#第二次世界大戦の泣ける話 その2
V号戦車パンターの試作機を見た時、ヒトラーはこう云ったとされる。 「ライトにワイパーを付けた方が良くね?」 こうして、パンターの戦線投入はさらに遅れる事となった。 #第二次世界大戦の泣ける話
2014-08-30 19:29:23愛する国、そして愛する者の為にあまりに強大な敵に対して空に海に陸に十死零生の作戦に出て行った武士達がいた #第二次世界大戦の泣ける話
2014-08-30 20:02:22本土決戦を見越して四国の山中に陣地作る為に超強力ポンプ(父談)の供出をしたウチの爺さん。竹槍訓練を拒否して警察からこっぴどく怒られたが、自主的に隣近所と仕掛け罠の準備をしてゲリラ戦の用意をしていた(これも父談)。本土決戦無くて本当に良かった… #第二次世界大戦の泣ける話
2014-08-30 20:18:53切手趣味クラスタには有名な未発行の賦課金つき満州切手。賦課金が額面の10倍以上というぼったくりで、賦課金で軍用機を買うという予定も、切手発行前に敗戦という間の悪さ。 #第二次世界大戦の泣ける話
2014-08-31 00:02:34サンフランシスコ講話会議で請求を放棄した海外領土に、白瀬矗が上陸・到達した南極大陸の大和雪原・五人氷河も含まれてはいるが、そもそもどちらもロス棚氷上だったので、とっくに氷山となり流出していた #第二次世界大戦の泣ける話
2014-08-31 00:14:37泣けるかどうかは知らないが。 爆撃機パイロット「日本を空襲しようとしたら後ろから巨大な火の玉が追跡してきた。日本の新兵器かもしれない」 ↓数ヶ月後 将校「諸君らに説明することがある。諸君らが見た巨大な火の玉は惑星の金星であり、逃れることはできない」 #第二次世界大戦の泣ける話
2014-08-31 00:07:52逆に日本のパイロットは訓練中にたいてい『敵! ……じゃなかった、金星か』という勘違いをするため、東方向から攻撃されたときだけ気付くのが遅れるのが常だったらしい #第二次世界大戦の泣ける話
2014-08-31 00:12:19第二次世界大戦当時、パラシュートは絹製だった。当然ながら、引き揚げの際には真っ先に狙われた #第二次世界大戦の泣ける話
2014-08-31 00:12:32だいぶ前になくなった親戚から聞いた話。爺さんののった船の所属する船団が待機してたところ、そろそろ出航禁止命令もでそうだし、あっちでは荷物まってるし、行こうぜと出航したら...続きはwikiで! #第二次世界大戦の泣ける話 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB…
2014-08-31 00:24:56古川ロッパは戦時中イルカのステーキまで口にしていて参ってたそうだが、小林一三から西洋料理のフルコースを馳走になると喜んで日記に書いていた #第二次世界大戦の泣ける話
2014-08-31 12:21:53帝国ホテルで行われた海軍の宴会で軍艦の形をしたパイを出してシェフがカットしようとしたら、海軍の偉い人が「帝国海軍の軍艦を切るとは何事だ」とキレた。で別のシェフが「閣下、これはプリンスオブウェールズでございます」と言ったら急にご機嫌になった。 #第二次世界大戦の泣ける話
2014-08-31 12:24:19国会の委員会答弁でアメリカ人についてとんでもないことを言って(18禁レベル)拍手を浴びた軍の偉い人がいた。 #第二次世界大戦の泣ける話
2014-08-31 12:29:31#第二次世界大戦の泣ける話 サハラ砂漠の真ん中に爆撃機が墜落してるのが見つかる。しかし機内から遺体が見つからない。のちに数百キロほど離れた場所から遺体発見。日記も見つかる。 続く→
2014-08-31 12:36:38#第二次世界大戦の泣ける話 日記によると、爆撃機の乗員は9人。降りるべき基地が見つからず、燃料切れになったためパラシュートで脱出。持っていた食料は水筒1本だけ。降りて集合できた8人で広い砂漠をひたすら歩く。1人倒れ、また1人倒れ...... 続く→
2014-08-31 12:39:42#第二次世界大戦の泣ける話 最後の1人も限界に。何日経ったかも分からなくなるほど歩き、目の前に巨大砂丘が。これを越えるのが精一杯。体力の限りを尽くし、オアシスがあると信じて砂丘を登り切った先にあったのは...... 続く→
2014-08-31 12:41:23