神視点と後期クイーン的問題

後期クイーン的問題の安易な回避策「神視点人物を登場させる」が本当に回避策になっているのか、という疑問をまとめました
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@quantumspin

「続・"後期クイーン的問題の正面突破"が何を意味するか?」をトゥギャりました。 togetter.com/li/761053

2014-12-23 21:30:07
@quantumspin

真実の保証を作中推理にではなく、外在する存在によれば、果たして後期クイーン的問題は解決できるだろうか。例えば諸岡卓真は『現代本格ミステリの研究』の中で、『メルカトル方式の問題点は、突き詰めれば推理をする者とその推理の正しさをメタレベルから保証する者とが一致していること』としている

2014-12-26 19:15:12
@quantumspin

この他にも、蔓葉信博は『推理小説の形式化のふたつの道』の中で、「メルカトル鮎」シリーズ等、真実の保証を外在する存在に頼るものを虚構コード派とし、『この(虚構コード派と現実コード派の)ふたつこそ今も続けられている「後期クイーン的問題」を乗り越える方法と考える』とまで言いきっている。

2014-12-26 19:24:41
@quantumspin

このように、「真実の保証を外在する存在に頼る」事は、後期クイーン的問題を解決するひとつの方法であるとこれまで広く信じられてきた。しかし、果たしてそうだろうか。榎木津やメルカトル鮎のような存在は、探偵小説におけるゲーデル的問題を回避する処方箋として、本当に機能しているのだろうか。

2014-12-26 19:33:12
@quantumspin

後期クイーン的問題に関しては、前述の通り、ゲーデルの示した数学的定理としての問題と、手掛りの有限性に起因する自然科学的問題という、2つの問題が混在している。ここで、もし作中に、作品世界に存在する全手掛りを入手できる立場にある人物が存在すれば、後者の問題を回避できる事になる。

2014-12-26 20:51:18
@quantumspin

では、前者の問題、すなわち、後期クイーン的問題のそもそもの発端となった、ゲーデル的問題についてはどうだろうか。実は、ゲーデルの定理を当てはめると、たとえ作品世界に存在する全手掛りを入手できたとしても、それでも全手掛かりそのものの真偽判断はできない、となると考えられるのである。

2014-12-26 21:01:37
@quantumspin

例えば世界が仮想世界だとして、その世界が無矛盾であれば、その仮想世界の無矛盾性を仮想世界内で証明する事は不可能である。これは、仮想世界の一部分を認識しようが、仮想世界の全てを認識しようが、事態はなんら変わらない。仮想世界の無矛盾性は、仮想世界の外側に出なければ証明できないのである

2014-12-26 21:06:34
@quantumspin

仮想世界に矛盾があれば、話は違ってくる。そこから仮想世界の矛盾が発覚し、仮想世界は偽であると、仮想世界内で判断できる。しかし、仮想世界が無矛盾である限り、仮想世界内ではその無矛盾性を証明できない。仮想世界内存在である神視点人物も、やはり例外なく、手掛かりの真偽判断は不可能なのだ。

2014-12-26 21:13:25
@quantumspin

作中人物は、例え神視点であっても、作品外に出ることは不可能であり、自身の認識する手掛かりを真と証明することはできない。従来の素朴な後期クイーン的問題に対する認識では、この点が何故か見過ごされてきたようだ。真実の保証を外在する存在に頼っても、後期クイーン的問題は解決しないのである。

2014-12-26 21:20:58
@quantumspin

真実の保証を外在する存在に頼って解決するのは、手掛かりの不完全性の問題だけであり、それは後期クイーン的問題のうちの、自然科学的問題に限定される。もう一方の、本来のゲーデル的問題に関しては、例え神視点人物であろうとも、彼が作中人物である限りその問題は原理的に解消しえないのではないか

2014-12-26 21:31:55
@quantumspin

まとめを更新しました。「チューリングマシンと後期クイーン的問題」 togetter.com/li/763360

2015-06-07 11:10:02