間外にお願いできるかしら」神奈とマコトは首をすくめ、血の気の引いた顔を見合わせた。 #OnM_2 20
2014-12-06 22:33:10昼休み。彩瓦第一高校の学生食堂に、マコトと神奈の姿があった。どうしても昼食をご馳走すると言って、マコトが聞かなかったのだ。先刻の謝罪というわけらしい。「本当、すみませんでした……」神奈は、元々昼食に誘うつもりだったと言い出すタイミングを見失ってしまった。 #OnM_2 21
2014-12-06 22:34:08「別に謝らなくてもいいけど、漫画はまずかったねえ」「はい……おっしゃる通りで……。いつもは授業中に読んだりしないんですが」マコトはひたすら恐縮している。授業中に読まないのは当たり前じゃ、と言いたくなるのを抑えつつ、神奈は訊いた。「じゃ、なんで今日に限って?」 #OnM_2 22
2014-12-06 22:35:13「今日、新しい号の発売日なんです。それなのにまだ半分も読んでいなくて……。新しい号を買ったら古い号は捨てる、というのがうちのルールなので」「ああ……漫画雑誌は場所食うもんねえ。幾つも購読してると特に」「そうなんですよ!」マコトが俄然、身を乗り出してくる。 #OnM_2 23
2014-12-06 22:36:20