まとめの限定公開に「リンク限定」が追加されました。URLを伝えてまとめを共有しよう!

真田信繁室竹林院・大谷吉継の一族について

大谷吉継の一族、特に竹林院をはじめとする一族の女性についていろいろと調べてぽつぽつとつぶやいていたところ、勉強になるお話がありましたので個人用としてまとめました。
メモ 真田信繁 大谷吉継 戦国時代 竹林院
11336view 1コメント
10

もとは創作戦国の大谷夫婦の話題がTLにあがっていたので、自分でもちょっと調べてみる。

佐和子@メギド楽しい @sawako_a1565
大谷夫婦といえば奥さんの名前に関してこんな話が…
佐和子@メギド楽しい @sawako_a1565
以前見かけた個人様のブログでは徳と小屋が吉継の姉妹の名前らしいから小石が奥さんか娘の名前なのではって言われてた
佐和子@メギド楽しい @sawako_a1565
ちょっと調べてみたらほかの史料等々から、東=吉継のお母さん(東殿)、小屋=吉継の妹は確定っぽい? 小石と徳は妻なのか娘なのか他の妹なのかはほかの史料からわからんみたい。
佐和子@メギド楽しい @sawako_a1565
もしかしたらどっちかは竹林院の名前なのかもね~
佐和子@メギド楽しい @sawako_a1565
鏡自体は文禄2年(1593)に制作・奉納らしいからそのへんもなんか手がかりになるかね?

この時はいったんここで話は終わる。

後日今度は竹林院の話から再び例の鏡および大谷一族の女性の話題に

神光寺かをり・土曜日西地区 "ほ "32b(銭さん家) @syufutosousaku
ちなみに「こや」っていうのは、大谷吉継パパが神社に奉納したブツの所に書いてあった「家族の名前(たぶん妹)」。 「竹林院は吉継パパの妹」説を取るとこの線が強くなるというやつでしてな。 RT:@zenisawa 幸村様にもご内密に……(笑)
神光寺かをり・土曜日西地区 "ほ "32b(銭さん家) @syufutosousaku
鶴亀文懸鏡(太宰府天満宮宝物殿に収蔵) fsg.pref.fukuoka.jp/bunka/contents… 「奉掛御神前 文禄二年九月吉日 作者天下一 中嶋六郎左衛門尉 願主大谷刑部少輔吉継」「奉掛御神前 文禄二年九月吉日 作者天下一 中嶋六郎左衛門尉 願主同 東 小石 徳 小屋」 @zenisawa
佐和子@メギド楽しい @sawako_a1565
吉継奉納の鏡に書いてある一族女性の名前の件だけど、東殿は兼見卿記に吉継の母と記載があり、こや(小屋)については時慶記に東殿息女とあるらしい。で二人とも大坂城の倉の管理に携わる役職にあったらしいので小屋=竹林院説は薄いのかなぁと思った。
佐和子@メギド楽しい @sawako_a1565
『大谷吉継の母東殿と妹小屋(1/14追記あり)』 ⇒ amba.to/1s0VOBv こちらのブログさまからの情報でございます。

この呟きをみた大谷クラスタのみなさんがいろいろと詳しい情報をツイートしていってくださることに

のいまご @noimago
消去法とは? 太宰府天満宮の鶴亀文懸鏡の銘「願主同 東 小石 徳 小屋」。東は母親、小屋は妹というのが他の史料から分かる。母親で始まり、妹で終わっていて、間の二人が妻子とは考えにくい。よって東以外は姉妹と考える。吉継の妹は下間頼亮と石河光吉に嫁いでいる。そこで残り一人を信繁にと。
のいまご @noimago
昨夜、竹林院の話が流れてきたが、私は消去法で吉継の妹だと考えている。あと、妻の存在が全く見えないのに娘がいたというのも考えにくいので。
のいまご @noimago
大谷吉継の妹が石川光吉と真田信繁に嫁いだと考えると、光吉の子重正と信繁の娘が結婚しているのが、すんなり理解できるのである。
のいまご @noimago
吉継は30歳そこらで弟と思われる吉治を養子にしている。あまりに早すぎではないだろうか?
雨曇 @u_don_
これは思っていた。母親はまぁわからないでもないけど、妻と妹並べるか?というところで、たぶん姉妹ではないかと。>RT
雨曇 @u_don_
文禄四年に秀吉の側仕えという状況からみて、小屋=竹林院ではないかなとボンヤリ思ってはいる。
佐和子@メギド楽しい @sawako_a1565
文禄年間の話なのか やっぱり史料はちゃんと自分の目で確認したほうがいいな…
雨曇 @u_don_
こやも兼見卿記にある。文禄四年に25歳。
雨曇 @u_don_
確か25歳だった、はず。
残りを読む(30)

コメント

佐和子 @sawako_a1565 2014年12月11日
まとめを更新しました。 削除希望のツイートありましたので一部削除させていただきました。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする