福永光司著作Bot

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fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 17-3またこの4重構造の持つ「道の教え」を総合総括して、その重なりの全体を中国伝統の民族宗教「道教」と考えるほかないであろうことについては、本書の「空海と中国」31ページ以下の記述を参照されたい(「4重構造については37ページに載せる別表を参照)→

2014-12-29 23:59:31
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 17-2 すなわち最底部の鬼道の教えとしての道教、その上部に神道の教えとしての道教、さらにその上部に真道としての道教、最上部に聖道の教えとしての道教が4重構造として検出されるということ、→

2014-12-29 23:57:47
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-17 なお、*この『雲笈七籤』120巻の具体的な記述内容によって道教のなんたるかを検討考察するとき、道教の神学教理が中国宗教思想史として4つの層の重なり、→

2014-12-29 23:57:15
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 16-4 『無上秘要』の編纂が儀礼儀式に重点を置いて金丹部門に粗略であるのに対し、『雲笈七籤』のそれは、『周易参同契』、『抱朴子』内編などを基底に置く金丹部門にも力を注ぎ、全般的に道教の神学教理ないし思想哲学に関心の重点を置いている。

2014-12-29 23:53:39
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 16-3 また第21巻から末尾の第120巻に至る100巻の内容は、6世紀に北周で編纂された上記の道教教理百科全書『無上秘要』100巻のそれとあらまし対応し、引用経典も古い時代のものは『無上秘要』のそれをほとんどそのまま引き継いでいるが、→

2014-12-29 23:52:35
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 16-2 各種経典の成立の歴史とそれの整理分類の原則、歴代の天師すなわち教団の最高指導者たちの伝記などに関する解説資料を整然と配列し、第6巻から第20巻までの14巻に代表的な道教の神学教理書約60種の解題もしくは本文を収載している。

2014-12-29 23:50:16
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-16  すなわち、その全120巻の冒頭第1巻には、道教の宗教哲学の根本概念である「道(タオ)」とは何かを考えるための基礎文献資料を列挙し、ついで第2巻以下に道教の神学教理の基本的な概念、→

2014-12-29 23:49:54
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 15-4 (*その編集実務担当者は道士の張君房であった『雲笈七籤』の具体的な内容を詳細に検討考察することにより)→ つまり道教とは何かに対する教団内部者の立場からの回答が、最もまとまった形で最も適切に提示されているわけである。

2014-12-29 23:46:49
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 15-3 (編集実務担当者は当時第1級の学者・知識人で)ある道士の張君房…(*『雲笈七籤』)の具体的な内容を詳細に検討考察することにより、道教がこの時代、自らをどのような宗教として理解し自覚し、もしくは解釈し規定しているかを如実に知ることが出来る。→

2014-12-29 23:44:11
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 15-2 11世紀、北宋の初め、この宗教の熱烈な信奉者であり護持者でもあった真宗皇帝の天禧3年(1019)、一種の道教「神学大全」……思想百科全書として勅撰された『雲笈七籤』120巻=その編集実務担当者は科挙の合格者で、当時第1級の学者・知識人で →

2014-12-29 23:34:47
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-15 このような道教黄金時代の唐代及びそれを受ける5代の時代の道教の学術思想研究の成果は、11世紀、北宋の初め、この宗教の熱烈な信奉者であり護持者でもあった真宗皇帝の天禧3年(1019)、→

2014-12-29 23:31:19
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 14-4 (*道教は、玄宗時代時代に黄金期を迎えていた仏教と十分に競合し得て)→ 孫訾白、史数元、誤飲、司馬承禎、超満腹、と皇帝など多くの優れた同学者を輩出している。

2014-12-29 22:11:14
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 14-3 しかも玄宗皇帝自身が『道徳真経』(『老子』)に『御注』を書くくらいであるから、道教の神学教理もしくは思想哲学の整備研究は最高度に達し、同じく黄金期を迎えていた仏教のそれとも十分に競合し得て、→

2014-12-29 22:06:35
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 14-2 この皇帝(玄宗)の時にはまた道教の一切経目録である『瓊綱経目(けいこう)』7300巻が作られ、この経目に『玉緯別目』を加えると収載の道教文献は九千になったという(杜光庭刪『太上黄籙斎儀』卷52)。→

2014-12-29 22:04:09
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-14 天下の士庶の家ごとに『老子』(道徳真経』)一本を蔵させ、国立の道教大学ともいうべき崇玄学を設置し、その生徒に老子、荘子、烈士、文子を習わせ、毎年、科挙の明経に准じて考試を行わせたのは玄宗であるが、→

2014-12-29 22:00:33
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 13-3 (唐では)‥これ以後、皇帝としてさらに熱烈な道教の信奉者である玄宗(712~756在位)を経て、10世紀初め、王朝の滅亡に至るまで道教は北魏と同じく国教の地位を占め、その黄金時代を迎えることになる。

2014-12-29 21:58:12
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 13-2 (道教の開祖とされる老子の姓が『史記』で同じ李とされていることもあって) 道教の熱烈な信奉者である高宗(649~683在位)の時には、老子(太上老君)は唐の皇室の遠祖とされ、太上玄元皇帝の尊号を送られることになり、→

2014-12-29 21:56:55
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-13 隋の文帝が皇帝として正式に即位してからわずか30年足らずで滅亡した楊氏の隋王朝に代わって李氏の唐王朝が成立すると、道教の開祖とされる老子の姓が『史記』で同じ李とされていることもあって、→

2014-12-29 21:56:43
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 12-3 それに続く「道教」の教理内容を解説する「元始天尊は太元の先に生まれ、自然の気を禀く云々」以下約1400字の文章は、7世紀始め、隋唐初の時代における道教の神学教理を教団外部の一般知識人が解説しているものとして注目される。

2014-12-29 21:48:57
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 12-2 そして『隋書』経籍志「道経」章では「服餌」を「餌服」に、「符図」を「符録」に改めて『七録』とほぼ同じく四部の巻数908、176、38,103、合計1216巻を載せているが、→

2014-12-29 21:43:01
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-12  これに対する南朝では、梁の*阮孝著(476~536)の『七録』仙道録に当時の道教文献を経戒、服餌、房中、符図の4部に分類し、それぞれの巻数828、38,103、合計1136巻を載せている。→

2014-12-29 21:40:58
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 11−2現存する最古の道教百科全書であり、また6世紀後半の頃の北朝における道教学の実態を知る具体的な資料として貴重である(無上秘要』に引用されている経典の延べ総数は708首であるが、そのうち8割近くの536種に三洞の区別が明記されている点が特に重要)

2014-12-29 21:38:45
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-11 北魏の王朝は5世紀の前半、東魏と西魏に分裂し東魏は北斉に西魏は北周に交代してゆくが、北周の武帝(561~578在位)の時、勅令によって編纂されたという(『続高僧伝』釈彦琮伝)『無上秘要』(100巻。ただし原欠30巻)は、→

2014-12-29 21:36:12
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 10-4 彼(*寇謙之)の道教は、神学教理の哲学的な面よりも宗教儀礼、特に国家的宗教儀礼の実践的な面を重視し、太武帝の太平真君3年(4429には帝みずから道壇に至、符籙(ふろく)を受くるに至らしめている。

2014-12-29 21:22:13
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 10-3 10-3 (*北魏の道士寇謙之は)→太武帝(423~451在位)の指示のもと、老君の神勅の実現に勤め、ついに*道教を北魏の国教とすることに成功している。→

2014-12-29 21:20:52
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