- bokunoojisan
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1,一昨日あたりから物議をかもしている“「男には大島弓子は分からない」発言の悲しさ anond.hatelabo.jp/touch/20141227… ”について。この発言は、朝日カルチャーセンターで2008年11月29日に行われた「大島弓子の作品読書会」がもとになっています(つづく)
2014-12-29 02:30:062,その時もこの発言。正確には「男の人は大島弓子をわかりたがるよね」は、物議をかもしていました。当時の自分のmixi日記(「大島弓子読書会で思ったあれこれ」2008年11月30日mixi.jp/view_diary.pl?…) を捕捉し、ツイートさせていただきます。(つづく)
2014-12-29 02:30:583,やまだないとさん&福田理香さんによる「大島弓子の作品読書会」の際にも、ないとさんの「男は大島弓子をわかりたがるよね」発言は、物議をかもしていました。(つづく)
2014-12-29 02:31:164,この発言に関しては、私的に解釈すれば、ないとさんは以下のようなことをおっしゃりたかったのではないか、と感じました(きわめて乱暴な解釈なのかもしれません)。 男性は、大島弓子をわかってもいないくせにわかったふりをしたがる。(つづく)
2014-12-29 02:32:065,それは大島弓子が世間から高く評価され、尊敬されている作家だからで、わかればわかる人間がえらいということになり、わからなければその人はダメだということになる。(つづく)
2014-12-29 02:32:216,つまり、大島弓子をわかってもいないくせにわかったふりをする、という行為は、オレはエラいんだと誇示する文化的マウンティングに近い行為である。(つづく)
2014-12-29 02:32:337,私は、この「男性は」の部分は交換可能だと思います。「ある種の男性は」か、性別を取り外して「ある種の人は」とすれば、違和感なく受け入れることができる大島評になる。(つづく)
2014-12-29 02:32:428,ただ、まだ、大島弓子の読者に圧倒的に女の子が多かった頃、大島弓子が好きな女子が、わかった風な男子にマウンティングされるかのように大島弓子をわかったふりをされてきた(かもしれない)歴史がなんとなくかいま見えるので、(つづく)
2014-12-29 02:32:549.ないとさんは、ここに「男は」と入れたくなるのではないかとも思います。 ただ、ないとさんの指摘と必ずしもイコールではないにしろ、「大島弓子は女(少女)にしかわからない」という評価を、かつてそれこそ比較的よく見かけ、それに対して、私はいつも違和感を覚えてきました。(つづく)
2014-12-29 02:33:1110,かつての私のまわりには、大島弓子がわかる女子のともだちなどおらず(今は違いますが)、「この人はけっこうわかっている」(えらそう…)と思える評は、男性の書くマンガ評の中に見かけることが多かったからです。(つづく)
2014-12-29 02:33:2211,例えば、橋本治さんが大島弓子さんに与えた「ハッピィエンドの女王」という称号。「雨の音がきこえる」~「ミルクパン・ミルククラウン」までを評した『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」(北栄社、1979年刊)に所収されているものです。(つづく)
2014-12-29 02:33:3212, 大島さんのマンガは、必ずしもいわゆるハッピィエンドではないのに、どうして? と感じる人もいるかも知れないけど、橋本さんは(つづく)
2014-12-29 02:33:5213,「自分自身を苦しめる〝分からない〟こと、その〝分からない〟と〝分かった〟を繋ぐものが大島弓子であり、〝分からない〟ことに苦しめられていた人間が〝分かった〟状態がハッピィエンドでなくて何でしょう?」と記します。(つづく)
2014-12-29 02:34:0214,また、村上知彦さんの次のような指摘。「大島弓子について考えていると、ぼくのまわりにいる大島弓子ずきの、ひとびとのことばかりが浮かんでくる。(略)(つづく)
2014-12-29 02:34:1315, みな大島弓子の『世界』を、もうひとつの現実のように眺めて、この世界に自分が生きていることの違和感とかろうじて均衡を保っているようだ」「大島弓子がすてきなのは、ぼくらをやさしい夢でつつんでくれるから、ではない。(つづく)
2014-12-29 02:34:2516,ぼくらにそれらが夢であることを思い知らせてくれるほどに、それは完璧な夢であるから、ぼくはひとときそこで暖をとり、またぼくらの冬へと、とびだす元気を与えられるのだ。」 (『大島弓子の世界 テレビランド増刊 イラストアルバム7』1978年p78)(つづく)
2014-12-29 02:34:3717,大島作品には「10月はふたつある」を筆頭に、「四月怪談」、「秋日子かく語りき」、「庭はみどり川はブルー」など臨死体験を扱ったもの、「綿の国星」、「金髪の草原」、「夏の夜の獏」サバのシリーズのような擬態(?)を扱ったもの、(つづく)
2014-12-29 02:34:4818、うまれ変わりを扱った「つるばらつるばら」、紙一重の人を扱った「ダリアの帯」、「ロングロングケーキ」、妄想が実体化する「F式蘭丸」など、もしもの世界、時にそっちの世界のほうが現実のように思えるほどの、むこうの世界を扱ったマンガが多い。(つづく)
2014-12-29 02:34:5919、これらの作品は、現実逃避の道具になっているのではなく、むしろ厳しい現実を生きる糧になっているのだというこの指摘は、まさに私にとって「わからない」ことが「わかった」瞬間を体験させてくれるものでした。(つづく)
2014-12-29 02:35:1020、でもこの読書会では、大島作品は「わかりたがる」気持ちを引き起こしがちであることを、福田さんが指摘してもいました。それは、「大島弓子に関しては、みんながなぜか「私だけの大島弓子」と思っている。」という指摘です。すごく腑に落ちました。(つづく)
2014-12-29 02:35:2421,そしてつまり、ないとさんの発言も大島弓子を「私のもの」にしたい気持ちが言わせる発言なんだと思いました。私は、大島弓子のことが好きな人たちのそうしたところが以前はちょっと苦手でしたが、今は、自分も含めそうした大島弓子好きを愛しているといえます。(つづく)
2014-12-29 02:35:3622,ちなみに、この読書会はこの前回(2008年11月8日)が藤本由香里さんによる講演で、私はこの時、確か『愛情評論』2004年からの藤本さんによる「大島さんは母性の作家だ」という、以前はピンとこなかった指摘が、やっとわかったような気がしたものでした。(つづく)
2014-12-29 02:35:4623, ハニーさんがここで「母性」というときにイメージするものが、「小さい弱いものを守りたい、保護したいという気持ち」である、という説明が、腑に落ちたからです。(つづく)
2014-12-29 02:35:5724, それは私が「大島さんの描く主人公は、大島さんが今一番弱い立場にいると感じている人なのではないだろうか」、と長年感じてきたことと通じたからです。(つづく)
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